表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/23

第二章 4



「ひーちゃん、ひーちゃん!」

 予鈴が鳴り、昼休み終了直前までできる限りの情報交換を行った樹と葉月が席へ戻ってきたのを見て千春が駆け寄ってきた。

 何事かと見ると、千春が胸に大事そうに抱えた漫画本を葉月に差し出してきた。

「これ、貸してあげる!」

「え?」

 千春の突然の申し出に葉月は困惑しつつも、無理矢理に押しつけられた漫画本をとりあえず受け取った。

「おもしろいから読んでみて! りっちゃんから借りてたんだけど、ひーちゃんにも貸して良いって!」

「あ、うん・・・・・・? ありがとう」

 ちらりと理奈の方を見ると、理奈も小さくうなずいていた。トクもそれとなしにこちらの様子を気にしているようだ。

「えっと、あとね! あと、良かったら夏休みもみんなでどっか行こうよ! せっかくだから少し遠出してもいいし、みんなでカラオケとか行ってもいいし、あと、あとは、えーと・・・・・・」

 矢継ぎ早に話し始めたかと思うと、急に黙り込んでしまった。そこまできて、樹はようやく合点がいった。どうやら千春は葉月を元気づけようとしているらしい。そういえば、三人は昼休みに入るときの泣きそうな顔をした葉月を見たのが最後だったはずだ。特に千春は相当心配していたようだ。

「ありがとう、千春ちゃん。もう大丈夫だから」

 そのことに葉月も気づいたらしく、千春に笑いかけた。

「夏休みもみんなで出かけられるといいわね」

「うんっ! 約束!」

「そうねーー約束」

 そうして何食わぬ顔をして、絶対に果たす日のこない約束をしてみせる。

 それは葉月自身が一番分かっていて、けれど千春を安心させるためだけに偽りの約束をする。夏休みが入る頃には千春が忘れてしまうであろう約束を。


     *


 ーー夏休みまでには決着をつける。

 昼休み、葉月はそう言っていた。夏休みまであと一週間。すでにこのクラスは十分すぎるほどの犠牲者を出している。それに、葉月自身の調査は「葉月が転校してくる」までにかなり進んでいた。

「クラスに残った二十一名のうち、記憶の改変が行われていない生徒は私を含め五名。記憶の改変および消去が行われた痕跡のある生徒は十五名、記憶の混濁が激しく解析が困難な生徒が、樹君。ただし世界の改変による記憶置換は含めないとする。つまり、今この教室にいる生徒のほとんどがすでに個別に記憶の改変を受けていることになる」

 葉月は校舎裏の気に寄りかかりながら、空を見上げていた。

「改変っていうのはなんとなく分かるけど、記憶の消去っていうのは実際どういう状態を言うんだ?」

「樹君、人を人たらしめる要素ってなんだと思う?」

「要素? なんだそれ?」

「人を人たらしめるのは、記憶と人格。ほんの少しの消去であれば、物忘れ程度の感覚よ。けれど大きく欠損してしまえば、その人の人格自体を歪めかねない。さらにすべての記憶を消去し人格が死ぬとその人はいなくなる。けれど抜き取られた記憶はイブツの中に蓄積され、イブツはそれを使って、いなくなった人にそっくりの『空の人間』をつくることができる」

 唐突な話に樹はただ呆然と葉月の話を聞いていた。空の、人間?

 葉月が髪を細い指で弄んでいた。絡みついた長い髪が一本抜け、手を離すとそれはふわりと風に乗ってどこかへ飛んでいった。

「急にこんな胡散臭い話をされても困ってしまうわよね、ごめんなさい」

 葉月がうつむき加減につぶやく。確かにこんなことを急に言われても、普通はまるっとそのまま飲み込むのは難しいだろう。

「信じるよ。全部をすぐに理解するのは難しいけれど、俺は葉月を信じる」

 葉月ははっとして顔を上げた。きっと、これまであまり理解されることはなかったのだろう。それはそうだ。こんな突飛でとんでもない話、世界を疑うよりもまず葉月の頭を疑うだろう。

 それでも、俺は葉月を信じる。

「けれど、空の人間っていうのは何なんだ?」

「改変の能力を持たないイブツ、もしくは人格のない人間というところかしら。その中にイブツ自身が人格として巣くうと完全なイブツになる」

「・・・・・・もしかして、今残っているクラスメイトの中にもすでにその、空の人間がいるのか?」

「それは大丈夫。何故かは分からないけれど、あのクラスに巣くっているイブツは丸ごと記憶を飲み込んだ人間については全て綺麗に消し去っている。その方が私のような人間に見つかりやすいというのに」

「その、消えた人たちが戻ってくる方法ってあるのか・・・・・・?」

「残念だけど、今のところその方法は見つかっていないわ」

 葉月は細い顎に手を当てて少し考え込むような仕草をした。

 樹は葉月の話についていこうと必死だった。見ないようにしてきた今の自分が置かれている状況は思ったよりも深刻らしい。

 佐山さんも、これまで消えていったクラスメイトも、もう二度と帰っては来ない。

 実感はまるでない。みんな、急に当たり前のように消えて、当たり前のように毎日が進んでいってしまう。それを悲しいと思う気持ちさえ、この世界はめまぐるしく変えていってしまう。

 葉月がひとつ、小さく呼吸をしてから再び話し始めた。

「それでね、改変が行われていない生徒を中心に調査を進めていたのだけれど、どうやら彼女たちの記憶に齟齬はないし、年齢と比べて記憶量も正常、ほぼ白と考えて良いと思う。だから私は記憶の改変と欠損が激しいーー」

 そこまで言って葉月は急に言い淀んだ。嫌な予感はしたが、聞かないわけにもいかない。

「・・・・・・ここまで話したんだ。言えよ」

 葉月はそれでも少しの間逡巡したが、意を決して続けた。


「ーー樹君のまわりを再調査することにしたの」


     *


 目の前では千春と理奈が張り切って夏休みのプランを提示し、トクがちょっかいを出し、千春が怒り、理奈がなだめる。葉月は席についてそれを黙って聞いている。数日前までと変わらない。むしろ、以前よりももっと距離が近くなってきているようにさえ見える。

 ずっとこのまま何気なく毎日が過ぎて、高校を卒業する。そんな「当たり前」を何一つ疑わなかった。こんな事態になっていることを気づこうと思えば気づけていながら。

「出かけるのはいいとして、補習ある奴はどうするの? 置いてくの? 千春とか千春とか千春とか」

 ーー白田徳。記憶に関する大きな欠損、改変は見つからない。だが細かい部分はかなり書き換えられた痕跡があるので人格に影響を与えられているがある可能性がある。

「大丈夫だもんっ! 今回赤点一科目しかないもんっ! 余裕だよ!」

 ーー結城千春。記憶を大きく欠損している。そのためか年齢の割に記憶量は少ないが、改変の痕跡は欠損と比べるとかなり小さい。

「ちーちゃん、補習はさぼっちゃだめだよ? 私も課外授業で学校来るから一緒にがんばろ?」

 ーー上原理奈。記憶にかなり大きな改変の跡がある。欠損箇所も多いが、残っている記憶の全体量は多く人格への影響は欠損よりも改変によるものであると考えられる。

「・・・・・・千春、そろそろ授業始まるから席どいてくれない?」

 ーー橘樹。記憶の混濁が激しく不確かな情報しか読みとれない。しかし、おそらく大きな改変は受けていない。

 この中にイブツがいるとは限らない。しかし、明らかに他のクラスメイトと比較して大規模な記憶操作が行われている。そのわりにこのグループからは誰ひとりとして消えた人間がいない。

 日常が急速に変わろうとしていた。

 いや、このときにはすでに急速に変わっていっていたんだ。



「いっくんあのさ、今日一緒に・・・・・・」

「ごめん、今日は用事あるんだ」

 帰りがけに理奈に声を掛けられた。樹が掃除から戻ってきた頃には教室にすでに他の生徒の姿はなく、理奈は一人で樹を待っていた。

 しかし今日は放課後も葉月と打ち合わせがある。まだ共有できていない情報が多すぎる。残り一週間。時間はそう多くない。

 そこでふと、顔も見ずに返事をしたことに気がついて振り返る。しかし理奈は笑って言った。

「そっかそっか、気にしないで! 忙しいならいいんだ」

「・・・・・・ちょっと今日は急用が入って。どうかした?」

「ううん! そういうことならいいの。大丈夫」

 何か引っかかる笑顔に背中を引っ張られ、教室を出て行きづらい。大した用事ではないのならいいが。

「ならいいんだけど。何かあったんだったらすぐ言えよ」

「うん、ありがとう」

 理奈は笑っていた。樹はその笑顔にどこか不安を覚える。何もないならいい。何もないに決まっている。

「いっくん」

「何?」

「いっくんは、どこにもいかないよね」

「・・・・・・理奈?」

「ごめんごめん! なんかさ、最近いっくんが遠くなったような気がして。でもそんなの当たり前だよね。もう小学生のときとは違うんだし。幼なじみって言ったって、それだけだし」

 窓際に立って小首を傾げる理奈は、夕暮れまでまだもう少しある暖かな午後の光に照らされていて、少し表情が読みづらかった。それでもその笑顔はどこか寂しげだった。最近、あまり元気がないような気がする。

「理奈」

「なに?」

 理奈の動きに合わせて彼女の短い髪が揺れる。理奈の澄んだ瞳はまっすぐに樹だけを見ていた。改めてそんなに真っ直ぐに見られると照れくさくなる。樹は開きかけた口を一度閉じてから独り言のようにつぶやいた。

「今の髪型、似合ってると思う」

 喉に言いようのない感情が迫り上ってくる。なんて声を掛けるべきだったのだろう。

「なにそれー? えへへ、ありがとう! なんだろ、ごめんね、変なこと言って気遣わせちゃったよね。じゃあ、また明日ね!」

 何かの感情を押し殺すように笑うと、理奈は樹よりも先に教室を出て行った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ