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第一章 2


 朝のホームルームはあっけないくらいにさらっと終了した。

 やはりその後も転校生が来たという話もなく、特に何か変わった様子もなく、驚くほどに普通だった。他の生徒も普通。教室も普通。時間割も普通。その中で、彼女の異質さだけが奇妙に居座っていた。

「なぁ樹、今日の数学の宿題なんだけどさー?」

 椅子の背もたれを抱き抱えるように反対向きに座った白田徳、トクが毎日のように言うセリフを吐いてきた。

「やってないのか」

「うん。見せてくれ!」

「ごめん、ノート忘れた」

「嘘だろ?」

「嘘だよ」

 毎日野球部の練習で遅くに帰っているトクは、宿題をやってきていることの方が稀だ。頭は決して悪くはないのだが。

 一通りのやりとりを終え、樹は机の中を漁り数学のノートをトクに手渡した。

「ありがとうございます! 樹様!」

 深々とお辞儀をしながらノートを掲げてみせる。これももはや日課だ。

 しかし悪いことばかりでもない。写していて間違ってそうなところを教えてくれるのでこれはこれで役に立つ。

「・・・・・・あのさぁ、トク」

「ん? なんだ?」

 トクは顔を上げずに、椅子に反対向きに座ったまま宿題の解答を書き写しながら、心半分で答えていた。

 樹が隣の空席を確認しつつも心持ち静かな声で聞いた。

「今朝何か変わったことは?」

「変わったこと?」

 シャープペンシルを握ったままトクがきょとんとした顔を上げた。こんなことを言ってはなんだが、トクはあまり嘘が得意ではない。馬鹿正直という言葉の似合う男だ。

 しばらく間をとった後、あっという小さな声をあげた。

「樹が変」

「俺かよ」

「いや、変だろ! なんかずーっと深刻な顔してさ。もしかしてーー」

 トクの顔をじっと見つめる。

「・・・・・・腹下してるのか?」

「違ぇよ!」

 うん。どうやら今のところ葉月日和というクラスメイトが増えた以外に変わっていることは無さそうだった。

「・・・・・・やっぱりなんでもないわ」

「なんだよ? あー、なるほど、それとも理奈の胸がわずかにまた大きくなったことについてか? いや、ミリ単位だからな、気がついているのはこの俺くらいだと思っていたが、まさか樹まで気がついているとは・・・・・・お前、あなどれないな・・・・・・」

「なんだよその情報! 気づけねぇよ!」

「隠さなくてもいいんだぞ、思春期真っ直中だもんな」

「お前もうノート返せ」

 微笑ましげに眺めてくるトクに呆れながら、数学のノートを引き上げようとしたが、ものすごい反射神経でノートを押さえられた。無駄に良い運動神経はもっと他のことに活かせ。

「ちょっと聞こえてるんだけど?」

 トクの頭を教科書で軽く小突きながら、その隣の席に戻ってきた理奈が笑顔をひきつらせながら文句を言う。

「いえいえ、理奈様の美貌について語っていた次第でありまして、決してお胸の大きさについて語っていたわけではございません」

「それ以上言ったらシメるわよ」

「すみませんでした」

「分かればよろしい」

 トクと理奈は仲が良い。朝には樹と理奈の関係をからかうようなことを言っていたが、むしろこの二人が付き合っているという噂もある。

 二人は学級委員コンビだった。互いに人当たりが良くて交友関係も広い。その周りによくいるのが存在感の薄い自分と自由人の千春という、どちらかというとクラスに溶け込めていない側に片足をつっこんでいるようなメンバーだというのは何の皮肉だろうか。

 そんなことをぼんやり考え込んでいると、数学のノートを写し終えたトクがおもむろに理奈に声をかけた。

「あー、そうそう理奈。今朝何か変わったことあるかって樹が、」

「ちょっ・・・・・・ちょっと待って、その話はもういいや!」

 視界の端に葉月の姿が映り、慌てて話題を打ち切ろうとする。

「変わったこと? うーん」

 しかし理奈は話題を引き継ぎ、トクは数学の答えの確認作業に入ってしまった。

「いや、それよりさ! ほら、えーと、」

 何か別の話題にすり替えようと思ったが、何も出てきやしない。

「どうかしたの?」

 樹の疑念の当の本人であるところの葉月日和が帰ってきてしまった。そしてこともあろうに本人の方から声をかけてきた。

「ん、なんかいっくんがね、今朝何か変わったことーー」

「あ、あのさ! 今朝話してた漫画俺にも貸してくれない!?」

 思ったよりも大きい声がでた。

 しん、とあたりが静まりかえる。

「あ・・・・・・ごめん」

 ・・・・・・気まずい。

 そもそも葉月日和の名前を出してはいないのだし、よく考えると例え本人に聞かれたとしても別に支障はなかったのではないだろうか。

 それでも直感が隠せと言っていたのだから仕方がない。

 とりあえず、この空気どうしよう。

「えー、いっくんも読むのー? じゃあ、いっくんはちーちゃんの次ねー?」

 数学のノートを持った千春が、のんびりとした口調で空気を読まずにやってきた。

 助かった。

「あ、あぁ、分かった」

「いっくんあれでしょー、漫画を通してみんなともっと仲良くなりたいんでしょ? いいよ、特別に仲間に入れてあげるね!」

 千春はにこにこしながら当たり前のように樹の机の上に自分のノートを広げ、同じくノートを広げているトクの答えを写していた。千春の場合はトクとは逆で、いつも宿題に手はつけるのだが、結局解けなくて答えを見に来る。

 これもいつも通りの光景だった。

「ん、じゃあこれ。まだちーちゃんも途中だから一巻だけ貸しておくよ」

 理奈から手渡される特に興味のない少女漫画。言ってしまったからには受け取らないわけにもいかず、愛想笑いを浮かべて受け取った。いや、読んでみたら意外とおもしろいのかもしれない。

「あ、ありがとう」

 ちらりと横を見る。葉月日和は樹の席の横に立ったまま、黙ってその会話を聞いていた。

「よかったわね、樹君」

「・・・・・・どーも」

「それで、今朝何か変わったことがなかったか、だったかしら?」

 少女漫画を鞄へしまおうとした樹の動きが止まった。

「ああ、それはもう別にーー」

 適当に愛想笑いで流そうとした樹の言葉を遮り、葉月日和は話を続けた。

「変わったことなら、今から起こしてあげるわ」

 ーーはい?

「二人で話したいことがあるの。ちょっと来てくれるかしら?」

 樹は自分の耳を疑った。

 目を丸くして顔を上げる。葉月日和の視線は、間違いなく樹へと向いていた。

 葉月日和の予期せぬ言葉に、あたりに緊張が走る。

「えっと、もうすぐ授業だし・・・・・・」

「あと十分はあるわ。お願い、ちょっとだけだめかしら。行きましょう?」

 勝ち気で優雅な笑みは、樹にだけ向けられている。

 全員が樹の行動に注目している。こうまで言われてしまうと、断るわけにもいかない。

 樹は全く読めない今後の展開に戦々恐々としながらおそるおそる重い腰を上げた。

 それを確認すると、葉月日和は先導して颯爽と歩き始めた。

「わぉ・・・・・・ひーちゃん大胆・・・・・・」

 教室を出ようとのろのろと歩き出した樹の後ろで、見なくても目を丸くしているであろうことが分かる千春のつぶやきが聞こえた。

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