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四章『初キスの相手?』

「改めまして、私はアイラ。あなたと同じでライ系の人族だよ」

「アイラ……さん?」

「アイラでいいよ。さん付けされるのは変な気分だし、その方が親しみ易いでしょ?」

「じゃあ、ア、アイ……ラ……」

「うん!」


 それで良し、と体を起こした凌介の前で首を縦に振る少女。

 アイラと名乗る彼女は、近くで見ても魅入ってしまう程に可憐で華奢な存在だった。


「そう言えば、人族? 人間じゃないのか?」

「んー、ニ系の言葉ではニンゲン、って言うのかな?」

「そのニ系とかライ系とか、何なんだ?」

「……君、何も知らないの? どこか遠くから来たとか?」

「まあ、そうと言えばそうなんだけど……」


 凌介の質問に、まるで不思議なものでも見るかのようにアイラは首を傾げる。

 別の世界から来たなどと、自分でも信じ切れていないことをこの少女が理解してくれる訳がない。

 ここで役に立ったのが『記憶喪失』と言う設定だった。

 気付いた時には街の中にいて、頭の中から記憶が抜け落ちていた__と説明をした凌介に、アイラは思いの外にすぐ話を呑み込んでくれた。当然、前の世界の話はしていない。

 その後、アイラの説明で『何系』と言う言葉が人種を表していることを知る。

 人間__この世界では人族と呼ばれる存在の他、蜥蜴族(リザードマン)小人族(ドワーフ)など、様々な種族が異世界(ここ)には存在し、彼らは人族の間で『亜人(シミラー)』と呼ばれているらしい。


「なる程、人種か……ところで、ニ系って俺のこと?」

「その黒髪と黒瞳を見る限り、間違えはないと思うけど……ところで君の名前は?」

「ああ、名乗ってなかったな。俺は鷹浜凌介。凌介って呼んでくれればいいよ」

「リョースケ……リョースケね!」

「__何かニュアンスが微妙に違うけど……まっ、良いか」


 目を覚ましたら可愛い女の子が看病してくれていた、と言うありがたい体験をした凌介だが、ただでさえ頭の中は先刻の一件で混乱している。

 今も眼前の少女が信用に足るのか、不安が胸を渦巻いている。またあの白銀甲冑の連中を呼ばれてしまえば一巻の終わりだ。


 __悪い娘には見えないけど……


 まずは現状の把握をする。

 辺りは壁に並べられた蝋燭と、部屋の中央に備え付けられた暖炉の光で照らされている。それ以外の明かりがないため、部屋は全体的に薄暗く、そして狭かった。

 ぼんやりと、オレンジに照らされた壁の造りは粗雑で、大きさの違う石が無理矢理詰められたかのようにゴツゴツと突起が激しい。

 部屋の一角__凌介が目を覚ました時にアイラの立っていた場所には、木製の棚や机が置かれ、その上には数多の瓶。

 その中身と言えば……


「怖っ……!」


 瓶の中には植物の葉や根の他、何かの目や骨、内臓らしきものまで入っている。いくつかは未だ痙攣するかのように、ピクピクと跳ねている。

 ここに鍔の広い三角帽子を被った老女でもいれば、まさしく童話に登場する魔女の部屋だ。

 しかし、今目の前にいる部屋の主は童話の魔女と程遠く、褐色のポンチョに暗赤色のスカートを着た可憐な少女だ。

 それに、部屋の多くを占めるのは二床のベッドだ。

 その一方で寝かされていた凌介は、ここがどんな場所かを察する。


「病院? ……と言うよりは診療所か?」

「薄暗くて汚いけどね。それにしても良かった。少しは元気になったね」


 不意にアイラが凌介に顔を近付ける。

 宝石のような瞳から柔らかな頬、そして薄紅の唇へと視線が映る。

 __ち、近い! 近過ぎませんか!?

 突然のことに凌介は思わず顔を背ける。

 ところが、


「むぐぅ!?」

「ほら、横向いたらよく見えないでしょ。口開けて、あーん」

「……あー」


 頭を掴まれ、無理矢理前へと向きを修正される。細くすらりとした指には驚くべき力が込められ、凌介はアイラの指示に素直に従うしかなかった。

 一瞬、愚かな妄想をしたことに顔は赤く染まる。


「特に何もないし、大丈夫そうだね。後は__」

「えっ、痛ぅっ!?」


 側頭部から離れたアイラの指は凌介の左肩、その肩口に刻まれた傷口へと触れる。一瞬は鋭い痛みを発した傷口だが、すぐさまアイラの柔らかな手が包み込む。

 そして空いた手を顎に添えた彼女は、悩む素振りを見せる。しばらく難しい顔をしていたが、その口を開き、凌介へと訊ねる。


「この呪印は誰に憑けられたの?」

「ジュ、イン? それって呪いとかの類の?」

「そう、リョースケの肩に付けれた傷に、追跡用の(しるし)が刻まれてるの。私の、(ライ)の魔法でも解呪が出来なくて。弱められても消せないの。相手は相当な専門家だと思うんだけど、心当たりは……って、リョースケ聞いてる?」

「聞いてる、聞いてる」


 とは言うものの、凌介の頭にはある『言葉』しか入って来ない。


「魔法! この世界って魔法があるのか!?」

「えっ、それは、うん、まあ」


 何を当たり前な、と言いたげなアイラの表情に気付くことなく、凌介の気持ちは高ぶる一方。


「さすが異世界! これこそファンタジー!」


 握り締めた拳を天高く掲げ、万歳ポーズ。


「で、呪印が何だって?」

「……」

「そんな頬を膨らませて……何でそんな不機嫌?」


 可愛らしく頬をプーと張ったアイラは、目元を釣り上げて凌介を睨む。その姿に彼の頬は緩む。


「……私の話、結局聞いてなかった。っむ」

「いや、っむ、って可愛いな……ご、ごめん。俺が悪かった。ちゃんと聞くから許して」


 合掌して許しを請う凌介へと向ける少女の視線は冷ややかだった。

 どうやら大変ご立腹のようだ。

 最終的にはベッドに上で土下座へと移行。額をシーツに擦り付け、こう叫ぶ。


「誠に申し訳ありませんでしたーー!」

「何その姿勢? 馬鹿にしてるの?」

「滅相もございません。我が故郷で最強の謝罪でございます、はい。」

「……はぁ。じゃあ詳しく話を聞かせて。処置をするにもどう言った経緯なのか知っておきたいし、ね?」


 溜め息を漏らした後、優しく微笑む天使に凌介は顔を上げた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「__と言う訳なんだけど、理解できた?」


 凌介の話を一通り聞き終えたアイラは、何度か頷いてから口を開く。


「まずは、良く逃げ切ったね。生きてて良かった」


 その言葉には賛美と驚きが含まれていた。


「でも、よりによってあのレイヴェン・アルトスに追われるなんて。逃げ延びれたのは奇跡だよ」

「レイヴェン……アルトス……有名な奴なのか?」

「うん。この国の騎士の中でも、若き次期団長候補と噂される位の実力者よ」


 アイラ曰く、この国では秩序を守る騎士団が存在し、各区の衛兵団をまとめ上げているようだ。

 レイヴェン・アルトス。次期団長として高い知名度を誇るあの四つ腕の亜人は唯一、多腕族から輩出された騎士としても有名らしい。


「でも、よく逃げ切れたね。彼から逃げ切れたなんて話、今までに聞いたことなかったから。でも、氷の川に飛び降りるなんて、普通なら考えられないよ」

「それしかなかったからなぁ。あっ、そう言えば俺の腕__」


 橋から飛び降りた凌介は、その着地時に左腕を打ち付け、動かなくなっていたはずだが……


 動く。


 左腕を大きく回しても、あの灼熱のような痛みは感じられない。


「そうだ! 俺、川に落ちる前に訳の分からない炎に焼かれて……って、あれ?」


 いつの間にか着せられたブカブカの着衣をめくり、腹や腕、脚を見回しても火傷の跡はない。

 これは、と顔を上げた凌介にアイラは可笑しそうに微笑む。


「私が魔法で治したよ」

「魔法すげぇぇええー!」


 思わず叫ぶ。


「でも、本当に危なかったんだよ。私が偶然川沿い通りかかったから良かったけど、川から引き上げた時は呼吸もしてなかったんだから」

「呼吸? えっ、じゃあ、その、アイラさん……」

「何で急にさん付けなの?」

「もしかして、俺に、そのじ、人工呼吸とか、って……」

「したよ」


 直後、凌介は力強くガッツポーズをする。

 __っしゃぁぁあああ! 初キス! 初キス! それも、こんなに可愛い娘とぉ! 何で気絶してたんだよ、俺! って、気絶してなきゃ人工呼吸もなかったけど……



「__リゲルさんが」


 カチッ、と音を立て、凌介の中の時間が止まる。

 『リゲルさん』……?

 首を回し、可愛らしく微笑むアイラへと訊ねる。


「Who is Rigel-san?」

「アイラ、騒がしいぞ。あー、黒豚が起きたのか?」


 部屋の隅にある石階段。それを下って来た人物へと目を向ける。

 室内にも拘わらず背の高い厚手のローブに身を包み、その顔は麻袋にも似た袋を被ることで隠した人物。

 渋く唸るような声からその中身は男だが、頭に被る袋の頂点が二つの山を作っていることや口元が異様に盛り上がっていること。そして、ローブの隙間から覗く手には深い灰褐色の毛が生えていることから、彼も亜人だと確信する。

 見た目は完全な不審者である謎の人物を見て、寒気が背筋を撫でる。

 いわゆる、嫌な予感、と言う奴が……


「その呼び方はやめてくださいって言ったじゃないですか、リゲルさん」

「ぶぇ、ぺぇーえ、ぺっ、ぺっ、ぺー」

「おい、小僧! 汚ねぇ唾を撒き散らすんじゃねぇ!」



 こうして、少年が抱いた初キスの夢は粉々に……それも、しばらく立ち直れない程に砕け散ったのであった。


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