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補習。
その二文字には聞き覚えがあった。
いや、高校三年生にもなってその言葉の意味を知らない者もいないだろうが。もちろん、その言葉に別の意味を見出す、そんな人物もいるにはいるだろうが少なくとも俺はこんな意味だと思っている。
勉強が苦手な人のための授業。
なおかつその結果、テストで良い点数を得られずそのまま単位を落としってしまった人のための授業。
言い方は少し悪かったかもしれないが要するにそういうことだろう。
少なくとも、俺の通う大陽高校では補習という言葉はそんな意味を含んでいる。いや、ここは含んでいるという曖昧な表現ではなく、そうだと断言した方が適切かもしれない。
だから、補習を受けなければならない奴は馬鹿だと、わざわざ長期休暇のときに学校に来るくらいならもっと勉強がんばれよ、なんてことを思っていた。
「飯田奏斗、補習だ」
担任の奥村がそう言うまでは。
「へ?」
職員室。
普段は一生徒が立ち入ることのできないはずの場所に呼ばれた矢先に言われたそんな言葉に俺は間抜けな返事をしてしまった。
「聞こえなかったか、ほ、しゅ、う! おまえは単位を落としたんだよ、アンダースタン?」
「ノーですよノー! いや、たしかに中間テストは完全に赤点だったかもしれないですけれど……それも期末で盛り返したじゃないですか」
「中間はさすがにマズかったって自覚はあったんだな。ふむ、感心……はしないがな。赤点なんかとった時点でおまえは十二分に馬鹿だよ」
否定できないのは補習というのがまさにその馬鹿のためにあるからだろう。
「それに盛り返したといっても平均点以下じゃないか。これじゃあ話にならん。仮にもうちは進学校なんだ。おまえも知ってるだろ? 勉強しない奴は卒業すらできないんだよ」
「…………」
「しかも落としたのが現代文って……俺の授業じゃあないか」
「……担任なんだから少しくらいサービスしてくれてもいいじゃないですか」
この場合のサービスというのはもちろん、成績だったり、単位だったり、点数といった結果に表れる数字のことである。
「こっちも慈善事業じゃないんでね。だから担任だろうが例えおまえの親だったとしてもおまえの望むものはやれない。そういう大人の決まりってもんがあるんだよ。じゃないと俺の首が飛んじまう」
「生徒よりも自分の首が大事ですか」
「当然」
「はあ……」
大きくため息をつく。
生徒よりも自分の首――それはそのとおり、当然のことなのかもしれないが、面と向かってそう言われるとやはり複雑な感情を抱いてしまう。
こういう時、教師も所詮人の子なのだと感じてしまったりするのだ。
しかし、俺も簡単には引き下がらない。往生際の悪さは時に美徳なのだ。
「とりあえず、明日から。登校したらまず職員室によれ。教室の鍵渡すからよ」
「先生!」
「うん?」
「俺は勉強が嫌いです!」
「だろうな。だが補習は受けろ」
「わざわざこのクソ暑い時期に、もっと言えば三年しかない高校生活、その最後の夏休みに学校になんて来たくありません!」
「教師相手によくもまあそこまで正直になれるもんだ。嫌いじゃないよ、おまえのそういうところ。だが補習は受けろ」
「しかも今年の夏はここ十年で最高の気温を記録するとか言われているとかなんとか」
「らしいな。最高のというより最悪の気温だよな。だが補習は受けろ」
「……さっきからそればっかりじゃないですか」
「おまえが補習をわざとらしい理由をつけて逃れようとするからだ。まあ、逃れようが逃れまいが俺はこう言うしかないのだがな」
「つまりは?」
「無駄な抵抗はやめろってことだよ」
「…………」
「そんな目で大人を見るなよ。わりと傷つく。それによお、おまえにはまだ理解できないかもしれないが補習という存在があるだけ、おまえは恵まれているんだぞ」
「言いたいことはなんとなく分かりますけど……」
「人生でやり直せることってマジで補習くらいのもんだからよ」
奥村はうんうんとうなずきながら言った。
「今、そんな先生っぽい言葉聞きたくなかったです」
「最近の若者はひねくれてんなあ。今ちょっと良いこと言ったつもりなんだが」
「良いことを言われるのと補習の嫌さ加減が同じベクトルにくることはないんですよ」
「だろうな。だが補習は受けろ」
「……先生も結構引っ張りますよね」
「おまえはまだ現代文だけなんだからマシな方だよ、褒めはしないがな」
「そうですね。今褒められると逆に惨めな気持ちになります」
「配慮のできる先生でよかったな」
「…………」
「とりあえず補習にだけは出ろ。命令だ。じゃないとおまえ――」
――卒業できないぞ?
……………それは困る。