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その六 やってやろうじゃないの 

「ちょっと角田さん、その指って何よ。「バリア」って、美里が何か汚いことしたとでもいうわけ?あやまんなさいよ!」

 詩子ちゃんはずっと私のそばで激しく言い返してくれた。

 私が何も言い返さないのを、『傷つきすぎたため』と受け取り、代山さんの取り巻きたちが投げつける冷たい視線、言葉に立ち向かった。

 すれ違うたびに「バリア」と呼ばれる、人差し指と親指を突き出すサインを出し、わざと机から筆箱を落としたり、給食を少なく盛り付けたり。そのたびに詩子ちゃんはとがめ立てた。頭ごなしに怒鳴るから、相手も血が上る。あやうくぱちんとひっぱたきそうになる。意外なことに男子連中は気を遣ってくれるのか、割って入ってくる。貴史の時もあったし、他の男子の時もあった。

 『人間失格』と言われたくない、そんな気持ちもあるのだろう。

 沢口先生に何を訴えても、私にはなんの助けにならない。

 よくわかっていたことだった。

「詩子ちゃん、いいよ。私、もうわかってるから」

「何言ってるのよ。美里らしくないよ。美里は何にも悪いことしてないんだよ。いいことしようとしただけなんだよ。なんで、角田さんたちに『バリア』されなくちゃだめなわけ?」

「詩子ちゃんが味方だってだけで、私は嬉しいから。大丈夫。こんなことで、清坂美里はめげたりしませんって」

 もう気にしないようにしよう、そう決めて、私は無視することにした。腹の中は煮え繰り返ることばかり、でも、心の奥で

「絶対、私はまちがってない」

という意地があったのも確かだった。詩子ちゃんも、貴史もみな私の味方でいてくれる。いつも通り、私とふざけあう友だちでいてくれる。

 代山さんの取り巻きたちに何責められたとしても、怖いものはなかった。

 

 木曜日の昼休み、放送委員はミーティングで放送室に行かなくてはならなかった。詩子ちゃんはいなかった。

 いつものように仲良し同士で鬼ごっこをするため外に出ようとした私を、呼び止める声がした。

「清坂さん、ちょっと」

 振り向くと、同じ組の角田留美子さんが立っていた。

「何か用なの」

「あるから呼んでるんじゃない」

 まだ文句をいいたいのだろうか。私は思わずにらみつけた。

「言いたいことがあれば、言えば。私が『人間失格』だとか、非常識だとか。もうそんなのなれちゃってるから平気だもんね」

「ここでは言いたくないから、ちょっと来てよ。あんたと話したいことがあるの」

「こそこそと言うようなことでなければ、ここでしゃべってよ。悪いけど、外で遊びたいから」

「ふうん、やっぱり、怖いんだ。藤野さんとか羽飛がいなければ、言い訳ひとつできないのね」

 しまった、と思ったが、美里も自分を止められなかった。

「なんで詩子ちゃんや貴史のことが出てくるわけ? 私が一人だと何もできないっていいたいの?」

「わかってるじゃない。今は清坂さんだけに話を聞きたいの。とにかく来なさいよ」

「しつこいわね、行けばいいんでしょ。いけば」

 連れて行かれたのは、一年生専用の女子トイレだった。すでに、一年生は午前中で下校してしまった。よっぽどせっぱつまった人でもいない限り、出入りしないであろう場所だ。

 リンチの場所としては最適のところだった。

 からっぽの、汲み取り式の和風トイレが十室、じめじめした雰囲気をかもしだしていた。扉の上には小さな窓がある。そこかだ光が差し込んできているので、真っ暗ではなかった。コンクリートの床が冷え冷えしていた。


 六年生の女子が夏休み前に、気に入らない女子を『リンチ』したという話を聞いたことがあった。人気のない場所でひっぱたかれたり髪の毛を引っ張られたりしたという。

 いつのまにか、代山さんの取り巻きらしい女子が五人ほどならんで待っていた。そして代山さんも背中に隠れて小さく背を丸めていた。私の顔を見ようとはしなかった。

「私に話したいことってなによ」

 誰も味方になりそうな子がいないのを確かめ、私は改めて怒鳴った。七人を前ににして、負けないよう目に力をこめた。

 弱くなってはだめ、負けない負けない。

「あのね、陽子はね」

 角田さんが口を切った。

「清坂さんのせいで一生消えない傷を受けたのよ。あんたが黙っていたらばれなかったのに。もう、陽子は恥ずかしくて外も歩けないのよ。清坂さんみたいに恥知らずじゃないからね」

 代山さんの顔を見た。うつむいて、今にも泣き出しそうな表情だった。

「そこでね」

 いきなり角田さんは私のスカートをめくり上げた。合図だった。ひざより長めの赤いプリーツスカートは私のお気に入りだった。朝、ジーンズにするか迷った。しまったと思う間もなく、周りの女子にけとばされ尻もちをついた、目の前がスカートの赤で埋まった。

「やめなさいよ!何するのよ!」

「成功。風呂敷つつみのできあがり」

 目の前が見えないため立ち上がるのも怖かった。がむしゃらに手をばたつかせ、スカートの真上で結ばれているところを必死でつまんだ。ちょうど、きつく結べる程度の長さだったのが不運だった。

「パンツ丸見えよねえ」

「恥ずかしいよねえ」

 声が聞こえる。頭の中がさらに混乱し、あやうくスカートのホックを壊しそうになった。幸い、結び目をいじくるうちにだんだん緩んできたのがわかった。ふわっとスカートが降りて、私は角田さんたちがくすくす笑っているのを見た。

 もう押さえきない。

 力いっぱい角田さんをひっぱたいた。

「人数がいるからって、甘く見るんじゃないわよ。一体何が言いたいわけ? 私、謝ったじゃない。代山さんに、『おもらししたことをばらしたこと』を謝ったでしょ。なのにずっとこんなことされる筋合いないよ。いくら沢田先生があんたたちをひいきしてるからって言っても、これはリンチだよ。どうする? 言いつけられるよ。この前の六年生のリンチ事件と同じようになったら、どうするの」

 頬を押さえている角田さんに、さっきまでけらけら笑っていた女子のひとりが駆け寄った。かっとなってはたきかえされるかと思い、私はさっと身をよけた。しかし、角田さんは両手を握り締め、私の目をじっと見詰めた。

「言いたかったら言いなさいよ。清坂さん。あんたが正しいことしてるって言い切れるんだったら。私のことを沢口先生がひいきしてるかどうか、そんなのわかんないけど、でも、あんたの性格最低だよ。『人間失格』って先生言ってたけど、今、本当にそう思った」

 あごで切りそろえたおかっぱ髪を振りながら、角田さんは続けた。一重まぶたで、ぴたぴたしたショートパンツ姿だけがやたらと目立っている女子だった。そんな格好してたら太って見えるのに、身体のラインがまるみえの格好でくるんだろう。私はいつも不思議に思っていた。

「角田さんにそんなこと言われたくない」

「私だって言いたくないわよ。あんたなんかとは、こんなことがなければ言い合いする必要なんてなかったよね。陽子のことがなかったら。いい? 清坂さん。私が一番むかむかするのは、あんたがいつも、自分を正しいと思い込んで、私達に迷惑かけることなのよ」

「正しいことを正しいって言って、どこがいけないのよ」

 角田さんの言葉に気押されそうになりながら、私はさらに両足を踏ん張った。動けなかった、と言った方が正しい。五年四組の中で自分が好かれているとは思わなかったし、特に沢口先生からはとことん嫌われているということにも気付いていた。しかし、好き嫌いはともかく、人がいじめられていたらかばうのが当然、私の正義だった。たとえ自分と仲のいい友達であっても、間違っていたら指摘するのが当然だと思っていた。

 それがいけないことだったのだろうか。いや、そんなことはない。

 スカートをめくられて茶巾縛りされるようなことは、全くしていないつもりだった。


「清坂さん、あんた、謝ったから許されると思ってるでしょ」

 一息ついた後、角田さんはゆっくりとした口調で言った。

「今も言ってたよね。『謝ったでしょ。謝ったでしょ』って。でもね、謝っても許されないことってあるし、人の心につけた傷は、簡単に治らないものだと思うよ。今回のことだけじゃなくて、いつもそうだよね。好きな人の話してても、『私、そういうの関係ないから』とか言ってさ。無視するんならそれでもいいよ。なんで、私達の前でそういうこと大声で言うわけ」

「本当に関係ないことを、そう言っちゃいけないってわけ」

 話が飲み込めず、私は言い返した。

「そのくせ、男子たちと遊びまわってるくせに。自分が仲いいからって言って、仲良くなれない女子を馬鹿にした目で見ることないじゃないのよ」

「別に、私、そんなことしてないじゃない。何勘違いしてるってわけ。たまたま仲いい男子がたくさんいるのは私の責任じゃないし、女子だって、あんたたちじゃないけれど友だちいるもん。素直にそう言ったのが悪かったってわけ?」

 私は女子よりも男子と馬鹿やって騒ぐことが多かったし、女子の親友といえる相手よりも貴史の方に話す方が気楽だった。でも、それは自分の性格だし、文句をいわれる筋合いはない。さらに言うなら、男子を意識して陰できゃあきゃあ言って嫌われるよりも、言いたいことを言って騒ぐほうがずっと楽しいのに。意識しないでつぶやいた言葉が、もしかしたら角田さんの耳に届いたのかもしれない。ただし、大声で言ったりした記憶はない。

「でもさ、木村くんの前で言うことはないじゃない。そのくらいのデリカシーは欲しいよね。ね」

 周りの女子に同意を求める角田さん。ひとりひとりが頷いた。

「何を言うことないじゃないって? ああ、代山さんがおもらししたことでしょ。でもからかってきたのは木村なんだから、あいつに言い返さなくてどうするって言うのよ」

 しばらく、角田さんたちは黙った。お互いに顔を見合わせ、何かを目で伝え合っていた。目つきがねばっこい。そういう表情が美里は大嫌いだった。こういう目で語り合った後、美里たちに向かって「ふうん」といった表情を見せる。むかむかした。

「清坂さんが非常識だっていうのは、今言ったことだけどね。あんたってよく、陽子の前で『おもらしした』とかいえるよね。普通、本人がいるんだったら、そんなこと言わないでしょ」

「だって、したことはおもらしなんだから仕方ないじゃない」

「恥ずかしいことを何度も繰り返すのはやめてよ。陽子が思い出したくないことを、清坂さんは何度も言って、周りの人たちに思い出させてしまったんだから。あれでもう、五年生の中で陽子の……したことは、忘れられないことになっちゃったじゃない。清坂さんが何も言わないで、無視していたら、あんなことにはならなかったよ。清坂さんは陽子をかばったとか思ってるかもしれないけど、沢口先生から『人間失格』にならないように、みんなであの時起こったことを忘れようとしていた四組のみんなは、無視してようと決めてたのよ。みんなが一丸となっているのに、どうして清坂さんは平気で混ぜ返すわけ」

「だって、私は間違ったこと、何もしてないもん。そこまで言うなら、私だって言いたいことあるよ。実際起こったことをなかったことにしようなんて、良く平気で言えるよね。代山さん、確かにかわいそうだなって思う。でも、どうしてそんなことになる前に、トイレに行かなかったの。それが私には不思議。あそこでしちゃったら、どういうことになるか、わかってたはずよ。五年生なんだから、それくらいできるよね。で、そのあとみんなにかわいそうがられて、うっかりかばっちゃった私がこういうリンチにあって。ばっかみたいよね。私がすべて悪いみたいで」

「そんな目にあったことないくせに、よく言えるわね、最低女!」

 代山さんは黙ってうなだれていた。本当の声が聞きたいのは、代山さんの方にだった。代山さんが何を考えているのかわからかった。どうして、あの場所でトイレに行かなかったのか、どうしてあそこでもらしてしまったのか、どうして、何も言い訳しないで泣いていたのか。私には全く理解できなかった。

 角田さんは激しく首を振って、さらに続けた。

「あんた陽子がどんなにつらい思いしたか、想像つかないほど、ばかなのね。想像してごらんなさいよ。もし、清坂さんが陽子みたいなことになったら」

「私だったら、その前にトイレに行くって言うわ。だって、そこでしちゃったら、ずっと言われることになるんだから。そのくらいの想像はつくわ」

「男子がいっぱいいるのよ。そこで立てると思う」

「平気よ。もちろん。それにもしも、本当にちびってしまったら、私だったら……」

 しまった、口をすべらせた。がまんできなかった。

「私だったら、他人に手伝ってもらわないで、自分で後片付けするわよ。泣いて貴史たちの助けなんて借りないで、ちゃんと自分でぞうきんもって、片付けて、ひとりで保健室いって、着替えて、帰る。そのくらいの覚悟がなかったら、あんなとこで、おしっこなんてできない」

「どこまでいうなら、じゃあ、やってみてよ」

 

 角田さんの言葉が、一言、響いた。

「明日の五時間目に」

 代山さんをちらりと見て、

「トイレに行きそびれてちょっとした失敗してみてよ」

「どういうこと?」 

 心臓がどくどくと波打ち、自分が先走りすぎたことに、やっと気付いた。

「そして、自分できちんと片付けられるかどうか、やってみてよ。出来ると思う? 陽子のことをばかにするだけのこと、できると思う? もし平気な顔をして、雑巾で拭いて、先生に報告できるんだったら、私はもう清坂さんに何も言わない。でも、自分で何も出来ないくせして、陽子を傷つけるんだったら絶対に許さない」

 手がだんだんがたがたと震えてきた。

 私、とんでもないことになりそうよ。どうしよう。

 誰かに助けを求めたかったけど、誰もいなかった。

 本当に私はひとりぼっちだった。

「もし、それがいやだったら、明日帰りの会で、みんなの前で、土下座してあやまりなさいよ。沢口先生も言ってたし。清坂さんがあやまらない限り軽蔑するってね」

 冗談じゃない。

 教室で、土下座して、あの沢口先生、そして角田さん、代山さんに向かって頭を下げるなんて、絶対に嫌だ。

 うしろにひっこんでおどおどと背を丸めている代山さんの姿を改めて見た。

 もし、私が、したとして、みんなに気付かれたとしても、あんな態度は絶対にしない。

 絶対、にするもんか。

 次の瞬間、勝手に言葉が飛び出していた。

「いいわ、やってやろうじゃないの。明日、図工の時間に、堂々と、すればいいんでしょ。ちゃんと一人で片付けて、着替えて、泣かないで、後始末してみせる。私はそれができるもの。もし私がそうしたら、角田さん、あんたの方こそ帰りの会で土下座しなさいよ。私をリンチしようとしたこと、ばらすから」

 鐘が鳴り、私は背を向けた。次の授業は社会科だ。沢田先生にまた何を言われるかわからない。

 角田さんたちは追いかけてこなかった。言い切った時のすがすがしい気持ちが、教室に向かう廊下の元でだんだん薄れ、席につく頃にはわけのわからないみじめさに変わった。


 隣の席で貴史がノートにアニメのイラストを書いている。息を切らせて詩子ちゃんが放送室から帰ってきた。のそのそと角田さんたちが戻ってきた。代山さんがおどつきながらその後に続いていた。

 土下座するより、ずっとましよ。

 私、間違ったこと、言ってないんだから。

 私、自分のことはちゃんと自分で始末できるんだから。

「どうした、美里。腹痛いのか。さてはあれなのかよ」

 ふだんなら「うるさいわね!このドスケベ!」と張り倒すのが常だろう。

「んなわけないでしょ」

 力なく答え、それっきりにした。

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