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その四 なんだか、こわい

 帰りの会のあと、私は沢口先生に呼びつけられた。

「清坂、終わったらすぐに職員室に来い」

 大体、理由はわかっていた。

 昨日の大立ち回りだ。代山さんを囲む女子のひとりが、誤解曲解溢れる内容を言いつけたらしかった。

 くすくす笑う声が聞こえた。人が叱られるのを見るのが楽しいらしい。

 詩子ちゃんたちには

「かならず行くからね!」

と約束し、大急ぎで職員室に向かった。

 

 どうも沢口先生は、私が代山さんのおもらしをネタにして、三組の男子連中と一芝居打ったと思い込んでいる様子だった。奥の三組担任席では、木村たちも説教を食らっているのが見えた。情けないことに、目をこすっていた。

「どんなにはずかしかったか、考えてみたことはないのか?」

「私、そんなこと知りませんでした」

「代山の気持を察すればこそ、五年四組の仲間としてかばってあげるのが、本当ではないのか?」

「私はかばったつもりでした」

「そうか。清坂、お前は確かに成績はいい。でも肝心な思いやりという気持が欠けた人間だということを、自覚しなくてなならないな。それさえあれば、少しくらいテストの点が悪くても立派な人間として認められるんだがな。いいか、清坂、先生は、お前を軽蔑するぞ」

 思わず言いかえそうとした。すでに沢口先生の目は私を見ていなかった。そばによられるのも気持ち悪い、むかむかする、そういった表情で私に向かってしっしと手を振った。

 これが、貴史の言う、『人間失格』宣言か。

 じっと奥歯をかみ締めた。喉の奥からこみ上げる塊を、押さえつけた。

「よし、帰れ」

 私は一礼し、職員室から出た。まだ木村たちは残されている。

 言い訳する余地を与えてくれなかった。悔しくて泣きたくなったけれども、木村たちのように涙ぐまずにはすんだ。


 木村たちなんて、自分からちょっかりだしてきたくせに、今ごろ泣いてるんだもんね。

 あの姿を、あいつの好きな子に見られたらなんって思うんだろう。

 そう、詩子ちゃんに見られたら。

 ちゃんと貴史から情報はもらってあるんだ。

 木村はそれを知っているから美里に逆らわないんだ。弱み握られてるってわかってるんだもん。

 それに、一歩間違えたら、人間失格の烙印を押されるのが詩子ちゃんだった可能性だってあるんだから。

 詩子ちゃんはあの時、放送委員だったから、休み時間もどってこられなかったんだよ。

 ほんとに木村ってば、情けない奴。

 それにしても全くよく言うわよ。沢口の奴も。

 言いたいことなら山のようにあるわ。


 私を悪玉扱いにするけれども、沢口先生、代山さんの友達、いやいや代山さん本人もおかしい。

 もちろん代山さんをかばうための『人間失格』宣言には何も言い返すことはできない。でも、少しは私の言い分を聞いてほしかった。

 結果から言えば、私は間違った情報のもと、代山さんをかばおうとしただけだ。

 もし、代山さんがどういう立場にあるのかを理解できたならば、私は別の言い方で助けようとしただろう。

「ひとがちょっとしくじったくらいでぴいぴい言うなんて、あんたほんとにガキよね」

 しかし、沢口先生が理想とするかばい方は、あくまでもそんなことがなかったという顔をして、「やめなさいよ」と言うことらしい。

 本当に代山さんがおもらしをしたということだったら、私は嘘が言えなかっただろう。

 嘘をいわなくても代山さんの名誉は守れるはず。

 はっきり言って、沢口先生はうそつきだ。

 そして代山さんの仲間たち。

 私を押しのけて木村とどうしてやりあわなかったのだろうか。

 私がしゃしゃり出てきたから観客になりきっていたくせに。

 最後に代山さんが泣き出すや否や、私に何もかも押しつける。

 自分たちが一番味方だったような顔をして。

「清坂さんっていやな人ね」

 本当は自分がいい子になっていたいだけだったんじゃないの?


 私はそこまで一人、つぶやきながら、少し息をついだ。


 もう一人。

 これは禁句なのかもしれないけど、思うだけならいいよね。

 代山陽子さん。

「トイレに行ってもいいですか」の一言が、どうして言えなかったんだろう。

 人、人、人で体育館は埋まっていたし、途中で席を立ったら絶対目立つに決まっている。

 でも、その場でおしっこをたれるよりは、恥ずかしくないと思う。

 真っ赤になって、びしょびしょの床を見つめてるなんて、私からしたら、あきれてものが言えない。

 そういえば、体育の時間、代山さん、見学していたよね。

 風邪を引いてるわけじゃないし、どうしたのかなと思っていたら、詩子ちゃんが、

「代山さん、あれなのよ」って教えてくれた。生理なんだって。組で一番早かったんでしょ。私にはぜんぜん想像つかないけれど、話を聞いた時はわけのわからないため息と怖さを一緒に感じた。どんな風になるのか、想像がつかなくて、わからない分、怖かった。その怖いことを、毎月代山さんは平気な顔で受け入れてるんでしょ。なんか、大人よね。だから男子の話に夢中になれるのね。

 大人になったはずの代山さんが、まさかトイレにいきそびれて、ちびっちゃうなんて、思ってみなかった。

 男子の品定めばっかりしてるくせに。大人ぶってるくせに。やっちゃったことは幼稚園なみよね。


 一気に心の中で罵った後、すぐに封印した。

 ご飯食べたら楽しいことが待ってるんだから。


 約束どおり詩子ちゃんのいるアイスクリーム屋前に駆けつけた。幸い、遅刻はしないですんだ。

 一つ二百五十円のりんごアイスを受け取り、五人で階段踊り場の休憩椅子に陣取った。灰皿が置いてあるところを見ると、ここは喫煙コーナーらしい。トイレの前にちょうど席が人数分あった。

 喫茶店に入るとお金がなくなるけれど、ここなら何時間いてもただだし怒られない。

 詩子ちゃんはペパーミントアイスを半分なめ終わった。私にも一口すすめてくれて、両足を木の棒のようにぴっと伸ばした。

「だいたいね、沢口はあの人たちをひいきしてるのよ。代山さんたちって確かに可愛いし、『色っぽい』もんね。スケベなのよ。美里がもし代山さんの立場だったら、こんなにかばってもらえないわよ。きっと、代山さんのことだから言い訳しないで可愛い顔して泣き喚いたんじゃない。私、別に代山さんのこと、嫌いじゃないけど」

 防御線を引いて、その後、落とした。

「ひたすらお高く留まっている人って大嫌い」

 何を言いたいかはわかった。詩子ちゃんは『誰がくっついた』『誰が離れた』『誰と誰がどこまでいった』とか、色恋沙汰の話をするのが大嫌いだったのだ。

「ああいう人に限ってさ、『あなたたちって、赤ちゃんね』とかとほざくのよ。何度私、切れそうになったかなあ。だから、代山さんの一件について言いたいことは、『代山さんって、赤ちゃんね』の一言で決まるのよ」

「詩子ちゃんって、結構きついね」

 私はそれだけ答えて、食べるのに専念していた。何か口にしたら、また取り返しのつかないことになりそうだった。詩子ちゃんを信じていないわけではないけど。

 調子付いたのか、他の三人がさえずりだした。私は詩子ちゃんを見ないでうつむいた。きっと泣きべそかいているように思われただろう。

「実はさ、私、あの現場、見ちゃったんだ」

「えー?言わなかったじゃない!」

「言えるわけないでしょが。人間失格だもん。でも、美里をこんな目に合わせた以上、私たちにもかたきとる権利あるわよね。それがねえ」

 声を潜めた分、話はえげつなくなってしまう。女子同士の鉄則だった。

「なんか変なのよ。きょろきょろして、足ばたばた言わせて。おっきなおしりぎゅうぎゅう振って。椅子のすきまから丸見えなのよ。だからあたし聞いたの。『具合悪いの』?って。

「よくそんなの聞けたね」

「まさか、おしっこがまんしてるの??なんて聞けないよ。でも、代山さん、小さい声で『ううん』だって。なら、いいやと思って無視してたけど、すぐにきたわね。腰浮かせたり、ため息ついたり。あまりにもひどいから他の男子も指差して何か言ってるのよ。三組とかが。そして、とうとう」

「とうとう、きたの」

「椅子が、なんか、色変わってきてるじゃあない。ぽたぽたしずくが垂れてるの。で、音がすごかったの。よく冬に水道の蛇口が凍ることあるじゃない?で熱湯かけて溶かすじゃない。その時、氷が落ちてくる音、聞いたことある?一回ぼたっと氷の塊が落ちて、その後、じゃあああって」

「なんだかすごい、リアル」

「生でひとがしているとこ、見たことなかったから、びっくりして、ぼーっとしてたんだ」

「アンモニア、ぷんぷん」

「私の方まで水が流れてきてさ、あせったあせった。私の隣にはたまたま貴史がいたんだけど、私がしたと思ったみたいなのね。軽蔑の目を向けるわけ。冗談じゃないって。だから私、『代山さん、外に出ようね』って声かけて、一緒に体育館を出たの。でもその後は知らないよ。出たとたん、ものすごい格好で代山さん、トイレに駆け込んでしまって、その日はもう見なかったから」

「トイレに……? なぜ?」

「やっぱり、恥ずかしかったんじゃないの。五年生にもなってさ、おもらしなんてした人、普通いる? 見たことある? ないよね。行きたくなったら、ちゃんと行くよね」


 話は続いていた。私は全部聞いていた。いつもならば話に入って一緒に代山さんの悪口を言い合うのだろう。一緒にぼろくそこきおろしているときはすっきりする。

 でも、入ることができなかった。

 今ここにいる五人は、仲良しグループだ。グループの一員だし、違う、おそらく好きになれないグループの子に思いっきり恥をかかせてくれた私を、英雄あつかいしてくれている。

 でも、もし、おしっこをもらしてしまったのが私だったとしたら?

 五人はなんと言うだろうか。

 守ってくれるだろうか。

 それとも影でせせら笑って、

「清坂さんって、赤ちゃんね。普通、五年生にもなって、おもらしした人、いる?」

 と陰口をたたくだろうか。

 口で言っていることと心に思うこととは全く異なるのかもしれない。

 私は決して代山さんのようにはなりたくなかった。

 おもらしもしたくない。表向きだけで親友づらもされたくない。ただ、一人でいいから味方がいてほしい。

 今の私には、誰が本当の味方なのか見分けられなかった。

 もしかしたら誰もいないのかもしれない。それを知る時がいつか来るであろうことも、覚悟していた。いつなのか、わからない。私はただ、怖かった。



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