97話 羽化
静かな書斎で、私は1人心の迷宮をさ迷っていた。
が、いつまでも、そんな事はしてられない。とりあえず、コーヒーを口にして、資料整理を始める。
訳のわからない謎解きに時間を使って、全く成果が無いとは言えないからだ。
イシスのスカラベは努力目標だし、北城がいるから、いつか、日を改めて確認すれば良い話だ。
細かな資料に目を通す。
庭に百葉箱を見つけたが、温度計の他にシャーレを入れて杉花粉の飛散状況なども調べていたようだ。
温度については昭和初期から始めたらしい記述があるが、その時代の資料はさすがに無かった。
それでも、尊徳先生の時代から、同じ条件で雅徳さん、雅苗さんへと受け継がれていったのが滲んで見えた。
花粉の資料については、同じ条件で調べていないと引き取り手はいないだろうが、手書きの資料を見ていると、ただ、捨ててしまうのは悲しい気がした。
サイトを作って、資料だけでもあげてしまおうか…。
ふと、そんな衝動にかられた。
そして、起きっぱなしの自分のスマホに目がいった。
西条八十を調べたまま、サイトを開きっぱなしにしていた事に気がついた。
閉じようとスマホを手にした。
今から100年前、西条八十と言う詩人は、大きな夢と希望を胸に、自費出版の本を出した。
今では、おかしな都市伝説のネタにされてしまっているが、彼が詩集を出版する動機になったのは、前年、1918年の童話雑誌『赤い鳥』ではないかと考えられる。
赤い鳥運動…
これは、子供に、子供の為の美しい物語をおくろうと、鈴木 三重吉を中心に、当時の文豪が作った児童雑誌である。
西条八十もここに『かなりや』の詩を寄稿している。
後に、このような詩に旋律がつけられて、現在の童謡になる。
一般大衆に支持され、名だたる文豪が、子供たちのために物語を作る、そんな熱狂的な時代に八十が作り上げた『トミノの地獄』
童謡の起源になる雑誌を意識して発表されたろう、この詩が、新世紀で音読をタブーとする暗示がかけられるとは、西条八十も草葉の陰で憤慨しているに違いない。
ふと、雅苗の作ったブックカバーが思い浮かぶ。
赤い鳥…赤い表紙を舞う周期ゼミ…
彼女の失踪前の法律では、著作権は作者の死後50年。
来年、2020年にこの詩集は著作権が切れてフリーになると予想したのだろう。
それは、セミが地下から這い上がり、羽化をして飛ぶ姿に重なった。
死後50年…
えっ…(°∇°;)
私は再び、スマホの西条八十の記事を見返した。
ドキドキする
そう、彼が亡くなったのは、1970年8月…
奇しくも日本が大阪万博で賑わう夏の事なのだ。