137話翻訳
森鴎外……
いきなりの歴史上の有名人の名前に少しだけ驚いた。
が、生物学の世界では、北宮尊徳先生も負けてはいない。
接点があるのが、むしろ、当たり前の気さえする。
「明治、大正にかけて、学者や役人の方々が、文学などの芸術部門と兼任したり、大学などを接点に、交流していた時代でした。
尊行は西洋の芝居や音楽が好きで、ドイツ語の他に日常的なロシア語の読み書きが少し出来たのと、バイオリンが弾けましたので、捕虜のロシア人の為に、チャイコフスキーの曲を弾いたりして慰めていたようです。
その演奏は、敵味方の怪我人に好評をはくし、後に鴎外先生の社交会に招かれたりしたようです。
そして、文学とゆかりのある人達と交流する事になるのです。」
雅苗の話を、私は少し焦りながら聞いていた。
日露戦争からの北宮家の話なんて、まともに聞いていたら夜が明けてしまう。
「すいません、尊行さんが一芸に秀でていたのは分かりましたが、それが、今回の状況とあなたの失踪に、どんな関係があると言うのでしょう?
あの…『砂金』のカバーは、何を意味してるのですか?」
ズバリ、聞いてやった。
雅苗は、私を見て、困ったように目を細めて笑った。
「ありますわ。私も、随分と昔に親族から聞いたきり忘れていましたけれど。
2010年、南仏で長山さんと話してなければ、思い出す事もなかったかもしれませんわ。
私の曾祖父の尊行は、その後、陸軍の人事のいさかいに疲れて退役しました。
そして、鴎外先生の会合で知り合った、農商務省の役人の助手として働くことになりました。
この時代、海外からの珍しい植物や動物…例えばゴムの木のような…商業価値のあるものを探していましたし、尊行もそのような事柄が好きでしたから。
田中芳男先生をはじめとして、信州には、その方面で活躍する人物もたくさんいましたから。」
雅苗の話に私は頷いた。
田中芳男先生は、長野県飯田市出身の博物学者である。
「確かに、そうでしたね。現在のりんごも、確か、アメリカから苗を仕入れて現在のようになったのでしたね。」
私は、少しずつ、雅苗の言いたいことが予想できてくる。
何かを……海外からの何かを、この地で栽培していたのだろう。
かつて、大きくて甘い品種のりんごの苗をアメリカから輸入したように。
そして、輸入した植物には、細菌や虫の卵が紛れ込むことがある。
ヒアリやセアカゴケグモの様に、人がその侵入者を抑えるのは容易なことではない。
しかし、生態系など、まだ、重要だと思われていなかった時代だったのだ。
軽い気持ちで植えられたのかもしれない。
「はい。あの時代、とにかく、情報が大切にされていました。
どの国より早く、珍しい植物を発見し、商業化出来るかが競われたのですわ。
ですから、海外留学をされる人達の情報は貴重なものでした。
それは、役人はもとより、学者や小説家のような人達のものでも……。
1910年代、プロバンスに二人の小説家が留学していました。
長野県出身の吉江 喬松。そして、もう一人は小牧 近江。ファーブル昆虫記を翻訳された先生ですわ。」
雅苗の話に、つい、引き込まれてしまう。
昆虫記の翻訳をするのなら、その昆虫について調べたりしたはずだ。
彼らは……なにを見たと言うのだろうか?