第一話〈幕間〉
【刻印魔法】
あらかじめ物や道具に魔法式を刻み込んでおくことで、常に一定の魔法を使用可能にしたもの。
魔法式を刻まれた物を「刻印具」という。
ただし魔力を通すという行為は、その物に大きな負荷を与える行為であるため、素材によっては数度の使用で壊れる場合もある。
立式のタイムラグを省くことが出来るため、戦闘向きの魔法といえる。
基本的には魔法と親和性の高い物(銀など)を刻印具にする。
アンティークショップ『岬亭』に、緊急警報が鳴り響いた。
無論、これは限られた人間にしか聞こえることのない警報だ。
一向に客の来ない店番をしていた蓮治の顔つきが、即座に真剣なものへと変わる。
それは岬蓮治としての顔ではない。立風市を預かる魔法士としての顔だった。
(この俺の探査網を抜けた、だと?)
顔色には一つの変化も無かったが、蓮治は少なからず動揺していた。
ここ数日、あれの胎動が激しくなっていたこともあり、一層の警戒体制を敷いていたのだ。
だというにもかかわらず、この緊急警報である。
警報レベルは四。すなわち、幻獣以上の顕在魔力が検出されたということだった。
蓮治は店の看板を『準備中』に変えると、地下室へ急いだ。
そこは魔法結社ミュトスの支部機能を備えた、前線基地である。
「起きろ」
デスクに座りパーソナルコンピューターを起動しながら、蓮治は傍らのライフル銃に手を伸ばした。スイスで開発されたK三十一ライフルの名で知られる代物だ。
丸い輪っかのような安全装置を解除し、直動式ボルトをスライドさせて弾丸を装填する。
その装填動作をトリガーとして、複雑な魔法式が光を伴いながら銃身へ絡みついた。
蓮治がライフル銃を手放すと、その銃身はまるで宙に固定されたかのように浮遊し、淡い緑の光が人の姿を形成していった。
それこそが、彼女の目覚めである。
「おはようございます、マスター」
一際眩しい光が消えると、ライフル銃はその身を妙齢の女性へと変貌させていた。
艶のある黒髪を後ろでまとめ、その銀の瞳は真摯な輝きを湛えている。
彼女こそは、稀代の刻印魔法技師でもある蓮治が作り上げた人造の精霊。
その名を、ミアナといった。
「状況は?」
蓮治がミアナに問いかける。
そもそも精霊とは、魔法式の集束体である。蓮治のサポートを行うために作り上げられた彼女は、立風市全域に張り巡らされた広域魔力探査網に加え、岬亭地下前線基地のシステムとも接続されている。
待機状態であってもそれは変わらず、言うなればミアナは立風市で発生した魔法の痕跡なら、いつでも手に取るように分かるのだ。
「幻獣の顕在魔力反応を確認しました。修正力によって削られていますが、脅威です」
魔法世界は、現世界と比べて潜在する魔力が多い。そのため、現世界と比べてゆるやかなサイクルで生命の活動が行われている。
そんな世界からこちら側へ魔力が移動する際、修正力と呼ばれるものが働く。強大な魔力ほど、世界を渡る際にその大部分を削り取られてしまうのだ。
それをある程度とはいえ防ぐものが、蓮治の管理するゲートである。立風市の四方に配置されたゲートは、本来は世界間の魔力循環システムである。
本来の目的を外れた副次的な機能として、ゲートを介すことで世界移動の修正力が緩和されることが確認されていた。
「探査網を抜けたな。これは召喚か?」
「その可能性が高いかと」
蓮治は息を吐く。通常、なんらかのアクシデントで魔法世界のものが現世界に来るときは、超空間に突入した時点で探査網に引っかかるのだ。
それが今回は無く、何もない点に突如として巨大な魔力が現れたのである。
無論、蓮治の管理するゲートにも反応は無かった。
つまりは巧妙に探査網から隠ぺいされた、ゲートを介さない召喚魔法。考えられる可能性の一つだった。
「だがそれ程の魔法士が……」
ふと、蓮治の頭にある魔法士の存在が思い浮かぶ。だが、それはあり得ないとすぐに蓮治は頭を振った。
「周囲は結界状態になっているか。ある意味好都合だな」
世界を渡った影響で、超空間が現実世界を侵食している。表層に被さるもう一つの閉じた世界。魔法士はそれを、結界状態と呼ぶ。
「反応がもう一つあります。これは……」
言いかけて、ミアナは顔色を変えた。
「遥か」
モニターの反応は、あれの胎動だった。
結界内に遥がいる。その事実は、蓮治の顔に哀しみにも似た感情を刻ませた。
(これを、運命というのか)
臨界状態を示すモニターの反応。
それは他でもない、蓮治が彼女に与えた宿業。
人の身で神霊を宿したものが放つ、業火の顕在魔力であった。
【超空間】
現世界と魔法世界の狭間にあるとされる空間。
ゲートを介さない世界移動の際には一時的に世界を侵食し、結界と呼ばれる状態を作り出す。