七章『硬めのパンの味』
日が沈み、紅に染まっていた夕空は青黒い闇に覆われた。
活気に満ちた中心街から離れ、無数の廃屋が連なる寂寥とした場所に凌介は立っていた。
廃屋と呼称したが、その幾つかからは、とても友好的とは言えない視線が彼へと集中する__正確には、凌介の背負う木籠へ、だが……
ここは所謂『貧民街』だ。
住む家を持たない者達が、ボロボロに崩れかかった廃墟へと集う住居区画。
そんな場所の一画、周囲と同じく老朽化した廃屋が二箇所目の届け先だった。
「リョースケ、一人でいると危ないよ」
「中にいると子供達が顔を見ようとして来るからさ」
先に廃屋から出ていた凌介に続き、軋む木製のドアを開いたアイラ。
この廃屋の住人も、世間から身を隠す『人族』の集まりだった。
「終わったのか?」
「うん。いつも渡してる薬だけで済んだから。重い?」
「いや、大丈夫だよ」
アイラの配慮に凌介は首を横へと振る。
事実、診療所を出た時に比べて背負った木籠は随分と軽くなっていた。
「リョースケが全然喋らないから心配したんだよ。どこか具合悪いのかなって」
「別にそういう訳じゃないんだけど……」
排水路の外でアイラに言われた言葉__
『__殺されるから……』
あの言葉が頭の中で繰り返し響いていた。
「とにかくこれで仕事は終わったんだよな?」
「うん。今日はこれで終わり。でも……」
「でも?」
「まだリョースケの宿探しが残ってるから、もう一働き」
「頼ってばっかで悪いな」
「いいよ。私もリゲルさんに面倒見るって言ったし、その分頑張って働いて!」
明るい笑みで謝罪に応えるアイラ。
彼女の優しさに甘え続けている凌介は、その分のお返しはしっかりとしよう、と決意を新たにする。
宿探しのため場所を変えるべく歩き始めた二人は、再び繁盛している中心街へと向かう。
普通の居住区と貧民街の間に明瞭な境界線がある訳ではないものの、廃墟が周囲から消える辺りでは陰から窺い見るような視線がなくなった。
「アイラって、いつもあの貧民街へ診察に行ってるのか? 一人で?」
「そうだけど……何で?」
「いや、滅茶苦茶危なそうな場所だからさ……さっきだって襲われなかったのが不思議なくらいだよ」
「確かに、ここは治安が悪いからね」
「あの犬野郎。もしアイラに何かあったらどうすんだよ! 見た目があれなんだから、暴漢除けにはなるだろ」
「リゲルさんだって、忙しいんだよ。腕は確かだから、この街でも多くの患者さんがあの診療所に集まるし。陰と陽の上位魔法を操る高位魔法師で凄いんだから」
アイラの話によれば、陽系統の魔法が使えるからと言って治癒魔法を使えるとは限らないようだ。
治癒魔法は高位魔法であり、習得するには才能か凄まじい努力が必要となるらしい。
「ふーん……まあ、誰でも治癒魔法が使えりゃ医者とか要らないもんな」
「それに、治療は魔法だけじゃないんだよ。薬草とか霊薬を用いた処置も、時には魔法より効果的なの」
「成る程な。確かにアイラも薬草の知識豊富だし」
「だって私の夢でもあるんだもん!」
「__夢?」
尻尾を左右に揺らし、目を輝かせるアイラはきっと思い浮かべた憧憬を見ているのだろう。
と、不意に凌介の腹がギュルルルと音を立てる。
「は、腹減った……」
腹の虫が鳴ったことで急激な空腹感が凌介を襲う。
色々とあり過ぎて感覚が狂っていたせいか、それとも脳が他のことに掛かりっ切りだったせいか。
どちらにせよ、今の今まで忘れていた食事と言う行為を体が欲し始めた。
「私も小腹が空いたし、どこかで食べ物買っちゃおっか?」
そう言って辿り着いたのは繁盛な商店街__凌介があの四つ腕に襲われた大通りだった。
あの時の騒ぎで倒され、ひっくり返された露店の商品棚は綺麗に片付けられ、何事もなかったかのようにどの店も営業を再開していた。
最初はこんな不審な格好で大丈夫か、と心配していた凌介だが、それは杞憂に終わる。
「何か、似たような格好の奴が多いな」
凌介が口にした通り、この商店街を歩く亜人達のほとんどが外套やポンチョを纏っている。
「顔まで覆うものを着ているのは、昔の名残みたいなものだから」
「昔の……名残ねぇ……」
そうは言われても、その『昔』を知らない凌介にとっては異様な光景だった。
「おばさん、このパン二つ」
「あいよ」
アイラは店先に並ぶ籠へと積まれたパンを指差し、店員へと声を掛ける。
言わずもがな、店員も亜人だ。赤みがかった茶髪の女性店員、その上半身は人の形をしているのだが……
「半馬人……」
「何だい? 半馬人を見るのは初めてかい?」
「えっ、えぇ……まあ」
自分の呟きが本人に聞かれたことに動揺する凌介だが、半馬人の女性は声を高らかに笑う。
「この辺りじゃ、あたしと同じ半馬人は片手で数える程しかいないからね。種族のほどんどは故郷から離れようとしない。半馬人族は他種族と関わりたがらないからね」
「へ、へぇー……」
パンを袋へと詰める半馬人の女性から妙な豆知識を授かった凌介は苦笑で応える。
「二つ合わせて銅貨六枚だよ」
「ありがとうね、おばさん」
アイラは懐から取り出した小袋を開き、鈍く光る褐色のコインを手渡す。
この異世界にも貨幣概念はあるようだ。
ここは格好良く、俺が払うよ、とでも言ってやりたいところだが、凌介はこの世界の通貨を持っていない。
仕方なく奢られる。
買ったパンの片方をアイラから受け取る。
形状としてはフランスパンに近いが、
「カッたぁ! 何これ、滅茶苦茶硬くね?」
「そうかな?」
「歯折れるって、これ」
歯をカチカチ擦り合わせても、パンは噛み切れない。
色々な角度から齧り付く凌介の隣で、同じく歯を立てるアイラは易々とパンを噛み千切る。
「……コツとかあるの?」
「少し舐めればふやけるよ」
言われた通り実践してみると、
「おお! 確かに噛み切れる……けど、この味……」
口に含んだパンの欠片を舌で転がすも、まるで小麦粉を舐めているような味とパサつきに顔を顰める。
とても美味しいとは言い難いのだが、横で満足そうに頬張るアイラの前では口にすることなど出来なかった。
※※ ※ ※ ※ ※ ※
「これって街灯……だよな? 火でも、電気でもない感じだけど」
大通りを歩けば嫌でも目に入る『街灯』だが、その中に詰められたものが分からない。
ぼんやりと光る街灯の頂点。ガラスの囲いに入ったそれは石のようなものだった。
「石が光ってる……」
「あれは光魔石。この街の明かりはほとんどが光魔石なんだよ」
「魔石ねぇ」
思えば凌介の世界より文明は遅れを取るものの、魔法を含めて前の世界では現存しないものがある。
文明諸共、前の世界の認識は切り離した方が良いのだろう。
「ここにしようか」
アイラの言葉に足を止めた凌介。
彼の眼前には古びた屋舎が構える。
場所は一箇所目の届け先である排水路近く。
大通りに沿うように位置するこの建物は二階建てと周囲と比べ、階数が少なく背は低い。
ひっそりとした佇まいに掲げられた看板には『宿』と描かれている。
洋風の外装に日本語が飾られていることに心の中で首を傾げた凌介は、自分の知る言葉と同義であることを信じ、アイラに続いて建物の中へと入る。
「いらっしゃイ。二名様かナ」
玄関口で迎えてくれたのは、背を曲げ、全身から灰色の毛を生やした鼠男の店員だった。
彼の問いかけに頷くアイラは銭袋を取り出す。
「一週間泊めてほしいの。人数は二人」
「……ん? 二人?」
アイラの言葉に引っかかった凌介。そんな彼の方へと振り向いた少女は、ニッと笑みを浮かべて告げる。
「リョースケ一人だと心配だから、私も泊まるよ」
「ええぇぇえぇ!?」
平然と告げるアイラに、凌介は衝撃を受けて固まる。
嬉しい展開だが、これがアイラの厚意による判断だと、凌介自身も分かっている。
変な期待はしていない。していないが……
「馬鹿はするな……しちゃいけない……」
誰にも届かない患いの呟きを口の中で溢した凌介は、欲望の節制を心に誓った。
次回はこの異世界の諸事情について明かされます。お楽しみに。
順次更新して行くので、今後とも宜しくお願いします。
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