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パラサイト  作者: ふりまじん
特別な仕事
10/202

9話 都市伝説

走行を始めたワゴンの中で私は物思いに耽ふけり始めた。


秋吉は20代の私の仕事の同僚だが、

こうして有名人と並ぶ姿を間近で感じると別世界の人物だと実感する。


若葉溶生(わかばときお)は、思っていたより小柄な印象がした。


肩パットの入ったダブルのスーツと光の加減で銀色に輝く大きなサングラスと共に、

20世紀にスターの自分を置いてきたような変わり様ようがした。

それでも後部席に秋吉と並んで座っているだけで、

一般人と違うオーラを感じる。


結局私は助手席に移動した事を利用して、さっき秋吉が言いかけた昆虫の都市伝説を調べ始めた。

有名ネット掲示板のオカルトサイトがヒットした。


【戦時中の昆虫兵器…呪い⁉︎北宮三代にふりかかる悲劇】

何とも古臭いタイトルである。昭和の2時間ドラマのようだ。

随分前に立ち上げられたスレは、事件当時に作られて、そのまま過疎化、

ショクダイオオコンニャクの開花のニュースで、最近、少し盛り上がったのだろうか。

内容は蚊を使った新型ウイルスの拡散を旧日本軍が東南アジアで行っていたというもので、

その研究はGHQへと受け継がれ、口封じのために雅苗さんが拉致された、と言うトンデモ記事だ。


全く、馬鹿げたを考えるものだ。

私は噂を流した人物に腹が立った。高校生くらいだろうか?フィクションにしても、

もう少し生物学を勉強し、ひねりを入れて欲しいところだ。


ネタ元はなんとなくわかる。

最近、マラリアやデング熱などを媒介するネッタイシマカの駆除のために、遺伝子を組み替えて子供が出来ないメスを大量に放ち蚊の駆除をする方法が浮上し、アメリカなど各国が実験に乗り出したのだ。

実際に遺伝子組み替えをされた、大量の蚊を放つとなると批判や不安が湧いてくる。

そんな話題と雅苗の失踪を結びつけて面白がっているのだろう。

北宮家は御典医をしていた代々の医師の家系で、時代が変わると北宮家は日本政府の役人として医療に携わる。祖父の尊徳先生は軍医としてドイツに留学された経歴がある。

雅苗の祖父にあたる北宮尊徳先生はニクバエなどの害虫の研究者であり、

日本、そして、東南アジアの感染症の研究、上下水道の整備に尽力をされた人物だ。

細菌兵器の研究などしてはいない。

あくまで公衆衛生と感染症の研究、撲滅に尽力し、

現地の人に感謝され、後に贈られたのが例のショクダイオオコンニャクだ。

東南アジアに赴任したため終戦後もしばらく現地に滞在し、寄生虫の感染に難儀をしていたGHQと行動を共にした。この辺りのエピソードを細菌兵器などと面白おかしく創作したのだろう。

本当に腹の立つ。


細菌や衛生学、この分野の日本の学者の功績は海外でも認知されている。

日本脳炎や日本充血吸虫などは、日本の学者が発見し世界に報告したものだ。

この先人たちの熱意と研究がなければ、いまだに日本もコレラの脅威を克服出来なかったかもしれない。

そして、一つの感染症を撲滅するということがいかに難しいのかを理解する学者であれば、

生物兵器などという馬鹿げた企みなど思いもよらない。

人間が細菌をコントロールなんて出来るはずもないのだ。


日本充血吸虫……この名を思い出し、甲府の人達と、この寄生虫と戦った先生達を思うと胸が熱くなる。

長い間、地域の奇病として原因不明だった病の原因を突き止め、それを抑えるまでの長い物語は、

映画1本分の見応えがあるような壮大な物語だ。私は部活の延長で先輩に甲府に遠征した時に、

この話を聞き、感動したことを覚えている。

近代医術の道を日本が辿り出した1896年から100年近くかかり、終息宣言が出されたのだ。


北宮家の悲劇。

尊徳先生は、晩年、東南アジアの小さな島で熱病で亡くなり風葬された。

それについて、おどろおどろしく書かれている事に驚いた。

私からすれば、人に慕われ、好きな場所で寿命を全うし、

骸を自然に任せて朽ちるのは幸福な事だと考えていたので、一般人の恐怖のコメントに恐怖した。

私は好きな事をし好きな場所で、好きな研究をし続けて亡くなるなんていい人生に思っていたから。

風葬で送られる生物学者なんて言うのは、火葬の日本に入る限りファンタジーでありロマンを感じていた。

自分の感覚のズレが今更ながら怖くなる。


尊徳先生の息子が雅徳(まさのり)さん。彼は、父親の研究を継がなかった。

舗装され害虫が激減する日本で、ニクバエの研究などは古くさくなり、

代わりに光が当たり始めた遺伝子の研究に携わる。

1972年DNAを自由に扱得るようになり、80年代にかけて遺伝子の研究に注目が集まるなかで、

尊徳先生の息子である雅徳さんはアメリカに留学している。

その後、アメリカで災害に遭遇(あい)亡くなった雅徳さんは、確かに不運と言えなくもないが、

1970年代のアメリカに留学し一流の学者逹と最先端の研究をし、後に教授として渡米、

特別な許可をもらい保護区に侵入した末に巻き込まれた災害なのだから、

呪われた…と言うのは、少し違う気がする。

保護区での生物サンプルの捕獲なんて早々、外国人に許可は下りないと思う。

私の立場で言うなら、正直、羨ましい。

大体、大自然の中に冒険に行けば、街にいるより死の危険に遭遇する確率は高くなる。

私としては、都市伝説よりも研究内容が気になるくらいだ。


そして、娘の雅苗さんの失踪…。


確かに、不幸が続いてはいるが、三代の呪いと言われる連続した要因ではない。



若葉(わかば)雅苗(かなえ)

彼女もまた、私と同じく子供の頃から生物学を志していた人だ。

私と同じ、とは言ったものの、彼女は国立大学の助教授。格は果てなく違うのだが。

格もそうだが、私は大学を卒業して製薬会社に就職し殺虫剤の商品開発に携わりったが、

雅苗さんは大学で、益虫と遺伝子組換え生物の研究をしていたらしい。

らしい、というのは、私もそれほど詳しくはないからだ。

私にとって雅苗さんは好きなアーティストの配偶者と言う認識だ。

尊徳先生ほど彼女の研究に興味があるわけでは無い。

ネットの過去記事を信用するなら、

若葉と彼女の出会いは良くあるファンとアーティストから始まる。

そして、一方的に奥さんの方が溶生に入れあげ半ば強引に結婚まで持ち込んだのだそうだ。


そんな結婚生活だから溶生は、すぐに浮気を始める。

ある日、週刊誌にスッぱぬかれて夫婦仲が最悪になったらしい。

で、そんな時の不自然な別荘での二人旅行。


そこからの失踪なので色々な噂が飛んだのだろう。


溶生(ときお)の謎の昏睡と『アポカリプス』のストーリーがネットで融合し、

生物兵器の話にまで作り上げられて行くのは、なかなか興味深く感じるが、

私からすれば錬金術と同等くらい無理筋な話だ。


奥さんの雅苗は現在でもまだ行方は分かっていない。

その日から、溶生は生気を無くしたように無気力になり芸能活動をやめてしまったのだとしても。


あれから7年…。それにしても突然のカムバックだ。


7年…そう考えて私の心がざわついた。

失踪宣告と言う言葉を思い浮かべたからだ。


それは失踪し、生死不明の人間を死亡したとして、財産や法律関係の事柄を処理することだ。

一般的な失踪を宣告するためには、7年の猶予が必要になる。


7年…


これは偶然なのだろうか?

私は、後ろに座っている学生時代のスターを別の意味で震える気持ちで感じていた。

昆虫の中には、危険を感じると死んだふりをするのがいるが、彼もまた、精神を病んだふりをしていたのだろうか?

7年の年月を。


「大丈夫ですか?」

突然、後ろから私の背もたれに溶生の手が伸びてきて私は思わず声を漏らした。


「すっ、すいません。」

私は慌てて謝った。振り向いた先にある少し渋みのある男の微笑に言葉を失った。

心臓が飛び出しそうなくらいドキドキと躍り狂う。

赤面した自分を自覚しながら、子供のようにうつむいて彼の香りに酔う。

やはり、芸能人ともなると、中年になっても細かなところまで容姿に気を使っているものだ。

オッサンから漂う香りが良いと感じるなんて。


「若葉さん…、いじめないでください。池上さんは俺の仕事の先輩で、若葉さんのファンなんですよ。

ほら、緊張しすぎで、ゆでダコみたいになってますよ。」

秋吉が、面白そうにそう言うと若葉は少し照れたような穏やかな微笑みを浮かべて、

「それは、ありがとう。」

と、私に言った………。


か、感謝されたよ(´ー`)

私は、木炭画の太い線で描かれた野粗なスケッチのような、男らしいはにかんだ若葉の表情に、

魅逝ってしまった。


誤字ではなく、本当に魅了され、そして、思考回路が逝ってしまった、のだった。


なんだろう?初見の時は、貧相だ何だと悪態をついたものの、自分を認識され、視線を向けられると、

好きにならずにいられないのは子供の頃を思い出すからなのか…。


「池上さん…でしたか、妙な企画に付き合わせてしまって、すいません。

この半年、妻の夢ばかり見るんですよ…。なんだか、寂しそうで、私を呼んでるように感じるんです。」

溶生が神経質で形のよい自分の両手の長い指を絡ませながら、ぼんやりと物騒な話をする。


「よ、よぶって…。」


奥さんが、死後の世界から手招きしているようで、私は焦ったが、

奥さんは、失踪したのであって亡くなったわけではない。


まだ、大丈夫ですよ。

なんて、奥さんが亡くなったような台詞を思い浮かべた私は唾と一緒に飲み込んだ。


「んっ。そ、そうですかっ、そうですね…。

ええっと。そ、そろそろ奥さんも、隠れるのに飽きて、戻ってこられる兆しかも知れませんね。」

私は、何を話してしまったのだろう?

とにかく、何か、早口で慰めの言葉を口にして溶生の笑いを誘った。


溶生は、ふふっ、と、寂しそうに笑うと、とても愛しいと言った顔で私にこう言った。

「池上さん、あなたは良い(ひと)だ。」


それは穏やかで、おおらかで辛いことを乗り越えた行者のような笑顔だった。


ああ…。私は、きっと、あの時の溶生さんの笑顔を忘れることはないだろう。

何百年と語り継がれる名画のような、あの、美しい笑顔を。


その瞬間、私はインターネットの噂話をすべて頭から削除した。


私にとって若葉溶生は永遠のスターなのだ。


浮気がバレて妻を殺すような、低俗な人物であるわけがない。


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