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STEP CUTE~世界を隔てた断界の炎~  作者: 枯葉野 晴日
第一話【業火の神霊】
5/6

1-4.

【幻獣】

魔法世界に生息する、強大な魔法生物。

弱い個体でも人間の数倍の潜在魔力を持つ。

本来であれば現世界に顕現することは無い。


 低い、怖気のする唸り声が聞こえてきた。それは昔、蓮治に連れて行って貰った動物園で耳にした、ライオンの唸り声に似ていた。

 遥は自分の背後に、何かの気配を感じ取った。

 そう遠くない距離に、何かが居る。

 背中を貫く気配に、ぴたりと当てはまる言葉があった。

 ――殺気。


「一体、何が……!」


 振り返った遥は、その異常を目の当たりにした。

 それは獣だった。

 四つ足で立つ、ライオンに似た獣。

 だがそのたてがみは、水晶にも似た結晶で出来ていた。

 いや、違う。あれは氷だと、遥は直感した。

 その体躯も、常識外だった。

 我彼の距離は、およそ十メートル。にもかかわらず、その巨躯は圧倒的な威圧感を放っていた。

 四つ足で伏せた状態でなお、遥の身の丈を越える大きさ。全長は果たして、何メートルになるのか。

 開かれた口腔には、鋭く尖った銀の牙。

 見開かれた眼は、蒼い光を放って遥を捉えている。

 氷の獣は、涎を垂らしながら遥に向かって唸り声を上げている。

 遥は、頭が真っ白になりながらも感じ取っていた。


(食べる気だ、私を)


 殺気の正体は、食欲。

 生態系の食物連鎖。

 そして一流の狩人である獣が殺気を放つのは――確実に仕留められる距離に他ならない。


「あ、あああああ!」


 恐怖に叫び声を上げる遥。

 それを合図に、氷の獣が飛び掛かって来た。

 十メートルの距離を、一足に詰めてその牙を遥に突き立てんとする。

 自分に向かってくる死を見つめながら、遥は過去を振り返っていた。

 再会した尊人、ずっと傍にいた氷雨。二人とは、また昔みたいに笑い合えると思った。

 いつも面倒を見てくれた蓮治。家にいることは少なかったが、優しく頭を撫でてくれた父。

 迷惑ばかり掛けていたかもしれないけど、いつだって見守ってくれていた二人だ。

 そして、母。

 誰よりも大好きだった、母。

 強く、優しく、日向のような笑顔でいっぱいに抱きしめてくれた、母。

 どこよりも温かかった、母の腕の中。

 何より心を落ち着かせてくれた、花のような香り。

 いつか私が大きくなったら、その時は。

 それはもう叶うことのない約束。

 遠い昔に、忘れていた約束。

 もういない、母の。

 

 私が、殺した母。

 

 その瞬間、遥の内で何かが弾けた。

 断片的に見えるのは、走馬燈ではない。

 炎だ。

 抜けるような青空と、深い海の狭間で。

 荒れ果てた大地を、歩いていく獣が。

 その身を太陽とした、己の。

 纏う紅蓮の炎だった。

 

 翳した右手から、火炎の塊が放たれる。

 それは氷の獣が大きく開けた口に、直撃した。


「――――!!?」


 声にならない啼き声を上げて、氷の獣は爆発の余波と共に数メートル吹き飛ばされた。

 コンクリートを捲り上げながら、地面に爪を引きずった痕が刻まれる。


「なに……? 今のは、私……が?」


 自分の右手に目を落としながら、遥は戸惑っていた。

 自分は、生きている。

 それはあまりにも強烈な、身を焦がすほどの感動だった。

 それはあまりにも鮮明な、焼けるような生の実感だった。


「グオオ……!」


 遥は再び、氷の獣に目を向ける。

 手負いの獣は先ほどよりも濃密な殺気を放ち、遥を睨み付けていた。

 遥に焼かれたその口腔は、醜く焼け爛れ、砕けた牙が音を立てて落ちる。

 肉の焼ける臭いが、遥の鼻にまで届いていた。


「まだ……やるの……?」


 遥の戸惑いを、氷の獣は唸り声と共に射殺した。

 またも距離を一足に詰める、猛烈な突進。

 颶風を伴いながら迫るその巨躯は、当たれば無事では済まない弾丸と化している。

 しかし遥の足は、自然に動いていた。

 飛び込むように突進をかわし、前転して獣の左側面に回り込む。


「もう……やめてっ!」


 自然と伸びた右手から、またも豪炎が噴き出した。

 至近距離で横っ腹に爆撃を与えられた氷の獣は、身を曲げて宙を舞った。

 地鳴りと共に、獣は地に倒れ伏す。


「一体、何なのこれ……分からない、分からないけど……」


 分からないけど、決していい気分ではない。

 満身創痍という様子で、しかし氷の獣はまだ遥への敵意を消そうとしない。


「やめよう、こんなの……これ以上やったら、私は」


 その先の言葉を、遥は飲み込んだ。


『何をしている』


 その時、遥の頭の中に声が響いた。


「え……だ、誰っ……!?」


『殺せば良いではないか。あれは、我とお前を狙っているのだぞ』


 遥の質問を黙殺し、頭の声はその言葉の端に殺意を滲ませた。

 頭の声は、殺せという。

 でなければ、己が死ぬぞと。

 それは当たり前の話だった。

 相手は、生態系の食物連鎖で遥を喰らおうとしているのだ。

 そこには情けも慈悲も介在する余地は無い。

 やらねば、やられる。

 そして、遥の手にはやるだけの力が宿っていた。

 これはもう、そんな極めてシンプルな話だ。

 やるか、やられるか。


「で、でも……」


『でも、もあるか。大人しく喰われてやる気か?』


 頭の声は、遥に決断を促す。

 残酷なまでのリアルだった。


「だって……あれも、生きて……」


『だって、もあるか。生きているのは我彼も同じだろう』


 遥が攻めあぐねている内に、氷の獣は体勢を整えていた。

 また、あの突進が来る。

 私が、殺す?

 あの生き物を、殺す?


「うっ……おえっ……」


 猛烈な忌避感と共に、吐き気が込み上げてくる。


『来るぞっ!』


 頭の声が、遥に檄を飛ばす。

 口を抑えながら、遥は転がるように氷の獣の突進をかわした。


「うぶっ……げぇえっ!」


 受け身も取れず地面に体を打ち付けた遥は、たまらず嘔吐した。

 ばしゃりと地面に、胃の内容物がぶちまけられる。


「グオオッ!」


 それを好機と、氷の獣はその爪で遥を引き裂かんとした。

 水晶のような爪が、遥に襲い掛かる。


『この、半端者が……!』


 怒りに満ちた、頭の声。

 それと同時に、遥の体から急に現実感が失われた。

 四肢の先端から、感覚が消えていく。

 代わりに、例えるなら根の張るような歪な熱が、体の中心から広がっていくようだった。


「「ふん、言葉も解さぬ下等生物め」」


 遥の口が、自分の意思とは関係ない言葉を吐く。

 それは先ほどまで頭に響いていた声の主が発する言葉だった。

 遥の体が起き上がり、同時に火柱が立ち上った。

 渦巻く火炎は、氷の獣の爪を溶かし弾く。


「「慣らしには丁度いいだろう」」


 しかとその両足で、遥は立っていた。

 だが、それは遥であって遥でなかった。

 肩にかかるまでの髪は、眩しい橙色に染め上げられ。

 開かれた両眼は、燃える朱に輝きを増し。

 頬に浮かぶは紅蓮の紋様。

 性別を超えた聖性を纏った顔は、不敵な笑みを浮かべていた。


「「さて、見せてやろう」」


 その背から、炎の翼が噴出する。

 その威風は、炎の天使か。それとも炎の悪魔か。


「「この身こそが、業火の化身だ」」


 氷の獣に、言うなれば恐怖という感情が見えた。

 獣の内から、冷気が発生していく。少しでも目の前の炎に対抗しようという策だろうか。

 氷晶のたてがみはその大きさを増し、巨大な氷柱となって遥だった存在に向けられた。


「「面白い。やってみせろ」」


 挑発するように、遥だった存在は手招きしてみせた。


「ウォオオオオオオオオ!」


 咆哮一閃。

 氷の獣がその頭を振ると同時に、氷柱が発射される。

 一撃必殺の、まさしく氷のミサイルだ。


「「手緩い」」


 遥だった存在は、超高速で己に迫る氷のミサイルに向かって、まるで問題でもないという風に手の平を向けた。

 それは制御された炎が放つ、熱線だった。

 氷のミサイルを包み込んでなお余りある、極太のレーザー。

 それは氷のミサイルを跡形もなく消し去り、勢いそのままに氷の獣を飲み込んだ。


「――――」


 断末魔すら、最早聞こえることは無かった。

 レーザーはその破壊力の痕跡を刻みながら過ぎ去り。

 氷の獣は、その巨躯がまるで最初から存在していなかったかのように。

 この世から、姿を消していた。


「「ここまで……か」」


 呟きと共に、遥の感覚が蘇ってくる。

 遥は、音の無い世界で一人立ち尽くしていた。


「……た……」


 焦点の合わない目で、震える己が身を抱きしめる。


「私がっ……殺し……た……!」


 またも吐き気が込み上げる。もう吐くものもなく、遥は胃液をぶち撒けた。

 体の震えが止まらなかった。

 自分の手で、他の命を奪った。

 その事実は遥にとって余りに重かった。

 何よりそれは、その事実は、遥の心的外傷を深く抉るものだった。

 気付けば遥は、立っていられなくなっていた。その場にしゃがみ込み、ひたすらに嗚咽を漏らす。

 遥は失禁すらしていた。生暖かい広がりが、地面に染み込んでいく。

 涙がとめどなく零れ、息が苦しくなった。いや、もう満足に呼吸も出来なくなっていた。

 絶え絶えに、息ともいえない呼気を上げて、とうとう遥は倒れ込んだ。

 力が入らない。

 息が出来ない。

 その意識が暗闇に落ちる寸前、遥が霞み見たものは、自分のよく知る人物だった。

【遥の心的外傷】

繰り返し見るも起きる頃には忘れてしまっていた悪夢は、無意識に“ある記憶”を封じ込めていた。

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