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その一 だって、わかるわけないじゃない!

 白、だいだい、クリーム色。今日のおかずはみかんとりんごのヨーグルトあえ。さっそく私は給食バケツをかかえて盛り付けに回った。カレーもおかずのうちだけど、今日は最初からこちらをやろうと決めていた。だって、カレーって熱いし、服についたら取れにくい。

「おい美里、俺のは大盛りにしろよ」

 びんの牛乳三十五本セットをひとりで運び終わった貴史が、席に戻るやいなや、息をつかせてささやいた。

「だめ、足りなくなっちゃうもん」

「いんけんな性格してるっけ」

「悪かったわね」

 情け容赦なく跳ね返した。それでも貴史の受け皿には一切れか二切れりんごを多く入れてやった。隣の席だもの、ちょっぴり情けをかけてあげる。

 貴史はふくれっつらのままだった。気付いていないのかもしれない。

 小さい時から鈍いのよね、貴史って。

 私は一言「ばあか」とつぶやいた。

「つば入るだろ、しゃべるなよ」

「きたなくて悪かったわね」

五年四組の教室はカレーのにおいでいっぱいだった。ほとんど配り終えたのだろう。カレーをよそう係は代山さんに押し付けた。廊下に背を向けてそおっとカップに注ぎ、熱くならないうちに、運び係のお盆に置く。一枚のお盆で五人分運ぶことができる。

あと一回運べば終わりという時だった。

「あれ、代山が給食盛っているぜ」

間延びした声が教室に響いた。また廊下から響いた。

「あいつの盛ったカレー、しょんべん臭いだろな」

「くそくせえんだよ。色からしてそうだろ」

「まったく、しょんべんたれてるんだもんな」

 三組の男子四人が廊下にたむろっていた。声の主。一人ずつ代山さんの背中に近づき、片手で鼻をつまみ片手で波を作って逃げていった。ハエの真似かもしれない。

代山さんは知らない振りをして最後によそったカレーを、大盛りにしてお盆の上に置いた。後ろを見ずにかっぽう着を脱いだ。

「代山さん、あいつらなんなの?」

 私は、ふらふらしているやつらを目で追い尋ねた。

「……わからない」

「やな奴よね。怒鳴り返せばいいのに」

 あの中に、去年同じ組だった奴が二人いた。私だったら口だけではなく手も使ってやりかえすだろう。

「じゃあ、いただきますするぞ。清坂、代山、早く席に着け」

 沢口先生がもう両手合わせて待っている。

「では、いただきます」

 みんなの合唱いただきます、と同時だった。

「しょんべんたれ! しょんべんたれ!」

 二回、早口に叫び、全速力で声の主どもは姿を消した。


 私は、牛乳一気飲みに挑戦している貴史をつついた。

「木村と橋本でしょ。なんで代山さんにちょっかい出すんだろ」

「知るかよ、そったらこと」

「好きなのかもね」

 私はヨーグルト和え皿のパインをほおばった。頬に垂れた髪が邪魔くさかった。おかっぱというよりも長めの髪を前の方だけ三つ編みにしたせいかもしれない。うつむくと毛先にヨーグルトがついてしまう。二重まぶたの大きな瞳に、にきびひとつない丸顔。同級生に自慢できる肌だった。トレーナーはお気に入りのペパーミントグリーン。短めのキュロットスカートもお気に入りの丈だ。誰も誉めてくれないけれども、私なりにおしゃれしているつもりだった。

 突然、横に頭がのめった。貴史が隣でお下げ髪をひっぱった。

「これ、すげえおもしれえ」

 私は振り払った。思いっきり貴史の足を踏みつけた。

「あんた少しおかしいんじゃない?」

「遊べる髪の毛にしてく美里がわるいんだろ。こう、ぶうらぶうらしていると」

またつかんだ。

「むしょうにひっぱってみたくなるんだよな」

 私は貴史のいすを蹴り倒した。貴史が滑り落ちて尻もちつく様を見て、

「ざまあみろ、ってとこね」

と、笑ってやった。


 昼休みは二十分間。

 私は手つなぎ鬼をするため、グラウンドに出ようとしていた。

なのに、廊下で足止めくらって五分もつぶれてしまった。

 あきもせず、あの連中だ。

「代山のしょんべんたれ!おむつしてきたんだろ!」

 こんな調子ではやし立てた。ひとりは親指と人差し指を立てた。

 要注意人物を表す、「バリア」と呼ばれるサインだ。「さわるべからず」

 あと、十五分しかないのに。

 私はだんだんむかむかしてきた。

 あんたたちは代山さんをからかっておもしろいかもしれないけど、私たちはグラウンドで鬼ごっこしたいんだからね。

「いいかげんにしてやね」

 ついに私は怒鳴った。

 だが、男子連中は顔色ひとつ変えない。ただ、

「清坂には関係ないだろ」

 サッカー少年団所属の木村が、人を見下したようなまなざしで言い捨てた。背は仲間うちで一番高い。顔をはすに向けて流し目を使っている。ばかにしていることは見え見えだった。 でも、そういうところがクールだと言って熱を上げる女子もいることを、私は知っていた。

「ならじゃましないでやね」

「だって、こいつくせえもん」

 木村は代山さんを指して言った。

「それはあんたの鼻がおかしいだけじゃないの」

匂いなんてするわけない。

 私はまわりの匂いをかぐ振りをして合間に陽子を見た。

 代山さんは身長が百五十センチと、女子の中では高いタイプだった。木村にはさすがにかなわないけれど。腰まであるストレートヘアーをポニーテールにしていた。デニムのベストは胸がぱんぱんだった。下がつぼまったスカートをはいている。タイトスカートだと言っていた。

 小柄な私に比べると、腰も腕も肉付きがぜんぜん違った。スカートのおなか周りも腰までぴっちりと張っていた。

 私はあまり代山さんと話したことがない。一緒に行動するグループが違ったせいかもしれない。なんとなく色あいが違っていた。「ちょっと、子供っぽい」といいたげな顔で男子の話ばかりしている。妙にねとねとした話で盛り上がっている。私には縁のない世界だった。

 でも、そんなことはどうでもよかった。

 今、私のしたいことは手つなぎ鬼だった。

 言葉を倍速で発砲した。

「それに、なんでくさいのさ。おならしているわけじゃないし、おしっこくさくもないっしょやね。あんたこそ病院行ったほうがいいんじゃないの。鼻の調子が悪いって」

「こいつほんとうに臭い奴なんだぞ。しょんべんたれなんだもん」

「しょんべんたれって、誰よ」

「ほんとに、なあ、代山、しょんべんたれだもんな」

いやに、「しょんべんたれ」に力がこもる。同じ悪口しか投げつけられない木村たちの言葉レベルに、私は勝つ自信があった。揚げ足とりは私のお家芸だった。

「第一ね、木村って、代山さんがおしっこするとこみたわけなの?」

いきなり露骨に切り出されてあせったらしい。ぎょっとした顔で木村は目をひんむいた。

してやったり。

「もしそうなら、あんたってすけべだね。のぞきしてるんだもん。あんたの好きな人に言ってやるもんね、私、知ってるんだからね」

せえのっ!みなさあん!

 私は廊下で絶叫した。

 良く通る声で、

「五年三組の木村くんは、なんと、のぞき魔だっ……」

 言い終わらぬうちに木村は私の腕をねじ上げた。本気ではなかった。でもちょっとばかり痛い。私はひざで急所を狙った。ねらいどおり木村はしゃがみこんだ。顔を引きつらせて、

「見るわけないだろ!こんな女の」

吐き捨てた。

「じゃあ、しょんべんたれっていうのを取り消しなさいよ。そしてさ、代山さんにあやまんなさいよ」

 絶対勝つ自信がある。

 どんな理由があるにせよ、女子に向かって「しょんべんたれ」と連呼するとは、侮辱するにもほどがある。

 変な誤解を受けてしまうじゃないか。代山さんがおもらししたと思われるじゃない。

「ちょいと待て、清坂」

口を大きく開きかけたまま、美里は振り向いた。

「ほんとうにこいつ、しょんべんたれたんだぜ」

「それっていつよ。そんな昔のこと言ってどうするの」

幼稚園か小学校一年くらいのことだろう、そう美里は思っていた。小さい時の失敗までひっぱりだすなんて、なんとねちねちした奴だろう。決して木村は嫌な奴ではないと、思っていた。でもこういう性格だったとは思わなかった。好みじゃない。

「代山さんがおもらししたとこ、見た人いるの」

「いるぜ、山ほど」

 そういう噂を耳にしたことはなかった。たぶんクラスの違った一、二年あたりのことではないだろうか。教室でかもしれない。ならば見た人もたくさんいるだろう。でも、それはもう時効だろう。私の中ではそうだった。

「あんたの目で見たの」

「俺は、その瞬間を見たもんな」

 きっと、隣の席にでもいたのだろう。

「あんたの記憶力ってすごいのねえ。そんなすけべなことしか覚えられないわけ」

 私の方がここまでは優勢だった。すでに十分経過。教室に残っていた男子もぞろぞろと囲んでいる。はるかかなたより野次馬部隊一組も揃っていた。私たちをぐるりと囲っていた。

「本当だとしてもね。たかが赤ちゃんの頃の話でしょ。今たれたっていうならわかるけどね」

 息もつかずに怒鳴りつけた。

 ここまでいえば、負けを認めるに決まっている。


 とたん、まわりの空気が急にゆるんだ。

 なにか、変なこと、やっちゃったっけ?

 四組の女子達も、まなざしに責めの色が混じり始めていた。代山さんはその女子たちに守られるように隠れ、うつむいていた。ひそひそ声。それを背に木村は復活した。

「なあ、清坂」

 私の苗字を呼び、にやけた。

「こいつがもらしてねえって証拠、あるのかよ」

 証拠は、ない。

 でも本人がいる。

 振り返って代山さんを探した。隠そうとしても隠れられない様子で、もじもじしていた。

 はっきりと「変なこと言わないで」と言い返せば、私だってこんなことに巻き込まれないでうすんだのに。

 投げやりに答えた。

「それは代山さんに聞けばいいっしょ」

木村はまだ手を緩めなかった。どこかおかしかった。計算違いしているようだった。

自分の中に余裕がだんだんなくなっていった。

「昨日のことだぜ。知らないわけないだろ」

思わぬ言葉だった。『昨日』に私はふらついた。ここで負けてはならない、と言い聞かせた。

 きのう、代山さんは普通だったよね。

「ずっと代山さんと一緒だったけど、ぜんぜんそんなことなかったよ。同じ組の私が言っているんだから間違いないもの」

 いや、そういえば……。

 思い当たるふしが、ある。

 でも陽子が……するなんて、ありえない。

「抜けてるのはおめえだよ。教えてやるから黙って聞いてな」

 木村を代表とする三組男子は、廊下にとどろく大音声を上げた。さっきやった私の真似だった。たぶん、どら声の大合唱は、同じ並びにある六年の教室にも聞こえただろう。

「みいなさん、昨日の立会演説会で、五年四組の代山さんは、おっきなおもらしをしました。そんときのしょんべんはとってもおっきくてすごかったので、始末するのがたいへんでした。これはノンフィクションです!」

思っていたとおりだった。


 ──立会演説会。

 やっぱりそこが盲点だったのか。

 そっと同級生たちの顔をうかがった。答えは一目瞭然だった。目をそらせるのは代山さんグループの子。私の仲良したちは意味もなく言葉をつぶやいていた。みさと、みさと、どっかいこうよ、と。信じられないのは私だけだった。

 ひそひそ声と「本当かよ」とささやく男子たち。

 私もいっしょに心でささやいていた。

 つい、口からこぼれた。

「ほんとに、代山さん、あすこで、したの?」

 誰に話し掛けるでもなく、つぶやいた。代山さんにははっきりと聞こえたらしい。

 うん、と答えるかわりに、代山さんは背を丸めて顔をおおってしゃくりあげた。鬼ごっこするはずだった女子たちは、私から離れたところへ代山さんを座らせ、なぐさめの声をかけていた。

 ──要するに。

 代山さんはあんな大きな身体をしているのに、おしっこをもらしてしまったということ。


 鐘が鳴り、後味の悪さをかみ締め、私は教室に入った。

 女子のきついまなざしと、

「清坂さんってば、黙っていればいいのにね。代山さんかわいそう」

を、背に受けて。


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