3 残された二人
3 残された二人
「私が神殿をぶち壊してやろうか?
そうすれば、私を神にしようなどという、この馬鹿げた騒ぎは収まるのか?」
竜王のとんでもなく過激な言葉に『風の三位』は卒倒しそうになる。
本気で言っているから怖い。
「だいたい、活動期まであと五年足らずだぞ。
こんなバカでかい住処をひとつ造るより、辺境の備えを強化すべきなのだ」
「く、国の守りは軍事、『火』の管轄ですので、『風』が口を出すことは許されませぬ。
それにロードリアスは竜王様の保護下にありますゆえ、安全と・・・」
竜王はバン!と平手で机を叩いた。
華奢な足が折れ、机がぺたんと潰れる。ルオーが驚いて飛び上がった。
「人間は群れるとなぜこう阿呆になるのだ!
竜一人でこの膨れ上がったロードリアスを守れるとでも思うのか!
私は私の領土以上を守る気はない!
百年前のロードリアスの国境の外側を守るのは、お前たち自身だぞ!
お前たちの手で民を守り、魔獣たちと戦う覚悟あるのか!
活動期がどんなものか、わかっておらぬな!」
腹を立てた竜王が立ちあがる。
苛立ちが部屋の空気をかき乱し、『風の一位』と付き添う神官たちの息を詰まらせる。
竜王の気にあてられて、気の弱い神官が数人ひっくり返った。
「私が人間を守るなどとは思わぬことだ」
竜王は言い放った。
「私は竜だ。
私の領土の中でうごめく虫けらが生きようと死のうと、知った事ではない」
あっけに取られているルオーを抱き上げ、右手の壁にじろりと一瞥をくれる。
「私を怒らせるな。本当に神殿をぶち壊してもいいのだぞ」
大股に出て行く竜王を、『風の一位』は真っ青になって見送った。
林の中の小道を戻りながら、竜王はやけにおとなしいルオーに言った。
「怖がらせてしまったか?
あれくらい言わなければ奴等には通じぬ。人間は集団になると、ギャラクの群れのように頭がなくなってしまうからな。
私が竜だという事が、理解できぬのだ。
活動期に魔獣どもが現れてから、慌てふためく事になるのに」
「僕達は・・・虫なのですか?」
竜王は子供を揺すり上げて笑った。
「私の本体は大きいのでな。
竜に戻ると、人間をふみつぶしてしまいそうで困るのだ」
そんな竜とこの竜王が結びつかなくて、ルオーは考え込んでしまう。
『風の一位』もそうなのだろうと、ちょっと気の毒になった。
「僕を踏まないでくださいね」
「私の黄金のハートを踏むようなことは絶対にせぬよ」
竜王は笑う。子供も笑い返す。
竜王は大きなあくびをした。
怒った反動で激しい眠気が襲ってくる。
休息期に無理に起きているので、体のリズムが狂っているのだ。
(竜体に戻ったら、この子を連れて山の奥へ入ってしまおう)
竜王は決めた。
(人間共の馬鹿騒ぎに付き合わされるのは、もうごめんだ)
戻って扉を開けると、家の中はエラが作った焼き林檎の、焦げた砂糖とシナモンの香ばしい匂いでいっぱいだった。
神官たちが退出した部屋で、右側の隠し部屋の扉が開いた。
国王ウィリアムルス六世が、その痩せた鷹のような姿を現す。
「竜王は人間には拘わらぬか」
人は人、竜は竜だと。
一人平伏する『風の一位』に向かって言う。
「皇太子はほっておけ。
あれは竜王にくれてやったのだから。好きにさせれば良い」
(必要なのは皇太子が『黄金のハート』であるという事実だけだ。知恵などつけては、かえって邪魔になるばかりだ)
あれは時期国王になれる器ではない。
冷徹な王は、始めから嫡子ルオーを見限っているのだった。
(だが竜王の加護を得た今、あれは役に立つ。せいぜい利用させてもらおう)
公式にはまだ寝ていることになっている竜王は、竜王祭まで人前に出ぬと言い、政にかかわることを一切拒否した。
『竜王は存在する』
ただ、それだけなのだと。
人の世に拘わることなく、ただ、『在る』のみだという。
『黄金のハート』皇太子ルオーも、公式の行事にも姿を見せなくなった。
風の噂に竜王様がお目覚めになったと喜び騒いだ民衆の熱も冷めていき、二人の存在は次第に人々の日常から忘れ去られていった。
ある一部の人々を除いて。
「ゲント男爵という男をご存じですかな」
ある日の昼下がり。
個人教授を終えた『水の一位』がルオーに尋ねた。
「いいえ、先生」ルオーが首を振る。
身体の具合が悪かった頃は人の名など覚えるどころではなく、竜王と暮らし始めてからは、他人に会う機会などほとんどなかった。
「ふむ。最近宮廷でのし上がって来た男です。
北の地方出の貴族だが、甥のセネカが竜王様のおそばに居ると自慢し・・・竜王様と近づきになりたいと言う野心ある者たちを集めておるのですよ」
セネカの親戚なのか。
「竜王様は人間には一切かかわりを持たぬとおっしゃっています。
セネカなら、僕のために古文書を調べてくれた人ですけれど」
「ふむ、そうでしたな。
古文書館の推薦した若者でしたな。
やっかいな係累がいたものだ」
その話を耳にしたセネカは、青くなって『水の一位』の所に弁解に跳んでいった。
ゲントは叔父ではなく遠い親戚で、がさつな田舎者ゆえ、宮廷の礼儀も知らず舞い上がっているのだと平謝り。
「武門には秀でた家なのですが、無骨者ゆえ、貴族の礼儀を存じません」
家が貧しいため、遠縁の男爵の援助に頼らざるを得なかったセネカは、恩ある相手に強く注意する事もできず、困っているのだと。
羞恥に頬を染めながらも、貧しい生い立ちを隠さず打ち明ける若者に、『水の一位』は好感を持った。
こういう苦学生たちの地道な努力こそが、次代の学び舎を支えていくのだ。
「わかった。心配はいらぬ。
男爵には、竜王様の名をみだりに出さぬよう、内々に注意するにとどめる事にしよう」
「あ、有難うございます。『水の一位』様」
セネカはほっと息をつき、温情に感謝して辞した。
廊下へ出ると、その生真面目で恐縮しきった表情が緩む。
やっとつかんだ宮廷での足掛かりだ。
後は男爵の才覚次第。
(やれ、冷汗をかいた。しっかり頼むぜ、叔父さんよ)
『水の一位』のもとを去るセネカは、ルオーや竜王には決して見せる事のない、悪意に満ちた笑いを浮かべていた。
『水の一位』に気に入られたセネカは竜王神殿の『水』の学び舎に出入りするようになり、やがて貧しい古文書館の見習いは、『水』の神官見習いに昇進し、『水の一位』に仕える事となった。
「身分のない若者」「異例の抜擢」「『水の一位』は耄碌した」などという陰口は、ルオーたちの耳には届かなかった。




