170話菌糸
「私は、あの画像を見て、モルゲロンズ病の「繊維」と表現されたモノは、菌糸ではないかと考えたのです。」
雅苗は、そう言いながら歩き出す。
「菌糸…ですか。」
私も、続いて屋敷に向かって歩きながら呟いた。
菌糸…
菌類が糸状に集まったもので、キノコの正体も菌糸である。
見えるものから、見えない細いものまで、菌の集まりの菌糸なら、線虫と違って変幻自在に消える事も可能だ。
「はい。そして、2011年長山さんと南仏再会し、ノストラダムスの話を聞いたことをおもいだしました。」
「ノストラダムス…」
私は絶句しながら月を見る。オカルト路線に流れる話をあきれる自分に自分の思考が正常だと月の光に確認する。
そんな私の横で、少し、責めるように雅苗は私を見る。
「ノストラダムスは、医師ですわ。悲劇的に拡大する感染症と戦い、一定の成果をあげた…」
確かに…
私は少し反省しながら沈黙を続けた。
そう。ノストラダムスは、世紀末を煽ってマウントをとった予言者ではない。
ラスプーチンなどの予言者と違い、町を救ったエピソードがあり、
なお、あの時代、感染症の患者を診察し、発病することなく亡くなったのだ。
現在、わけの分からない感染症の中で溺れかける自分を思えば、それがどんなに凄い事なのか身に染みる。
彼は、逃げられず…いや、逃げることなく感染症と向き合った、間違いなく『医師』なのだ。
「すいません。」
私の言葉に雅苗は、機嫌を直して話を続けた。
「私も、当時は、ノストラダムスなんて、怪しげな山師くらいに考えていましたわ。
占星術とか、人類滅亡とか、周期学とか…」
と、ここで雅苗は一度、言葉を区切って私を見る。
「池上先生…ノストラダムスは、人類の…都市には成長から衰退があると考えていたようですわ。
ローマがそうであったように、どんな都市も、一定の期間を過ぎると衰退するのです。
長山さんの話すノストラダムスは、人の生涯のように考えていたようですが、私は細菌と共に考え直してみましたの。」
雅苗の話に、私は釘付けになる。
細菌の増殖と成長のために、細菌が、人を操り集落を形成する。
とりつかれた人間は、自分達に不利になる余剰の何かを作り続ける。
それは、し尿やゴミ、穀物であり、
炭素や二酸化炭素であり
マイクロプラスチックである。
かつて、シアノバクテリアが、地球を酸素によって絶滅させたように、
我々も、次の生物の繁栄の為に絶滅へと突き進んでいるのだろうか?
「あなたは…何か、未確認の菌類の活動期間に人は影響を受けている…と、考えているのですね。」
私はなぜか、切ない焦燥感に包まれながら聞いた。
「ええ…とても…長い期間を潜伏し、繁殖をする未発見の真菌…。
星座を基準に考えなければいけないほど、気の遠くなる時間を眠り続ける…眠り姫。」
雅苗の声がロマンチックに聞こえて苦笑する。
もし、そんな菌類が実在するとなれば、我々は、滅亡するかもしれないのに。
「ずっと、眠っていてほしいですね。」
私が甘い皮肉をこめてそう答えると、雅苗は笑った。
「そう…ですね。でも、パンドラの箱は開けられたのですわ。
遠い昔、その日を迎える人達にメッセージを残したにも関わらず。
遺跡は発掘されて行くのです。」
『王の眠りを妨げるもの、死の翼触れるべし』
ツタンカーメン王墓の呪いの言葉を思い出した。
マッソスポラもまた、幼虫に感染しても、悪さはしないのだ。
成虫になり、翼を持つようになると、長い眠りから覚めたように発動する…
成虫になった蝉は、そうとは知らずに、仲間を誘う…
仲間を食いつくす寄生虫のために…
己の体を…文字通りすり減らしながら。