第1話 学校が見つからなかったので訂正印を押しました
なんか思いついたので、ぼちぼち書きます。
ハンコ屋の一人息子である武田虎之輔くんには、怪異が見える。
死霊のクサい息をかぎわけ、憑き物とか狐狸妖怪の類を看破できる。
いつの頃からかは定かでないが、少なくとも片腕を失った頃には、虎のような猛獣の姿や、長いアゴひげをたくわえた仙人らしき老人を見た記憶がある。
何かを失えば、何かを手にする。
たいていは大切なものを失い、代わりに、どうでもいいものを押しつけられるものだ。
人、これを天命という。
「おーいトラぁ」
長い髪を後ろに縛った少女が、いきなり目の前に現れる。
「おはよう、鶴来さん。今日も美人だね」
武田くんには右腕がない。
そのかわり、鶴来さんが文字通りに彼の片腕となって、甲斐甲斐しく世話をしている。
幼なじみらしいが、はたからは主従関係にしか見えない。
これは、そんな不思議な二人の物語である。
「どうしたの、汗だくで。今日は陸上部の助っ人?」
「学校に辿り着けないんだっ」
「そりゃまた方向音痴だね」
武田くんだけは、同じ高校の生徒たちが、あっちへウロウロ、こっちへウロウロするのを脇目にして、まっすぐ校門へたどりつく。
彼の右肩に手をそえていた鶴来さんも、今度は無事に到着できた。
なるほど、校門は閉ざされ、なにか奉書紙のようなものが貼られている。
「このせいで、みんな校門を見失ってるんだね」
鶴来さんが引っ張ろうとするのを
「あーダメダメ、傷つけたら怒られる」
やんわりと制止する。
「誰にだっ」
「天帝様……かな」
「そいつは強いのかっ」
「鶴来さんより、ずっと強いよ。刀で斬りかかっても死なないし、かえって余計に怒られる」
「それは仕方ないなっ」
鶴来さんは素直だ。
「こういう命令書って、ぼくらが思ってる以上に強制力があるんだよ」
「なんと、これは命令書なのかっ」
「うん。しかし白紙とは困った。なまじ命令が書かれてないから、ずっと案件が保留になってるんだよ。どうすれば門に入っていいとか、誰からの命令か書いてあれば、まだ対応できるんだけど」
「要するに、バグっているわけだなっ。しかし奇妙だ。書いている最中に、用事を思い出したのだろうかっ」
「うーん。貼ってから書こうとしたのかもね。それで見失ったとか」
「それはずいぶん間抜けなことだなっ」
「わりとあるんだよね。素人さんは」
仕方なしに、武田くんは、カバンから革袋を取り出した。
中身は銀色の角印だ。篆書体で「密刻宝印」と彫られている。
朱肉をたっぷりつけ、まっ白な奉書紙に一度押したあと、その右肩に、さらに押す。
「これはどういう意味なんだっ」
「訂正印だよ。一度目が命令の承認で、二度目がその取り消し。これでこの紙は無効になった」
「そういうものなのかっ」
はらりと奉書紙が落ちて、霧のように消えた。
すると、ぞろぞろ他の学生も集まりはじめた。
「やばーい、道に迷っちゃったよー」
「遅刻遅刻ー」
「あれ、もう閉まっちゃった?」
「ごめーん、いまから開ける~」
教師がかけつけて、セキュリティーカードを差しながら、暗証番号を入力する。
「先生も辿り着けなかったようだなっ」
「うーん、誰のイタズラだったんだろう。やるなら体育祭当日にしとけよ」
とはいえ、こういうトラブルは日常茶飯事だった。
ただ、誰もそれが怪異や術士のシワザと気付いていないだけなのだ。