119話治療薬
ダ・ヴィンチが聖骸布を描いた?
そんな噂があったことに驚いた。
今でも諸説があるようだが、聖骸布は人が描いたものでは無いようだ。
この聖遺物が世界的に議論の的になるのは、19世紀に入り、写真撮影をされたところから始まるかもしれない。
うっすらと布に写る人の影は、写真撮影をしたことにより、明暗を逆にした…ネガ状態の像であることが判明したのだ。
それは、近代科学の発展と共に話題になる。
1930年代には、より精巧な写真機の撮影により、この布がネガである事を証明し、
70年代には、布に付着する血液や年代測定がされる。しかし、謎の決着はつかないままに、現在でも論争と研究は続いている。
「問題は、かなちゃんが聖骸布に何を感じたのか、そして、2012年の夏にシケイダ3301の謎と共に何を考え、こんな回りくどい謎を残したのか?と、言うことだ。」
北城は、ポストカードを右手の人差し指と親指でつまんで、呆れたような顔をしながら言った。
「夏祭りの謎ではないのははっきりしたよ。ダン・ブラウンの『インフェルノ』にも関係ない事も。
でも…『ダ・ヴィンチコード』には、影響されていたのかな?
ダ・ヴィンチとか、モレーとか(-"-;)」
私は、モヤモヤとあの頃流行った特番を思い出す。
聖杯とか『最後の晩餐』の謎とかの話が盛り上がっていた。
聖杯を探す物語は沢山ある、が、あの映画の『聖杯』は、映画『インディージョーンズ』の様な、分かりやすいカップではなかったと思う。
調べると、映画は2006年の公開のようだ。
2005年に溶生さんと再会し、2人で見に行ったりしたのだろうか…。
いかん、頭が回らない。
顔がこわばるのが分かる。そう言えば当時、テレビで特番などがくまれ、同僚が女の子と見に言ったと話していたのを思い出す。
が、多分、そんな甘い思い出の話ではないに違いない。
「ダン・ブラウン氏は、史実をもとに執筆をされていたようだから、内容がにて来ても惑わされてはいけない。
彼の作品は、その時代の知的好奇心をうつしているのだから。
2013年の『インフェルノ』は、人工ウイルスの物語だが、2012年欧州で初めて遺伝子治療が承認されている。ウイルスや感染に注目が集まった年だ。
『インフェルノ』を思い出すか、遺伝子治療を思い出すかで印象は変わるが、どちらも2012年と言う時代の物語だ。」
北城は、そう言って渋い顔をする。
始めに『ダ・ヴィンチコード』を持ち出したのは、お前じゃないか。
と、思ったが、それは言わずにいた。
確かに、ダ・ヴィンチは、有名人で、色々と手掛けていたのだと思う。
『トミノの地獄』に張られていたのは、ダ・ヴィンチではなく、ボッチチェリの『地獄の見取り図』だ。 どちらかと言えば、ダンテの『神曲』を想像する方が正しい気がする。
ダンテもトミノも地獄巡りの旅をする。
それは、吉江先生の手紙や噂から西条八十が空想した世界なのかもしれない。 吉江先生が旅をしたのは、第一次世界大戦の戦中戦後なのだ。
「聖遺物を探せ…と言うことかもしれないな。形にはとらわれず。」
北城は、難しい顔で言う。
「聖遺物…そんな物この屋敷にあるのか?」
私は、戦前、貴族の称号もあった北宮家の奥深さに驚愕する。
「あるわけないだろ?あれは、西洋の文化だ。カッパの干物はあるかもしれんが、それはない。
これはたぶん、治療薬の事だ。」
北城の声が、喜びで軽くなる。
「治療薬?」
私は、嫌な予感を感じながら聞いた。