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竜王と黄金のハート  作者: 葉月秋子
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      8 蔦豆中毒

8 蔦豆中毒


 山のように本を抱えて大汗をかきながら、神官見習いのすりきれた灰色の服を着た若者が庭に入って来る。

 神殿付属の古文書館に勤める、セネカという男だ。


 ゲント男爵という地方貴族の遠縁で、身分は低いのだが、この若さでも古文書の解読にかけては並ぶ者が無い、という学問所の推薦でやって来た男だった。

 子供は苦手のようだったが、竜王と直接話すことが出来る機会を、学者の卵が見逃すわけがない。

 調べものだけでなく何かと用を作っては入り浸り、竜王も百年近い知識のブランクを埋めるのにけっこう重宝している。

 三日に一度、食料を運んでくる従僕たちを除けば、セネカがただ一人の外界との接点と言ってよかった。


 ためらいがちに開け放しの広間を横切り、次の間の大きなテーブルに持ってきた本を積み上げ、台所のエラに声をかける。

「竜王様はお目覚めですか?エラ殿」

 焼き立てのパンを竈から出していたエラは、陽気に頷いた。。

「もうすぐ、ルオー様のお茶の時間ですから。

 今、冷たい薄荷茶をお持ちしますね」

 庭で盛りの薄荷を使い、蜂蜜とライムで風味をつけた夏の飲み物だ。

 井戸でよく冷やされた、水滴の付いた大振りの陶器のマグを渡され、一息で半分ほどあけたセネカはふーっと息を吐いた。

「汗びっしょりじゃありませんか。セネカさん。上着お取りなさいまし」

「いえ、これは見習いの制服ですから」

「遠慮なさらずに、おかしな匂いがしますよ。洗って差し上げますから」

「いえ、これは香を焚き染めているからで・・・ごっ、ご心配なく・・・」

 階下に降りて来たルオーは、テーブルの周りで追いかけっこをしているエラと真っ赤な顔のセネカを見て、きょとんとした。


 奇妙な取り合わせのお茶の時間。


 蜂蜜をたっぷり入れた薄荷茶と出来たての干しブドウ入りの小麦のパンを横に置いて、新しく渡された本をめくる、八歳の少年。

 敏感過ぎる肌を傷めぬように、飾りのないゆったりした服と革のサンダルという軽装をしている。

 ワインの大杯を手に腰を下ろしている、少年の守護者、竜王シルヴァーン。

 瞳を半ば閉ざし、寛いだ姿だが、あたりは彼のオーラに満ちている。

 その横顔が見える斜め後ろの位置に、野菜かごを膝にエラが座り、ルオーの好物のピュレを作るため、半野生化した小指ほどの人参の皮をむくのもそこそこに、幸せそうに美しい竜王を見つめている。

 身分の上下などまったく無視した不思議な調和にまごつきながら話をする青年は、香を焚き込んだ洗いざらしの灰色のローブの、貧しい神官見習い。

 苦労皴のある、神経質そうな顔。竜王の一挙一動に興味深々だが、決して竜王の眼を見ないように気を配っている。

 そのセネカが、古文書をひっくり返した成果を報告する。


「移住後の最初の百年の間に、蔦豆の中毒でだいぶ死者が出ています。毒草として、見つけ次第焼却するよう、命令が出されていました」

「毒草?蔦豆が?」

 エラがびっくりした。

「初めは、そうだったのです。

 農夫のジャイルズと言う者が、毒のない品種を作り出すまでは。

 彼はその功績によって土地を与えられ、郷士となりました。


 芝麦は収穫量が少なく、小麦はうまく育たない。当時の人々にとっては、画期的な食料となったのですが、たまに体に合わないという者が出ました」

 セネカがメモをめくる。

「発疹、発熱、胃腸障害、栄養障害、虚脱、衰弱死。ルオー様と同じ症状かと」

 竜王は黙ってうなずいた。

 黙っていられないのはエラだった。

「まあ・・・まあ・・・だって、蔦豆のお粥は、消化がいいので病人食に使いますわ。

 粉に挽いて、薬湯やスープのとろみ付けにも、パンのつなぎにも」

 あっ、と声をたてる。

「それにお城では、鳥や豚を太らせるのに、餌に混ぜるんです。なんて贅沢な飼い方って思っていました」


「今までルオーが食べていた物、ほとんどすべてに使われていたわけだ」

 竜王が言った。

「はい。仰せの通り、ルオー様は蔦豆中毒だったのだと思います。

 ここ数十年、報告例は無いので、医師たちにも忘れ去られていたのでしょう。

 あと、最初の方々が船に乗せて来た食料がいくつかわかりました。

 林檎と玉ねぎは大丈夫です」

「まあ、うれしい。林檎のパイが作れますよ、ルオー様」

「岩梨と夏桃はいけません。これは、この地に自生していた果実に故郷の名をつけたものです。

 やはり、初期には中毒者が出ています。

 あと、料理以外にもよく使われる、リームの油も・・・」


 話を聞きながら、ルオーは空想の翼をのばす。

 嵐の海岸にボロボロになってたどり着いた、一隻の船。

 戦を逃れ新天地を求めて、勇敢に海に乗り出した、六百年も前のご先祖。

 浜辺にひざまずき、雨に顔を打たれながら感謝を捧げる、逞しい指導者。苦しい航海に耐えた、兵士たち。農夫たち。女子供たち。


 だが、彼等が漂着したのは、まったくの別世界だったのだ。

『嵐の中で、異世界の門が開いたのだ』と、言われる。


 そして、彼等は出会うのだ。

 その荒々しい世界の支配者、偉大な竜王に。


 

 

 

 



 

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