160話 溶解
誰もいなくなった…
気がつくと、蛙の声が耳に戻る。
覚醒する意識の中で、体だけは動かない。
辺りに広がる闇の中、おいて行かれた私は、激しい恐怖に襲われた。
確かに、夜の林や山には幾度と無く行った。慣れてはいる。
が、それは完全防備をして、動ける状態だったからだ。
こんな、全身が正座後の足のようなしびれにゆっくりと襲われるような…そんな状態ではなかった。
夜の山で一人…動けなくなる…
それは、野性動物や虫達に好きにしてくれ、と、言うようなものだ。
よく、小説で山に死にに行く人物が登場するが、私は嫌だ。
地元の人に多大な迷惑をかけるし、意識があるうちに、虫や野性動物に貪られるのは想像を絶する痛みが伴うと、皆が言う。
いや、痛点が麻痺していたとしても…意識がクリヤーな状態で自分が貪られるというのも嫌なものだ。
みぞおち辺りに恐怖がたまる。とは言え、臭覚はゆっくりと戻り始める…
風が甘い夏の腐臭をつれてくる…
その香りは、私の知らない懐かしさを含んでいた。
羽化を始める蝉の幼虫が地上を目ざし、羽化を始める…
そんな、遺伝情報のような…記憶。
ふと…頭の中を若葉溶生『溶解』のメロディが流れて行く。
この曲は、アニメ『シルク』の為に溶生が作曲した。
ネット新人作家の『シルク』
大正時代の虫学者が、植物人間と化した妻に寄生虫を寄生させ、体を硬化させその姿を永遠に残そうと考える。
この曲は、妻の口に寄生虫の卵鞘を含ませるところに使われているらしい。
そこから、妻の体がゆっくりと変化するところを主人公は観察し、飼育する。
勿論、虫をいかしておいては、殻を食い破ってしまうので、しばらくしたら、加熱して殺してしまわなくてはいけない。
が、観察を続けていた主人公は、妻の皮下で成長する寄生虫に情が移るのだ。
虫を殺さなければ、妻の脱け殻は醜く裂ける。
が、日々、成長をする虫を殺すのも忍びない。
それに、その虫は新種の…誰も見た事のないものなのだ。
そう…主人公も、山奥で殻と卵を見つけたのみで、成虫を見てはいなかった。
美しい絹の成分で作られる殻。
カイコガの変種だろうか?
妻を溶かしながら、それは大きく育ちつづける。
風が頬を優しく撫でる。
ゆっくりと感覚を取り戻しながら、よくもこんなマニアックな小説がアニメ化までたどり着いたものだと感心する。
そして、これが、頭の中で再生された曲でないことに気がつく。
そう、これは…変化を始める体の発する音…
7年前に…若葉溶生を襲った…体の変化を音に表現した…それが『溶解』
私は、全身に鳥肌をたてながら、そう、悟った。