5 百年の不在
5 百年の不在
同じ頃。
典礼をつかさどる神官、『風の一位』は、竜王の前で大汗をかいていた。
昨日と同じに忽然と現れた竜王に大騒ぎした神官達は、式典通りに竜王をもてなそうとしたのだが、相手はどんどん機嫌が悪くなる。
神殿の奥庭に面した贅沢な調度の部屋で、彫刻と毛皮で飾られた長椅子に腰掛けた竜王は、顔をしかめたまま、神官の話を聞いていた。
やがて、うんざりしたように、ため息をついて言った。
「こんな馬鹿げた決まり事を山ほど作った阿呆は誰だ」
『水の一位』にも、やっとわかって来た。
竜王が眠りについている百年の間に、歴代の神官長たちが、神殿の権威を高めるために竜王を神格化し、儀式と身分制度の複雑な迷路を作り上げてしまったのだ。
人間にすれば二、三世代に渡る、竜王の不在の期間。
その途中で、肝心の竜王本人の本質と意志が、すっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。
「ロードリアスの守護聖獣様・・・」
『風の一位』が呼びかける。
「そんなものになった覚えはない」
竜王の答えはそっけない。
腕を拡げ、壮麗な神殿を示す。
「このうっとおしい建物はなんだ。
私が眠りにつく時、この岩山と森には足を踏み入れるなと命じたはずだ。
ここにあったのはエディの小屋だけだったのだぞ」
そのエディの小屋とは、九十数年前の、第三竜王期最後の『黄金のハート』、偉大なる聖者エドゥアルトの庵の事だと、『風の一位』が気づくまでに数秒かかった。
「庵は・・・まだございます。この神殿の地下に黄金で囲われ、聖なる遺物となって」
竜王は片手で眼を覆った。
ため息。
「よいか、ではこういうことだ。
私は私の領土に人間が住むのを許す。活動期の百年の間、私の下で魔獣たちから身を守れるように。
だが、人間共の営みにも政にも興味はない。
私に近づくな。私の邪魔をするな。
それだけだ」
神として祭り、讃えてきたはずの相手から身も蓋もない言葉を聞かされて、神官は眼を白黒させる。
いままで築いてきた、竜王様の神話は、華麗な式典の数々は、いったい何だったんだ・・・。
竜王は立ち上がった。
神官を見下ろし、微かに笑う。
「六年後、私が竜に変われば、言った意味がわかろう」
黄金の眼の巨大な虎に笑いかけられたように、神官は震えた。背に冷や汗が流れる。
だが、あと一つだけ。
「尊き竜王様、我等神官はすべて、貴方様の下僕でございます。
どうか、貴方様にお仕えする『黄金のハート』をお選びくださいますよう・・・」
「なんだ、それは」
『風の一位』は腰がくだけそうになった。
「り、竜王様にお仕えし、竜と人との懸け橋となる、ただ一人の神聖な・・・」
「ああ。あの子供はどうした?」
「・・・は?」