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第三章 3


     *


 真っ暗で、まぶしくて、固くて、柔らかくて、沈んでいるようで、浮いているようで。

 どうもこの感覚には慣れそうにない。

 樹は自分の心象世界の中でため息をついていた。ただひたすらに黒い空間、目の前にあるのはどこまでも続く背の高い本棚、その周りは相変わらず本で溢れている。

 樹はそこにぽっかりと浮いた白いテーブルセットの簡素な椅子に座らせられていた。


 さて、どこから話そうか。


 ひとつ、気になっていたことがあった。

 それはつい最近までいつの間にか意識の奥に沈められていて、それが実際の出来事であったことに確信が持てずにいた。

 だから樹自身の記憶もただ怠惰に、緩慢に、世界がそれを望むかのように、虚実をない交ぜにし、真実を歪めていった。

 全ては上原理奈の都合の良いように。

 その事実を確信したのは前回この心象世界とやらに来たときだった。もしかしたらそれはイブツによる何かの副産物で、たまたまそうなってしまった可能性もあった。

 正直葉月にこの事実を伝えるべきかどうか悩まなかったわけじゃないし、できればもう少しの間真剣に悩む時間くらいほしかった。だが事態はそうも悠長に構えていられる余裕はなくなっていた。

 記憶なんて曖昧なものだ。

 自分一人の記憶がどこかに偏った見方をしていれば、もしかしたらこの事態をより一層間違った方向へとねじ曲げかねない。

 何より、その相手は俺の幼なじみだ。

 この先大人になってもずっと、とまでは確信を持って言えないが、少なくともこれからもうしばらくは一緒に過ごすことになるはずだった幼なじみだ。例えそれ自体が理奈によって植え付けられたねつ造だとしても、それはこの時点の樹にとっては紛れもない事実だ。

 もしイブツが理奈だったら。

 樹が葉月に自分の記憶を伝えるということは、理奈を葉月に売ることになる。樹の人生から理奈が消えることになる。

 けれどもし伝えなければ、これからも誰かが消え続ける。それはもしかしたらトクかもしれないし、千春かもしれないし、自分かもしれない。また誰かを見殺しにしてしまう。

 それでも迷った。

 全てを捨てて理奈をかばうか。

 理奈を捨てて全てを終わらせるか。

 そして樹は、後者を選んだ。

 だからあのとき迷いながらも葉月の手を取った。

 ーー理奈ちゃんと一緒にいてあげて。頼むわよ。

 そして、「上原理奈から・・・・・・目を離すな・・・・・」という指令を受けたんだ。


「ここは私の絶対領域」

 葉月のよく通る透明な声が聞こえる。

 今度は声だけではない。向かって右側、彼女の姿が樹の心象世界の中に存在していた。黒い世界の中で異質な存在感を放つテーブルセットに負けないほどの存在感を放つ長い髪の少女がまるで玉座のような立派な椅子に腰掛けている。

「ここに座らせられたものはすでに私の手中。この時点で勝負は決している」

 足を組み、すっと背筋を伸ばして座った少女は、ただひたすらに真正面にいるもうひとつの存在を鋭い視線で射抜いていた。

 葉月の目の前、そして樹から見て向かって左側にいるのは、上原理奈だった「何か」だった。

「いっくん、これは何? やめてよ! こんなこと!」

 大量のモニターがいくつもくっついてできたような、様々な場面が次から次へと映し出されたモザイク模様の人の形をした物体。それが樹と同じ簡素な椅子の上で鎖でがんじがらめにされている。

 樹はテーブルの下で右の拳を握り、小さく息を吐いた。今にも息でないものを吐き出しそうになるのをこらえる。

 その声は確かに理奈のもので、でも目の前にいるのはそれと似ても似つかない何かで。おそらく、これが非存在イブツというやつなのだろう。

「無駄よ。あなたは樹君の心象世界に侵入したところを、同じくすでに侵入していた私に捕らえられている。まさか彼の心象世界を媒介にして捕まるとは思っていなかったようね」

 葉月は冷静だった。

 笑顔でもなく、怒ってもなく、悲しんでもいない。ただまっすぐに理奈だったものを見ていた。

「さあ、答え合わせを始めましょうか?」



「と、その前に」

 葉月の視線がふいに樹へと向けられる。

「樹君、あなたはこの先の話を聞くかどうか選ぶことができる」

「え?」

「彼女はすでに私に捕らえられている。このまま彼女を私の心象世界へと引きずり込んでそこで全てを終わらせることもできる」

「それは・・・・・・つまり?」

「ここから先の話は樹君にとってあまり楽しい話じゃない。その全てを聞くかどうかはあなたに任せる。今、無理に辛い思いをすることはないわ」

 確かにそうだろう。きっと、ここから先の話の展開があまり良いものになるとは思えない。

 それは樹も分かっていた。それでも。

「葉月ほどの熱量ではなかったのかもしれないけれど、ここまでイブツを追ってきたのは俺も同じだ。この結末を見届ける義務が俺にはある」

「・・・・・・いいのね」

 葉月は少し伏し目がちに樹を見ていた。この先の話を聞かせることを、葉月自身がためらっているかのようだった。

 葉月に巻き込まれる形で始まったイブツ探し。けれどそれは、今は自分自身の意思だ。

 だから彼女の迷いを、負い目を、少しでも払拭させるように樹は顔を上げてはっきりとうなずいてみせる。

「これは俺が決めたことだ」

「それじゃあ、始めるわよ」

 葉月は一度目を閉じて小さく呼吸をした。何の音もしない、うるさすぎるほどの静寂が支配する心象世界で、葉月はゆっくりと大きな目を開けるとまっすぐに理奈を見た。

「あなたは様々な人の合成記憶で生まれた架空の人物ーーいえ、イブツよ」

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