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第三章 5

「・・・・・・いっくん」

 彼女が涙声のまま名前を呼び、樹は顔を上げてしっかりと変わり果てた彼女を見た。

「やだ、そんな顔しないでよ!」

「ごめん。こんなことになって」

「いっくんが謝ることじゃないでしょー? いっくんは、正しいことをしたんだよ。私はたくさんの人を消した、ただのイブツ」

 笑い飛ばすように話すその声は、まだ少し涙を含んでいた。

「理奈・・・・・・」

「じゃあさ、最後にひとつだけ私のお願い聞いてよ」

「お願い?」

「嘘でもいい、最後にもう一度抱きしめて。いいでしょ? どうせリアルではまだそういう状況なんだし」

 困惑した樹は葉月の方に視線を送る。葉月は視線をはずし、ずっと何も聞かないふりをしていてくれていた。

「日和ちゃん」

「何かしら?」

 頬杖をついてわざとらしく視線をそらしていた葉月が理奈だった何かに向き直る。

「そうしたら、私をそのまま消して」

「いいのね」

「うん」

「分かったわ。あなたの記憶は、私が背負っていく」

 端的なやりとりだった。それだけで十分だった。

 葉月はするりと玉座から降りると迷いのない足取りで向かってきた。

「それはそうと、私も最後にひとつ聞きたいのだけど」

「なあに?」

「さっき私はあなたの誤算は樹君が世界の改変に適用されないことを知らなかったことだと言ったわ。けれど、あなたは少なくとも昨年一年間は樹君と一緒だった。それに樹君は嘘以外にはとてつもなく鈍感で、あまり警戒心も強い人物とは言えない」

「それで?」

「変よね。いくらでも彼の記憶に侵入する機会はあったし、あなたなら樹君に長時間触れても怪しまれない関係だった。彼の混濁した記憶の意味を詮索することだってできたはず」

「え、ちょっと待てよ。葉月、それってどういう意味だよ」

「樹君の記憶はあまり改変された痕跡がない。あなたは樹君の記憶に介入できる立場にいながら、それをしなかった。自分を守るためのわずかな改変だけ。きっと、そもそも最低限の侵入しかしていないんじゃないかしら」

 葉月はそこで一度言葉を切った。理奈だった何かは静かにその続きを待っていた。

「さっきあなたは樹君を好きな幼なじみなんて最初からいなかったって言っていた。けれどーー樹君を好きだったのは、本当だったんじゃない?」

「それは多分私の合成記憶の元になった人間の記憶がなんらかの影響をもたらした結果よ。私自身の意思じゃない」

「そうだとしても、あなたは結果的に樹君を殺さなかった。千春ちゃんもトク君も、あれだけ分かりやすく大きな改変までして、それでも樹君のまわりの日常だけは保とうとした」

 理奈は答えない。

「もしかすると、あなたは全てを知っていたのかもしれない。それでも、樹君を殺さなかった。いえ、殺せなかった」

「・・・・・・どうだろうね? その質問に答えるのはやめておくよ。それは永遠の謎ってことで!」

「そう」

「うん。それでいいかな?」

「ええ。いいわよ。・・・・・・その答えで、十分だから」

「お節介だね、日和ちゃんは」

「案外そうなのかもしれないわね」

「ごめんね。ちょっとだけ、いっくん借りるね」

「ええ、どうぞ」

 葉月は穏やかに微笑んでいた。

「いっくん、お願い。最後に一回だけ」

「・・・・・・分かった」

 少しだけ腰を屈め、椅子に縛られている彼女の高さに合わせる。

 きっとこれが最後だ。このまま理奈は消えて、この世界のどこを探しても彼女が存在した痕跡は見つかることはないだろう。

 だからこそ樹は触れることに躊躇した。理奈だった何かを抱きしめたら、それはそのまま彼女が消える合図になる。

 深呼吸をする。震える手を一度握り、それから少しだけ時間をかけて彼女をそっと抱きしめた。

「ありがとう」

 理奈だった何かが、笑った気がした。


     *


「理奈」

「・・・・・・なに?」

 他に誰も話しかけてくる相手はいない。だからそれが誰の声なのかはすぐに分かった。

「ごめん、次の時間教科書忘れたから見せて」

 橘樹はやや申し訳なさそうな、けれどそれほど大事とは思っていない様子で頼んできた。

「忘れたの? めずらしいね。いいよ」

「助かる、ありがとう」

 ひそひそと話す声が聞こえる。私が話しているのがそんなに珍しいのか。

 机の中で小さく握った拳の中で、爪が皮膚に食い込んでいく感覚がする。

「気にするなよ」

「いっくん・・・・・・」

 それでもこの人だけは何を言われようが私への態度を変えたことはない。ずっと、ただ私の友達だった。

 周囲の雑音も、邪魔な人間も、その気になれば全員簡単に消すことは出来る。けれど私はそれをしなかった。自分の意思で、しなかった。

「ありがとう」

 だってそうすれば、ずっとこの人は私の隣にいてくれるのだから。

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