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その三 よくそんなこと今ごろいえるわね

 次の朝、算数の宿題答えを詩子ちゃんから写させてもらった。

 最初からさぼるつもりではなかった。夜中までシャープペンシルを握り締め、面積を求める文章題を解こうとしたのだ。なのに、教科書の図、長方形が目に入ったとたん思い出したくないものを思い出してしまった。立会演説会、水たまり、次々と手繰り寄せられてしまった。

 『この湖の面積を求めよ』

 『この部屋の面積を求めよ』

 『この紙の面積を求めよ』

 頭の中で勝手に解釈してしまう。

 水っぽくふにゃふにゃしてきたまぶたに、貴史から聞いた立会演説会の様子が浮かび上がってきた。

 四角い体育館、四角い投票用紙、円く広がった湖。その真中に孤島状態で代山さんが座っている。

 さあこの面積を求めよ。

 体育館の面積を。

 投票用紙を。

 代山さんの水たまりを。

 泣きそうな顔をして、でも声は出せずに……あれから答えを導き出す気力はなくなり、私は息苦しい眠りについた。


 思ったとおり、貴史の楽観的想像は外れていた。教室に入るなり、代山さんの面倒をみていた女子たちは、露骨に敵意をあらわして、私を迎えた。

 寝ぼけ眼のまま挨拶をしたけれど、一切無視。

 わざわざ私の座っている机のそばにひとりずつやってきて、

「これから、清坂さんとは絶交するから」

 計十二人。代山さんは入っていなかった。言い捨てていった。

 無視してノートを写していると、教室の後ろ側に固まったあいさつ回りの女子たちが、聞こえごかしに責めたてる声が聞こえた。

「いっつも清坂さんってそうよね。黙っていれば、みんな忘れているのに、なんで騒ぎを広げたがるの」

 こういう場合は、黙っているが勝ち。おなかの中でコンクリートがぴしぴしとかたまっていきそうだった。怒りを代山さんは必死にこらえた。

 いくら「知らなかった」と言い訳しても信じてもらえなかった。

「よくしゃあしゃあと言えるわね。知らないわけじゃないくせに。おもしろがってたんでしょ。陽子がひどい目に合うのを」

 暗黙の了解として、『女子同士の秘密は共有するべきもの』という意識があるのも確かだった。

 ああいうことは自然に伝わるはず、そう決めつけられてしまった。

 

 確かにそうだ。四組内で起こった出来事は、大抵すぐばれるものだった。

 もちろん、絶対に話してはならない人には言わないが、ちょっと仲のよい友達だったら「あのね、誰にも言わないでね」とつい口が緩んでしまう。

 沢口先生の『人間失格』発言は、四組の女子たちの口をきっちりチャックで閉めてしまったらしい。

 私と仲のいい友達も、さらに言うならば貴史ですらも。

 机にうつぶして目が潤みそうになった。息を止めて涙をこらえた。こうすると目を開けているのがちょっと辛いだけで、しずくは垂れてこない。

 私もあの人たちを無視すればいいや。


「ちょっと、それはひどいんじゃない。美里はかばってあげたのよ。逆恨みするなんて、あんたたち馬鹿みたい」

 詩子ちゃんがつかつかと悪口を言う女子達に談判しているらしい。その声が聞こえた。ひくっと、背筋を伸ばした。

 私と同じくらい鼻っ柱が強い、とは貴史と木村がよく言っていたことだった。

 もし昨日の昼休み、私と一緒にいたならば、絶対に援護射撃をしてくれただろう。

 あらためて私の机で立ったまま、詩子ちゃんは私にささやいた。

「美里、泣かないでよ。美里はちっとも悪くないんだからさ」

「私、泣いてないよ」

 私の机にかがみこみ、目を合わせないで励ましてくれた。詩子ちゃんの髪は長い。代山さんと同じくらい腰まであるだろう。束ねないで伸ばしたままにしているせいか、しょっちゅう中学生か高校生に間違えられるという。よく木村が「あの女、色っぽいよな」と噂していたらしい。貴史から聞いたことがある。

「土曜日でしょ。うちに帰って、急いでご飯食べて、みんなでデパート行こうよ。今度、新しいアイスクリーム屋さんが入ったんだって。『イタリアから本場の味到着!』って、昨日の夕刊に載ってたよ」

 本当は小学生だけでデパートに出かけてはいけない決まりになっていた。でも守っている奴なんて、私の周りには誰一人いない。建前の決まりなんて無視していた。

 私を元気づけようとする詩子ちゃんの気持が、アイスクリームよりも甘く、胸にすっと溶けた。

「うん、食べに行ってみたかったんだ」

「じゃ、恵理子たちにも声かけてみるね」

 返事を確認するやいなや、詩子ちゃんは前の席にいる、私と仲のいい友だち三人に誘いをかけ始めた。それぞれが、私の方を振り向いて、頷いてくれた。

 いつもと変わらない今日が始まりそうだった。

 やはり、貴史の予言、当たってた。

 ちらりと隣の席にいる貴史の方を見た。まだ席についていない。おかしい、どこいったんだろう、ともう一度入り口を見たら、違う方向からお下げ髪をひっぱる手が出てきた。

 思わずはらいのけ、私は叫んだ。

「何やってるのよ貴史、人の髪の毛引っ張って何が楽しいっていうの、ばっかみたい」


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