8 リンダその3
8 リンダその3
竜王が外した後も、ルオーは久しぶりに会った姉を引き止め、お茶に誘う。
出て来たのが薄荷茶と林檎のパイだったので、リンダはホッとした。
田舎風の素朴なパイは見た目こそ悪いが、茶色に焦がした砂糖とざく切りの林檎のからまった感じが何とも言えずおいしかった。
お茶を飲みながら、リンダはいかにも田舎娘といった感じのエラにそっと聞く。
「ねえ、あなたは竜王様が怖くはないの?」
エラは笑った。
「いいえ、ちっとも怖くないです。お優しい方ですわ」
「ほんとに?すごいわね。初めから?」
「ああ、はい、そうです。
怖いと思う前に、なんて美しい殿方だろう、って・・・あっ・・・」
うっかり告白してしまった形になって、エラは真っ赤になってうろたえた。
「そっか。怖がる前に、恋におちちゃったわけね」
「リッ、リンダ様!」
「うん、そうよ。
あんなに凛々しくて美しい方はいないわ。
父上だって、叔父上だって、『火の一位』将軍だって、並んで立ってごらんなさい、まるでかないっこ無いわ。ああ、でも、やっぱりだめ。あの素晴らしい黄金の眼を見つめるなんて。出来ないわ。思っただけで震えて来るわ」
横からルオーも口添えする。
「ほんとに怖くなんかないんですよ、竜王様は」
ふっ、とリンダはため息をつく。
「わかったわ。あなた達が特別なのよ。恋に眼がくらんでいるのが一人、昔からぼーっとしてひとつ抜けてるのが一人ですもの」
褒められたんだかけなされたんだかわからず、ルオーは首をかしげた。
陽が傾いて来たのを知って、リンダは慌てて立ち上がった。
居心地の良さとパイのおかわりにつられて、ついゆっくりしてしまったが、誰にも行き先を告げずに出てきてしまったのだ。
稽古の時間をすっぽかされたダンスの教師が、いつもの事だと苦笑いしているだろう。
あとでしっかり機嫌をとっておかないと。
見送るルオーに言う。
「神殿でお勉強するだけじゃなくて、たまには王宮のほうへいらっしやいよ。でないと、皆、あなたがいる事を忘れちゃうわよ」
ルオーは首を振った。
共感力の強すぎるルオーにとって、王宮の大人たちに蔑まれて来た八年は、まだ生々しく、あまりに辛い日々だったのだ。
「姉上が神殿に来て下さればいいのに」
「私はもう、子供たちと過ごすような歳じゃないの」
リンダはつん、と頭を上げる。
「来年は貴婦人としてお披露目をするんですからね。今年の夏至祭りには白いドレスで、ディオルトにリードされて、踊りの先頭に立つのよ。去年の倍もダンスのレッスンをしてるの。夏までにもう少し背が伸びれば、もっとディオルトとバランスがとれるんだけれど。ディオルトは頭は悪いけど、ああいう所ではすごく見栄えがするの。だから絶対、あなたの暗殺未遂なんて馬鹿げた噂でつまずいて欲しくないわけ。
ああ、でも・・・もし竜王様が、夏至祭りに来て下さったら・・・私と踊って下さったら・・・だめね。だめよね。だめだわ。うん、もちろん。
でも、あなたには来てほしいわ、ルオー。私の弟がこんな綺麗な子になったって自慢したいわ。いらっしゃいね。約束よ。あら、もうこんな時間。じゃ、私、もう行くわ。じゃね、ルオー。元気で綺麗な子になってくれてとてもうれしいわ。あなたが好きよ」
一人でしゃべり続けて、にっこりと笑う。
ルオーは嬉しそうに笑い返した。
この気の強い美しい姉が、昔から好きだったから。
汚さぬようにスカートをたくし上げて、近づく山羊を小枝で追い払いながら帰っていく姉を、ルオーはずっと見送っていた。
夕食は、子供が食べやすいように小さく作った小麦団子と鶏ひき肉のミルクシチュー。
ルオーが好きな人参のピュレ添え。
竜王は相変わらずワインだけだ。
蛇の籠で懲りたエラは、ルオーと自分用の食材を手入れの行き届いた菜園で賄い、女官長の監視下で厳選された小麦粉とワイン、塩、砂糖以外はほとんど自給自足に切り替えてしまっていた。
眠そうに杯を取り上げた竜王に、ルオーは嬉しそうに言った。
「リンダに優しくしてくださって、ありがとうございました」
あまり優しくなかったぞ、と言うように、竜王は眉を上げる。
「お兄様のためとはいえ、お一人でここまで訪ねて来られるなんて、勇気のある方ですわ」
給仕をしながら褒めるエラに、ルオーはにっこりして、竜王に言う。
「リンダは兄弟の中でも一番強いんです。
口喧嘩すると、兄上たちも、ダルエスも、誰も姉上にかないませんでした」
「いじめられたか?」
「いいえ、一度も。
リンダは強い子をいじめるのが好きだから、僕は相手にしてもらえなかったんです」
竜王は低く声をあげて笑った。
震えながらも一歩も引かなかった少女を、実は少しばかり気に入っていたのだ。
だが、竜王は苛立ち、迷った。
人型になっているために、人は竜王を人間としてとらえてしまうのだ。
人のように思考し、行動し、利害を考えるものだと。
(私が竜だという事を、なぜ理解しないのだ!)
不機嫌に杯から目を上げると、人参だけ先に食べてしまったルオーが、エラに肉も食べるように勧められ、顔をしかめている。
子供を見る竜王の目が和らぐ。
この子を助けたことを後悔したことは一度もない。
だが、まとわりつく人の世のしがらみが、竜王を苛立たせる。
竜は、群れない。特に、雄は。
一頭だけで孤独に暮らす竜は、集団で行動する人間の心理が読めないのだ。
前の活動期に人間と付き合って暮らした彼でさえ、そうだった。
あの頃はリカルドとエドゥアルド
ロードリアス統一に向けて戦が続く、荒っぽい楽しい日々だった。
だが、今、大嫌いな人間の神になど祭り上げられ、王家の権力争いに巻き込まれ、身体のバランスを崩しかけて調子が悪いのでは、たまったものではない。
「エディのくそ爺いめ!」
竜王は一人毒づいた。




