プロローグ
【魔力】
生命エネルギーともいえるもの。
魔力には次の二種類がある。
【潜在魔力】
生命エネルギーとして人に潜在する魔力。
日常生活でも消費されるものであり、休息を取ったり、食事をすることで回復する。
普通の生活を送っていればまず枯渇することはない。
最大値は生まれつき決まっており、基本的には大きく変化しないとされる。
潜在魔力の枯渇=生命エネルギーの枯渇であり、すなわち死を意味する。
【顕在魔力】
人が一度に表出させることの出来る魔力。
いわば、魔力の出力値のようなもの。
基本的には潜在魔力に応じて決まるものだが、稀にそのバランスが取れない者もいる。
訓練によって最大値を上げることが可能。
顕在魔力が大きいほど、大規模な立式魔法=大規模な現象を発生させることが出来る。
夕闇の中、一つの火柱が天を衝いた。
それは尋常ならざる魔力の奔流。世界に再現された、原初の炎。
吹きあがる炎は、廃工場の天井を貫き、なおも勢いをまして暗雲を突き抜ける。
火柱が噴出したその中心には、肩にかかるまでの髪を眩しい橙に染め上げて、一人の少女が立っていた。
まだあどけなさの残る顔立ちは、性別を超えた聖性を纏い、固く閉じられた瞳の色は、伺い知ることも出来ない。
紺のブレザーに赤いチェックのスカートという、どこにでもいそうな制服姿だったが、その装飾の端々は擦れ切れ、焦げ付き、先ほどまでの激戦を物語っている。
だが、何より目を引くのは、その背中である。
身に収まり切らぬ苛烈な炎が、翼の如く噴出しているその様相。言うなれば、炎の天使。
「この異常な顕在魔力……お前、本当に人間なのか……?」
少女に相対する男が、炎に照らされてなお、その顔を青白くさせて呟く。
えんじ色のコートに身をつつんだ、瘦身長身の男。
年若く見える相貌に対し、艶もなく傷んだ白髪。顔半分を紫のヴェールで覆っているせいで、なおさら若者とも、老人とも取れるような容姿を作り出していた。
手につけた奇妙な手袋の指先には、常識外の熱量で焼き切られた糸の残骸が見える。
今の今まで、男は優位に事を運んでいた筈だった。だが、この炎の奔流は、たった一撃で男の優位を失わせた。
男の薄青い双眼には、はっきりと目の前の少女に対する恐怖が映っていた。
人の領分をはるかに超えた顕在魔力量。ケチな魔法結社が、こんなものを“こちらの世界”に許すとも思えない。
ならば、この小娘は――己と同じく“外れた”魔法士なのか。
「こんな……こんな馬鹿げたことがあるものか……! なんだそれは……なんなのだ!」
取り乱しながらも、男は追撃を加えるべく、コートの懐から新たな糸を引き出す。
禁呪立式魔法「傀儡式」――糸をもって対象を意のままに操る、協定違反の非合法魔法だ。
男の名は、グース・ド・フランドランと言った。禁呪を用い、数々の実験を行ったせいで、今は魔法結社より犯罪者として追われる身である。
グースは、近くにある廃材のH型鉄骨に、両手の糸を伸ばした。
五指から伸びる魔力糸は、グースの神経延長ともいえる代物だ。一メートルほどの鉄骨に、五指それぞれから伸びた糸が絡みつき、一体化していく。傀儡式の完成だ。
最早それは、ただの鉄骨ではなかった。傀儡式の完成した今、両手の五指それぞれ、都合十本の鉄骨は、グースの指先と同義である。
「認めるか……そんな出鱈目、私は認めんぞ……!」
グースが腕を振るうと同時に、十本の鉄骨が少女へと襲い掛かる。一本当たり五十キログラムはあろう鉄骨は、必殺の物理攻撃と化した筈だった。
「「ぬるい」」
それは、まるで二つの意思が重なったかのような、不思議な響きの声だった。
少女が呟くと共に、辺りに吹き荒れていた炎は意思を持ったかの如く、迫り来る鉄骨に纏い付き、飲み込んだ。
「何……!?」
グースは再度、驚愕に目を剥いた。
鉄骨は一瞬で蒸発し尽くされ、次の瞬間にはその存在を消し去られていたのである。
「「暫くぶりに、頭にきたぞ」」
ゆっくりと、少女が双眸を開く。頬に浮かび上がるは、紅蓮の魔力紋。朱く燃えるような瞳は、憤怒の感情をもって、目の前のグースを見据えていた。
「「下衆め。お前は消し炭では許してやらん」」
身にまとう炎はそのままに、少女が足を踏み出す。焼け付く音と共に、炎がうねりを上げてその身を取り囲む。
「や、やめっ……」
「「命乞いも許さん」」
一歩、また一歩と少女はグースに近づく。強烈な怒りという感情を孕んだ熱量が、熱風と共にグースに吹き付ける。
「違う、私は、こんな……」
「「言い訳も聞かん」」
近づく熱量が、炎が、グースの肌をじりじりと焼いていく。だがグースは少女から目を逸らさない、いや、逸らせなかった。
確実に迫る死は、誰も見て見ぬ振りは出来ないのだ。
「ほ、ほら、もうお前の友達の傀儡式だって、とっくに解いているじゃあないか」
「「最早、語ることも無い」」
グースにあと一歩の距離まで近づいた少女。
誇りも何もかも捨てて、必死で赦しを乞うグースだったが、朱い眼はそれを黙殺する。
その姿は、今や炎の天使などでは無かった。
それは業火の化身。罪人を苛み浄化する、煉獄の体現者だった。
「「六根に至るまで、焼き尽くしてくれる!」」
踏み出した最後の一歩が、地に業火の烙印を刻む。
蹴り出した右足から発生した力は、右足首、右膝、右股関節、腰、背中、右肩、右肘、右手首と、全身を駆け巡りながら、繰り出される右拳へと収束される。
放たれるは、太陽が如き紅炎。あらゆるものを焼き尽くし、燃え果てさせる一撃だ。
だがその一撃は、解き放たれる――寸前に、すべての炎共々消え去った。
「……え?」
呆けるグースの腹部に、一瞬遅れて手痛い一撃と化した右拳が突き刺さる。
教科書のような右ボディストレート。
少しでも格闘技に明るい者なら、その一撃が如何に重く、そして復帰不能なダメージを与えるかが容易に見て取れる。それ程までのクリーンヒットだった。
「っっっぼぉ!?」
胃を正確に撃ち抜かれたグースは、腹部を抱えて前のめりに倒れ、少女の足元で地獄の苦しみを味わうことになる。
「っがぁ! げほぉっ!」
のたうち回るグースを見下ろしながら、少女は臨戦態勢を解く。
橙の髪は、艶のある黒髪に。
朱い眼は、深みのある茶色に。
紅蓮の魔力紋は消え、身を焼く程に放たれていた熱と炎も、跡形もなく収まっていた。
『何故止めた』
少女の脳内に、声が響く。その声は苛立ちを隠そうともせず、まだ燻る怒りに満ちていた。
「こんな奴でも、殺すことはないって……そう思っただけ」
息をつきながら、少女は自身の焦げつき擦り切れた制服を、眉をひそめながら確認する。
卸したての制服は、どうやら買い替えということになりそうだった。
「あーあ、こりゃもうダメか……経費で落ちるのかなぁ? 落ちるといいけど……」
スカートの裾をつまみ、溜息をつく少女。心底残念そうに、傷んだ制服に頭を抱える。
その時、少女の背中から橙の光球が飛び出した。
橙の光球は、見る間に人の形を成していく。
現れたのは、燃える翼を背に生やした、童話の妖精よりは尊大に見える小さなヒトだった。
手に乗る程の大きさの、その小さな存在。橙の長髪に、頬に輝く紅蓮の魔力紋、そして不満に満ちた朱い眼は、先ほどまでの少女の特徴と同じだった。
「ハルカ、今後の為に忠告しておくが、あまり我の意に添わぬことをしないことだ。業火の神霊に逆らうならば、次に焼かれるのは己が身と知れ」
抗議というよりは命令に近いその言葉に対して、ハルカと呼ばれた少女は、呆れたように答える。
「わたしの魔力供給で生きているくせに、どの口が言うんだか。ニアこそ、わたしの体で好き勝手は出来ない――させないって、覚えておいて」
圓堂遥。それが、少女の名前だった。
つい四週間ほど前に、高校生になったばかりの女の子だ。
その隣に浮かぶ小さな人は、業火の神霊と呼ばれるインフェルニア。遥は彼女をニアと呼んでいた。
二人は、故あって魔力――命を共有する存在だった。
「まったく、お前は我に対して尊敬というものが足りん。後ろ盾無しには原形魔法の一つも使えぬくせに、何だその態度は」
「ニアこそ、うちの食費でご飯食べてるくせして、わたしに対する配慮が足りてないと思うんだけどなぁ?」
にらみ合う二人。
その時、二人の口喧嘩を止めるように、遥の携帯端末が鳴った。
「もしもし? あ、蓮兄。うん、こっちは終わったよ」
いまだ苦しみに悶えるグースを見やりながら、遥は通話越しの相手に報告をする。
「おいハルカ、我との話の途中だろう」
「分かった、ミアナさんがすぐ回収に来るんだね。え、うん、少しやり過ぎたかも……」
「ハルカ、報告など後にしろ。決着をつけぬことには収まらぬ」
「ああもう、ニアうるさい! 後にして! あ、ごめん。じゃあ、逃げないようにふん縛っておくね」
通話を切ると同時に、ニアは遥に食って掛かった。
それをどこか楽し気に宥める遥。
二人にとって、こういったやり取りはもう慣れたものだった。
遥はどこにでもいる、普通の女子高生になる筈だった。
四週間前までは、春からの新生活に心躍らせ、高校生らしく部活にバイトに、そんな普通の日々を送るものだと思っていた。
だが、彼女は今――“魔法士”をやっている。
【原形魔法】
最も初歩的な魔法。
個々人の性質が現象化された魔法であり、方向性を持たず局所的に作用する。
原則的に四大元素(火・風・水・土)いずれかの形をとる。
いわゆる超能力と呼ばれるものに近い。
個人の性質≒精神の形が魔法式の役割をして、そこに魔力が通ることで発現する。
例:火の性質を持つ→発火現象を起こす