5
花山祐樹。
その名前が世界に、いやこの日本という国に何人いるのかは知る由もないことだが、少なくとも、俺がその名前を聞くと結びつくのは彼しかいなかった。
俺の唯一の友人。
正直、俺には友達という立場にあたる人物がほとんどいない。彼ら彼女らが俺のことを友人と位置づけていないように。
百人の友達なんて夢のまた夢だ。しかし、考えてもらいたい。世界の人口が何人いるのかを――そう考えると不思議なことに百人の友達などたいした数に聞こえなくなってくる。
俺が友達が少ないことに自分で自分を慰めているわけではない。俺が言いたいのは友達は数ではないということである。子供の意見に聞こえるかもしれない。社会に出れば嫌でも交友関係が広い方がいろいろと助かるというものだろう。しかし、何百人もいるごく普通の友達よりも、一人のかけがえのない友人の方が重要なこともあると、俺はそう主張したい。
誰かが言った――彼は完璧であると。
花山祐樹は頭がよかった。花山祐樹は運動神経がよかった。花山祐樹はとにかくいい奴だった。
誰かが言った――彼は学園のアイドルであると。
花山祐樹はとても綺麗な容姿をしていた。花山祐樹は多くの女子に好意をもたれていた。花山祐樹はとにかくいい奴だった。
誰かが言った――彼は徳の高い人物であると。
花山祐樹は誰にでも優しかった。花山祐樹は男の中の男だった。花山祐樹はとにかくいい奴だった。
俺は言った――おまえはいい奴だと。
すると彼は言った――君は親友だと。
要するに、何度でもいうが花山は俺の唯一の友人であり、親友であった。小学校のころからずっと一緒にいてくれた。学園のアイドルであり、スクールカーストの頂点のグループに入れたはずなのにその時間を惜しんで俺と一緒にいてくれた。彼の行為に対する感謝を一つひとつ述べようとすると俺は三日三晩、言葉を並べ続けても足りないだろう。しかし、彼はそんな感謝の言葉など必要としないのだろう。たとえ感謝したとしても彼はいつだって「何言ってんだ、親友だろ?」と言って本当に気にしていない様子でいるのだ。そして彼は屈託のない笑みをこちらに向けてくるのだろう。そんな奴なのだ、花山祐樹という男は。
『白河ゆな』
花山はそう言った。
「それはおまえの彼女の名前かい? さすが、学校一モテる男」
『馬鹿、違う。まあ、たしかに綺麗な人だとは思うが』
電話口から聞こえた声に純粋に驚いてしまった。花山はいつだっていい奴であるがクラスの女子を、ましてや特定の誰かを特別視するような発言をするような男ではないからだ。
いつもの彼ならば「ただのクラスメイトだよ」とか「ただの友達だよ」などと言って、それこそただ笑うだけだというのに。
「お、天下の花山さんから褒められるなんてありがたすぎて号泣しながらスキップもんだぜ。罪な女だな、その白河ゆなってのは」
もしかして惚れたのかい? と聞いてやると花山は『だから違うって』と呆れ混じりの吐息を漏らしながらそれを否定した。どうやら本当に惚れているというわけではなさそうだ。少なくとも、ここは親友としてこれ以上は詮索しないでやることにする。お互いに嫌がることはしないのが良好な人間関係を築く一番の肝というものだろう。
『まったく、こんな夜遅くに電話をかけてきと思ったら、僕を茶化しにきたのか?』
電話口から大きな欠伸が響きわたる。たしかに、その声はまどろみ混じりだ。
「夜遅くってまだ二十二時じゃあないか。小学生ならともかく中学生もまだ起きている時間帯だぜ?」
『それは偏見だね、奏斗。世界中の人が何時に寝ているのかなんて分かるはずないじゃあないか』
「分かってるよ。そんなマジな返答を期待していたわけじゃないんだよ。話の規模が大きすぎて正直、予想すらできなかったぜ」
かわいい冗談が世界規模で返されるなんてある意味地獄ものである。話の広げようもなくなるので会話が行き詰まってしまう。
さすが花山、冗談に対する返しも世界レベルだぜ。
なんて言葉が浮かんだがさすがにこれは飲み込んだ。花山は特に面白いことでないと判断するとやがてそれ以降の会話を全く拾おうとしなくなるきらいがある。まあ、面白くないのは俺の責任でもあるのだが。
『現に僕は毎日二十二時半には眠りにつくよう心がけている』
「早すぎだろ……」
『二十二時半には眠くなるように体がインプットされているんだ』
「おまえはロボットか……。まあ、それが健康体っていうやつなのかもな。おまえが授業中に寝ている姿とか、見たことないし。いや、クラスが別だとかそういうのは関係なしに」
『奏斗が寝すぎなんだよ。いや、それは一般的に僕のことをいうのか? それはどうでもいいとして話を聞くと君も補習というじゃあないか。この一番重要な時期に補習なんて……正直、言いたくなるよ。何がしたいんだって』
そのとおりだ。そう言われると耳が痛い。昨夜、両親にも同じことを言われ、相応のお叱りを受けたばかりなのだからなおさらだ。
高校三年の夏休み。それは受験生にとっては一番の追い込みの時期でもあるだろう。最も果てのない勉強に苦しみ、最も進路や将来の夢と向き合わなければいけない時期でもある。一生ものの、人生をも左右しかねないかけがえのない時間がそこにはある。補習というのはつまり、人よりも遠回りで様々な何かと向き合わなければならないということである。言葉にすると聞こえがいいかもしれないが実際はもちろん、違う。その「何か」というのは十中八九、「本来ならば気にする必要もないこと」であったりするのだから。
「…………」
人類の叡智、考えるという行為を以てしても返す言葉は見つからず、ただ黙ることしかできない。それがひどく、情けなかった。
『まあ、僕も君に説教しようとは思わないよ。いや、親友だからこそここは厳しくいかなくてはならないんだろうけど、今となっては無駄なことだからね。僕が君を反省させることで君の補習がなくなるんだったらそうするけど、そんなことは天地がひっくり返ってもありえないわけだし。』
花山の声は真剣で、真剣に俺のことを考えてくれているのが分かった。だからこそ、申し訳のない気持ちでいっぱいになった。彼だって受験生だ。本来なら人のことをいちいち気にしている暇なんてないはずなのに。
『まあ、いいや。いや、よくはないんだけどあまり気にするのもかわいそうだ』
「いんや、おまえの言っていることはいつも正しいよ。そのとおりだ。俺は馬鹿だよ」
『そんなふうに自虐的に言われても反応に困る。プライドが妙に高い君のことだ。自分のことを馬鹿だと認めるのには相当な覚悟が必要だったことだろう』
「俺、おまえにそんなふうに見られてんの?」
プライドが高い――たしかにそうかもしれない。
思えば俺は今までの人生で挫折というものをほとんどしたことがなかった気がする。
それだけ、俺の人生にはチャレンジ精神というか、好奇心というか、好きなことというか、そういう夢中になれることがなかったということなのかもしれない。
とはいえ、プライドが高いというのがどういうことなのか、いまいちよく分かっていないのもまた事実である。さほど他人に対して自尊心を振り回したこともないはずなのだが――どちらかというとそれをとどめておく方だと自負している。
それがまさしくプライドと呼ぶべきものなのだが深くは考えないことにした。花山はそれを理解したうえで先程の発言をしたのだろう。
「なんか、ありがとよ」
やや間をあけて感謝の言葉を述べる。花山はそれに対して特に反応を見せなかったが、気持ちが伝わったのはなんとなく察することができた。
『さあ、本題に入ろうか。というより話を戻そう』
花山が話題を変える。いや、変えるも何もこちらの方が本題である。決して花山に叱られるために電話をかけたわけではないのだ。
「その前にまず話を整理させてくれ。いろいろ言われたからどこまで話したのか忘れてしまったよ」
いや、もちろん花山の話が決して無駄だったというわけではないよ、とあわてて付け足す。花山は『別にどちらでもいいよ』と言って微笑した。
『まず、君が今日の補習で変わった奴と会ったと愚痴り混じりに話してきただろ』
そうだ。俺は今日の出来事があまりにも衝撃的すぎて自分の中で留めることができなくなったため、何かに誘われるように花山に電話をかけたのだ。あまり人と話す経験はないが花山に対してだけはいわゆる「話したがり」になってしまう。迷惑をかけている自覚はあるがこればかりは直しようがない。俺にも話したいことが山ほどある時くらい、ある。
『そして、君はその変わった人に妙ないちゃもんをつけられた、と』
「そうなんだよ、疲れたよホント。また明日、彼女と顔を合わすと思うと今から憂鬱だよ」
『大変だったな、と慰めた方がいいのか。はたまたもっと積極的にコミュニケーションをとれと言うべきなのか』
僕には何とも言えないなとため息をつくのが聞こえた。花山は人の悪口を言うのが苦手な奴なので何と答えればいいのか反応に困っている様子だった。特にその悪口の相手が自分のよく知らない人となるとなおさらのようだった。俺だって同情してほしいとまでは言わないが。
『で、君が僕に泣きついてきたわけだが』
「泣きついたってわけでは……まあ、もうそれでいいよ」
たしかに、愚痴るというのは泣きつくという意味合いにも聞こえなくもない。それに、いちいち言葉の節々に敏感になっても疲れるだけだ。
時間は有限だ。今の時期には特に、その言葉の意味が顕著にあらわれてくる。ここは話を進めるのが正しい判断というものだろう。
「で、するとおまえが言ったんだ。白河ゆなって」
『なるほど、そこから話がそれたわけだな』
話が面倒なことになったのはおまえが言った冗談のせいだな、と花山は付け足した。
まさに、そのとおりである。
「えーっと、これは、あれだな。その白河ゆなってのが俺が今日会った女の名前という認識でいいのか?」
『そうだな。君の話を聞く限りその人は白河さんで間違いない、と思う』
「曖昧だな」
『無茶を言うな。君から聞いた情報のみで誰かを完全に特定するなんてできるはずないだろう』
これでもがんばった方だ、と花山は言う。
「なんでそこで白河って名前がでてきたんだ?」
『それは君が白河を知っているという意味か?』
「そうだな、名前くらいは……いや、知らないのかもしれん。だけどどこかで聞いたことがあるような気もするんだよなあ」
どこで聞いたのだろう。いや、ただ単に白河という名字を聞いたことがあるだけかもしれない。白河という名字は珍しいのかもしれないが、さほど目にしないほどではない、と思う。
『まあ、僕はその白河さんと同じクラスメイトだから今みたいな予想ができたというわけだが』
「クラスメイトか。てことはよく話をしたりする仲ということか」
クラスでも常に人気者の花山にとって、クラスメイトというのはそういう認識になる。いや、本人はそのつもりではなくともそう認識されるのだ。
ちなみに、いうまでもないかもしれないが、俺は花山とは別のクラスである。
『いや、正直に言ってしまうと彼女とはあまり話をしたことがないんだ』
「ほう、おまえにしては珍しいな。おまえにも苦手な人がいるのか」
意外だと思わざるを得ない。しかし、まあ、納得しないかと問われればそうでもない。何せ初対面の人物に対してあの対応である。おそらく、友達もほとんどいないだろう。それは俺自身も人のことを言えた口ではないが――しかし、もう少しはマシな対応をとれるだろうという自信はある。少なくとも、初対面の相手に対して馬鹿だ馬鹿だとは言わないはずだ。
『僕自身が苦手というよりは彼女が僕に苦手意識をもっていると言った方が正しい。挨拶をしても無視されるし』
「おまえが誰かから嫌われるとか前代未聞だな」
『いや、昔から良く思われていないなと感じることはあった。ごくたまにだけど。まあ、でも人間誰しも誰かしらには嫌われているものだ、こればかりは仕方ない』
どうやら人気者は人気者なりの苦労があるらしい。俺には想像しえない問題を抱えているのかもしれないと、彼に対して弱音を吐いたのがなんだか申し訳ない気分になった。
「おまえもたいへんだな」
『君もな。しかし、だ。今気づいたんだが僕の白河さんという予想ははずれたかもしれない』
「それはどういうことだ?」
『言葉どおりの意味だよ。君の情報どおりだと口調的には白河さんでまず間違いないと思うんだが……だとするとおかしいんだよ』
「俺の情報が間違っていたと?」
そんなはずはない、と思う。多少、脚色は加えたかもしれないが人物像を変えるまでの表現はしていないはずだ。そうでなくとも彼女のインパクトの強さは揺らぎようがない。この身で直接味わった俺自身がその証拠である。
『いや、それは君自身のことなので何とも言えないが……まあ、今度会った時にでも聞いてみたらいいんじゃないか。それが一番確実だし』
そのとおりだ。そのとおりであるのだがそれを聞きにくいから花山に間接的に名前を聞いたというのもあったので何とも言えない。
『まあ、君が案外大丈夫そうでよかったよ。実は落ち込んでいるかもしれないと僕からも電話をかけるつもりだったんだ』
「これが大丈夫に見えるのかよ。まあ、ありがとよ。相談にのってくれて」
『何言ってんだ、親友だろ?』
花山が笑う。本当にいい奴だと、心の底からそう思った。
ありがとよ、ともう一度、今度はその言葉に対しての感謝を述べる。
『じゃあ、僕はそろそろ寝ることにするよ。時間だ』
時計を見るとその指針は二十二時半を指していた。
「ああ、おやすみ」
『ん、おやすみ』
やがてツーツーと聞きなれた電子音が鼓膜を刺激した。
俺はスマートフォンに充電器をさしてそのままベッドに倒れこんだ。
今日は本当に疲れた。
いつもならここから目が冴え始めるという時間帯なのに瞼が重くなってきた。抗う気にもなれず、そのまま目を閉じる。
そういえば、本、読めなかったな……。
机の上に置いてある読みかけの本が頭に浮かぶ。どこまで読んだか、栞がはさんであるページまでの物語を思い出しながら眠りの世界へと飛び立つのだった。




