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もともと、勉強ははっきり言って嫌いだった。
勘違いしないでほしい。それはただ嫌いというだけであって決して苦手なわけではない。
たとえばあなたに嫌いな人がいたとする。あなたはただただその人が嫌いだ。大嫌いなのだ。そんな人に対して「苦手だ」という言葉が浮かんでくるだろうか。
……なんだ、案外使うじゃないか。
なんて思われるかもしれない。しかし、である。それはただ単に嫌いという言葉を勝手に苦手という言葉に変換しているだけなのではないだろうか。あなたは心の底で思っているはずだ。
苦手なんじゃなくて嫌いなんだよ、と。
そう、嫌いと苦手はイコールではないのだ。ニアイコールですらないのかもしれない。
少し話がそれてしまった気がしないでもないので戻そうと思う。
そもそも俺はこんな哲学っぽい話はあまり好きでないのだ(別に哲学的ではなかったかもしれないが)。
俺は勉強が嫌いなのであって断じて苦手なわけではない。
それはつまり、一言でいうなれば「勉強のできる勉強嫌い」ということである。散々、前振りをしておいて結局はそのまんまかよと思われたかもしれないが、そういうことである。東大生は全員勉強が好きだなんてことはないだろう。一人は絶対にいるはずだ。勉強は嫌いだと、はっきりとそう言い放つ者が。
まあ、勉強ができるといっても俺のレベルはせいぜい一般人よりはできるくらいであって、実際は東大なんて最高学府は口にすることすらおこがましいと言われても仕方のないくらいなのだが。