142話 セクシー ・セレクション
暗闇に倒れていた私は、胸ポケットからペンライトを取り出して辺りを伺った。
誰もいない。
やはり、雅苗は幻覚だったのか?
ぼんやりとした疑問に取り憑かれながら、雅苗が言ってた机の右側に並ぶ三段の引き出しの真ん中を開けた。
手帳が入っていた。
手の平サイズの革張りの古いもので、開くと、細かい文字と昆虫、甲虫…のような絵が書いてあった。
尊行さんのものかは、達筆すぎてわからなかったが、誰かに付箋されたページには、南アルプスから静岡方面の地図らしきものが書いてあった。
そして、その地図に何も書いてない細い付箋が張られていた。
それをめくると、静岡の山に池の平の文字が見えた。
これは、なにか意味があるのだろうか?
気にはなったが、その上の鉛筆の力強い文字に一気に意識からそれた。
我、竜ヲ見タリ
と、書いてある。
文字から、興奮と感動を感じ、なにか、ゾクリとする。
多分、これが尊行さんのものであれば、事故の前の出来事のようだった。
竜とは…なんだろう?
一瞬、雷を想像した。
が、それ以上は考えるのを止めた。
スマホを取り出し時刻を見る。まだ、15分位しか経過してなかった。
私は、マスクと保護マスクをし、そして、手帳をポケットにしまうと、部屋を出ることにした。
雅苗が私に何を依頼したいのかは良く分からなかったが、幻覚にいつまでも付き合ってもいられない。
温室を何とかしに行かないと行けない。
あと…秋吉達と若葉さんが部屋にいるかを…あの、戸を叩いた若葉さんが幻覚だった事を確認したかった。
スマホをしまい、ペンライトで戸を照らし、私は、ノブに手をかけた。
雅苗が部屋に居ないという事は、全ては幻覚なのだ。
一瞬、手帳の事を思い出したが、振り払う。
そう、鍵は開いてる。
開くんだ!
変な暗示がなければ、私は、ここを出て行ける。
私は、気持ちを遠くにぶん投げるように、勢い良く戸を開いた。戸は、簡単に開いて、私は、少し、後ろによろめきそうになる。
ふふふっ……( ^∀^)
変な緊張感から解き放たれて、自然に笑いが込み上げる。
なんか、歌いたくなる。
若葉溶生さんの80年代の曲『セクシー★ラブ』のさびの部分が口をつく。
♪その手にはのらないぜ、
相手が悪いと諦めな。
恋は、セクシー・せれくしょん
限界を突破してΣ( ̄□ ̄)!
ああああっ………
私は、開いたドアの向こうにペンライトの淡い光に不気味に照らされた人影に恐怖した。
そして、立ちすくんだ。
叔父さんの家に泊まりに行って、天井から巨大なゲジゲシが顔に落ちてきた、小5の夏休みが、走馬灯のように脳裏を駆け抜けて行く。
しかし、そんな事、今の状態に比べれば、ただの日常だ。
階段に座っていたのは、若葉溶生…その人だった。
私は学生時代の大好きなアーティストの前で、
よりにもよって、下手くそな鼻唄を歌ったのだ。
が、それだけではない。頭はパニックだ。
私と…雅苗さんは…
雅苗さんは…
さっき、戸を叩いていた若葉溶生は、本物だったのだろうか?