10 和解
10 和解
翌朝。
夏の終わりの朝まだき、小鳥の声が陽気に響き、芝生はしっとりと露に濡れている。
竜王は夢を見ていた。
懐かしい、笑い声。
くすくすと肩を震わせる、独特の軽い笑い声をあげる少女。
『シルヴァーン、こっちよ』
「・・・・・・!」
名を。
彼女の名を。
『こっちよ、いらっしゃい、シルヴァーン』
名を呼ばなければ。目覚めなければ。
目覚めなければ。見たくない。見てはいけない。この先を。
見たくない。二度と。
・・・さしのべられる、血に染まった手。青ざめた唇。
かき抱くこの腕の中から、止めようもなく流れ出してしまう生命。
冷たくなっていく、何よりも愛しい、優しい小さな身体。
『誰かを愛して、シルヴァーン』
耳元でささやく声。
『一人でいい、誰かを愛して。人間全部を否定しないで。
きっといるから。あなたを怖がらない、あなたを誰よりも愛する人が、きっといるから。
その人を愛して、守ってあげて。
約束して、シルヴァーン・・・人間を・・・嫌わない・・・で・・・』
全身をたぎらせるような激情。
感情の爆発が引き金となって、凄まじい苦痛と共に意志によらぬ変身が一瞬のうちに行われる。
竜体に戻った竜王が、血の涙を流して慟哭する。苦悶にのたうつ巨体の下で木々がなぎ倒され、山が崩れる。
『ヨクモ・・・ヨクモ・・・虫ケラノヨウナ、浅マシイ、愚カナ、ニンゲンドモ!
殺シテヤル・・・ヒトリ残ラズ、滅ビテシマエ・・・!』
激しい咆哮に空が答え、風が猛り、雷雲が湧く。
凄まじい落雷を伴った、未曽有の嵐。
「・・・シル・・・ヴァーン・・・」
「シルヴァーン・・・!」
夢の中に、少年のテノールの呼び声が入り込んでくる。
竜王はがばと跳ね起きた。
殺意に満ちた、肉食獣の金の眼。ギラギラした憎悪の波が全身から放射される。
(いかん!)
すぐそばに立つルオーを見て、竜王は慌てて激しい気を押し殺した。
危うく打ち倒される所だった事には気付かず、少年は気づかわしげに言う。
「いやな夢、見ていらしたんですね、竜王様。とても苦しそうでした」
息を荒げながら、竜王は小さなルオーを見つめた。
まだ、悪夢の残滓の憎悪と殺意が心にまとわりついている。
だがこの子の共感力は、それを苦しみとして受け取っているのだ。
竜王の苦痛と悲しみを鎮めようと、幼い心が羽のようにそっと触れて来る。
突然、ルオーはここに来た目的を思い出し、真っ赤になった。
しゃちこばって竜王に頭を下げる。
「あの・・・竜王様、昨日は見苦しいまねをいたしました。どうぞお許し下さい」
堅苦しい言葉は、そこまでしか続かない。
「ほんとうにごめんなさい。
エラが教えてくれました。
これから頑張ればいいんだって。
竜王様にふさわしい『黄金のハート』になれるように、これから頑張ればいいんだって。
僕、一生懸命やりますから・・・」
つっかえながら夢中で話す声。必死な眼。
いきなり金色の雲に抱き取られ、ルオーは眼がくらんだ。
「お前が好きだから、私はここにいるのだ。ルオー」
良く響く、深い、低い声。
金色の雲が、言葉に呼応するように輝きを微妙に変える。
失った恋人の遺言だったから、人間を守って来たのだ。
今までは。
なんとなく気の合う人間には巡り合っても、深くかかわる気はなかった。
だが、この子は。
まどろみの中に流れ込む様々な音の中で、なぜ、この微かな声にひかれ、無理に目覚めてまでも救いたいと思ったのか。
なぜ、これほど心にかかるのか。
竜王は初めて、真摯に人間と向かい合おうとする。
「お前の声を聞いて、私は来たのだ。
お前が誰だろうと、関係なく。
今の、そのままの、お前を愛しいと思い、守りたいと思ったのだ。
無理をするな。お前の魂を汚すな。
お前がお前自身であることを、私は望む」
竜王は少年に理解してもらおうと、慎重に言葉を選ぶ。
愛されたことのない少年は、不安に眼を潤ませ、唇を震わせる。
(いいの?こんな僕でいいの?
こんな僕なんかを、本当に好きになって下さる?)
竜王は子供のくせのない柔らかな髪に手を触れる。
「その心で竜の言葉を聞くのだ。ルオー。
竜は嘘をつかぬ。
私はお前が大好きだよ。ルオー」
最強、最大の竜王と、八歳の少年は、不器用に手探りしながら、互いを理解しようとしていた。
第二章に続く




