8 ホーン その8
8 ホーン その8
ホーンは逡巡していた。
「悪霊の森」と呼ばれ、人間の近づかぬ原始の森の境界を出て数日。
この辺りはもう、狩人や冒険者が紛れ込む森林地帯だ。
これ以上、人間に近づきたくない。
このまま、方向だけ示して、別れればいいだけだ。
しかし・・・。
素直に後をついてくる少年を、目の端に捕らえ、迷う。
同族にあれだけ傷つけられたこの子を、またあいつらの中に返していいものか。
たしか人間の群れに受け入れられるには、「ふく」、とか「かね」、とか「こね」、とやらがいるのだったか・・・。
もうおぼろげな記憶を辿ろうとしたホーンは、こみ上げる怒りと憎悪に激しく頭を振った。
力任せに打ち下ろされた蹄が地面をえぐる。
忘れたい過去を、思い出してしまった。
ここまで気持ちを乱す人の子を、もう傍に置いておきたくない。
何を迷うことがある。
[行く、といったのはそなただ。さあ、行ってしまえ]
望みどおりに、立ち去るがいい。
・・・うむ・・・しかしまだ森は深いな・・・。
あと一日だけ、先導してやるか・・・。
その朝、獣が姿を現し、自分から近づいて来たので、少年は驚いた。
傍らに立ち、不安げに耳を動かす。
ぐい、と頭を振って、来た道を戻れという。
少し離れた処で、鳥の群れが騒がしく鳴きたて飛び立った。
獣の心が嫌悪でささくれ立っているのを感じる。
『出会いたくない奴らが近づいている。
隠れて、やり過ごすぞ』
嫌そうに、届く心話。
促されてくぼ地の藪に身をひそめると、しばらくして数人の男たちが現れた。
森に慣れた静かな動き。使い込まれた弓矢と腰の山刀。
猟師たちだ。
『奴らには近づくな。危険なにおいがする。
しばらく隠れてからあちらに向かえ。人間の集団が暮らす場所につく』
すっ、と離れていく、心。
吹き上がる憎悪と嫌悪を押さえつけて。
嫌いな人間のそばに、連れ出してしまった。
案内を頼んだ僕のせいだ。少年は後悔する。
感謝の言葉を向けるが、獣は固く心を閉ざして受け付けない。
藪に隠れた少年に、ふっ、といやなにおいが届いた。
息をひそめてくぼ地に入ってくる、一人の男。
少年に気付かず、弓に矢をつがえ、引き絞る。
その先に。
風上の猟師たちを警戒しながら、去っていく獣。
木立の間にわずかに見える、純白。
『危ない!』
少年の心が激しく叫んだ。
獣の姿を、あの角を、人間に見られたら!
『逃げて!早く行って!森へ帰って!』
猟師の後ろから走り寄り、驚いて振り向く男に体当たりする。
絶対に、絶対に、人間に獣の全身を見せてはいけない。
『早く行って!姿を見せちゃだめだ!』
最後の声は悲鳴に近い。
『もう、僕なんかのために誰も死んじゃいけないっ!』
茂みが大きく揺れた。
大きな獣が走り去る。
猟師の頑丈な手が少年を捕らえ、張り倒した。
華奢な体は吹っ飛んで立ち木にぶつかり、少年は気を失う。
「何だ、このガキは!」
猟師は気味悪そうに近寄った。
「この森に子供だと?
人間なのか?化けもんじゃないのか?」
のぞき込み、意識のない少年の整った顔立ちに気付く。
顎をつかんであちこち向け、着ていたぼろをはぎ取って体を調べる。
にやり、と笑った。
もう、馬などどうでもいい。
狩の獲物より、こちらのほうが何倍も価値がありそうだ。
ぐったりした少年の手足を縛り、担ぐと、矢を回収することも忘れ、足早に去っていく。
ぐずぐずして森の悪霊に取りつかれてはたまらない。
静まった森の奥から、心を震わせるような悲しい叫びが響いた。
それは明確な心話を伴った獣の別れの声、最後にやっと少年の心に呼びかけてくれた声だったが、気を失った少年に届くことはなかった。
『生き延びろ!子供!
生きて、お前が求める者を見つけろ!』




