第二章 消失世界の思い出1
第二章 消失世界の思い出
「いっくんおそーい!」
人混みの中でも一際通る声が耳をつんざく。千春だ。
時刻は午後五時五分。祭り会場の最寄り駅の改札横。待ち合わせ時刻は午後五時だったはずなのでそれほど遅れてはいないわけだが、どうやら他のメンバーは既に全員集まっていたらしい。
「ごめん。ちょっと弟が熱だしてさ」
「えっ本当? 大丈夫?」
「嘘。電車混んでた」
弟なんていないし。
「それも見越して早めに来るんだよ! 俺みたいに!」
「そうそう! いっくんは普段から遅刻魔なのだからこういうときは一番早く来るべきなのです! トクちゃんは楽しみすぎて待ち合わせ時間を一時間間違えるくらいだったんだから!」
「間違えたんじゃない、俺は準備が良いんだ!」
「そうだよね! まさか一時間も間違えるわけないよね! ちーちゃん昨日の夜わざわざみんなに時間と待ち合わせ場所の最終確認のメッセージ送ったもんね!」
「そう! 俺は間違えてない!」
「そうだよね! 間違いなく馬鹿だよね!」
「うるせぇちびっこ!」
「やぁぁぁ! 縮む! これ以上背が縮む!」
トクに頭から押さえつけられた千春がじたばたと暴れるのを眺めながら、樹はあることに気がつき理奈に声をかけた。
「あれ、全員浴衣?」
理奈は黄色、千春はピンクの浴衣を着ている。さらにはトクまでちゃんと浴衣だ。みんな祭りの雰囲気に合う、華やかな姿だ。
「うん、いっくんは以外そうだね、昨日ちーちゃんからのメッセージに書いてあったし」
そう言えばそんなことが書いてあったかもしれない。意外とみんな律儀なものである。樹は特に気にせず特におしゃれでもなく野暮ったくもない取り立てて特徴もない普段着で来ていた。
そこでもうひとつ気がつく。
「葉月は?」
「日和ちゃんならここに、ほらっ?」
促された葉月が理奈の影からこっそり顔を出してきた。完全に気配を消して影から樹のことをにらみ据えていた。お前は猫か。
「日和ちゃん、浴衣持ってないって言ったらちーちゃんが貸してくれたの。ね?」
理奈が嬉々として葉月を前に押しやろうとして、葉月は葉月で触れられまいとしたために、自然と不本意に前へ出る格好となってしまった。
「・・・・・・私は別に良いって言ったんだけど」
水色を基調とした花と蝶の浴衣姿。長い髪は器用にまとめられている。葉月は頬を赤らめ、珍しくもじもじとしていた。どうやら照れているらしい。元の容姿が群を抜いていることも相まってまるで別人だ。
圧倒された樹はつい言葉を失ってしまった。
「だめだよひーちゃん! だってお祭りだよ! みんなで浴衣ででかける機会とか他にないよ!」
千春が樹と葉月の間に入って力説する。トクのことは振り切ったらしい。
「どっかの誰かさんみたいな人もいますけど!」
ぱっとこちらを振り返り口をへの字に曲げて見上げてくる。
一体誰のことだろう。
「でもそうだよね。せっかくの機会だもんね! みんなで浴衣着てお祭りなんてなんか楽しみ」
理奈が千春に同調する。葉月も、恥ずかしそうにしてはいるものの、どこかそわそわとしている。確かに、年に一度のお祭りだ。近所のお祭りとしては結構規模の大きいものだし、近年はあまり来ていなかったが、たまにはこういうのも良いかもしれない。
今年は、一緒に誘ってくれる仲間がいるのだし。
「それじゃあ、樹も来たし移動するか!」
トクが先頭を切ってお祭り会場へと歩いていく。それに千春、理奈、葉月と続く。樹はその光景を一番後ろから見ていた。
「くそ・・・・・・」
「はい、いっくんの負けー! ラムネおごりね!」
「樹君、あなたあまり器用じゃないみたいね」
恨めしげに派手に破れたポイを見つめる樹の隣で葉月が得意げに発砲スチロールのお椀を見せつける。そこには大量の金魚が入っていた。自分の左手の中にあるお椀には結局一匹の金魚も入ることはなかった。
「・・・・・・意外と器用なんですね、葉月さん」
「そうね、思ったより得意みたい」
皮肉を込めてうろんげな視線を向けた樹の言葉を葉月は気にもとめずにさらりとかわす。
「いや、本当葉月ちゃん器用だわ。俺こんなに金魚すくいうまい人初めて見た」
「うん、いっくんには泣きの一回いらなかったねぇ」
トクと理奈がしげしげと葉月を眺めて金魚すくいの腕前を賞賛する。葉月もまんざらでもない表情で横目で樹を見ていた。どうやら自慢したくて仕方ないらしい。
花火が始まる前に、ラムネのおごりをかけて競った金魚すくいは葉月の圧勝に終わり、一匹もすくえなかった樹と千春が泣きの一回を懇願し、結局千春が一匹すくうと同時に樹のポイが破れて樹のおごりに決定した。
「子どもの頃はもう少しうまかった気がするんだけど」
「はいはいはいっ! 三回目はないからね! 言い訳はもういいから、お使いいってらっしゃーい!」
「覚えてろよ、このちびっこめ・・・・・・」
「んんー? 聞こえないなぁ?」
「諦めろ。行ってこい、樹」
「そうよ。こんなところで悪足掻きだなんて格好悪いわよ」
葉月が二つのお椀に入った大量の金魚を生け簀に返しながらにんまりと笑う。どうやらお椀ひとつに収まりきらないほどすくったらしい。商売道具をごっそりと持って帰られなくて店主はさぞやほっとしていることだろうよ。千春だけはようやくすくった一匹が入れられたビニール袋を大事そうに抱えていたが。
「・・・・・・わかったよ。行ってくる」
重い腰をようやく上げながら、樹はしぶしぶとうなずいた。
「じゃあ私も、荷物持ちくらいしてあげる」
「えーっ! りっちゃん優しすぎるよ!」
「そうだぞ、もう少し厳しくしないと樹は育たないぞ!」
「そうね、一理あるわ」
「うるせぇ! お前らはどれだけ俺を馬鹿にしたら気が済むんだ! 少し器用だからって調子に乗るなよっ! 行くぞ理奈!」
「あっはーい、行ってくるねー」
「おう、いってらー」
「りっちゃん気をつけてねー!」
「理奈ちゃん、混んでるから急がなくていいわよ」
「誰か俺にも何か言うことは無いのか」
「樹君、理奈ちゃんの足を引っ張ったらだめよ?」
「うるせぇ! 買い物でどうやって足を引っ張るんだよ!」
捨て台詞を吐いて人混みの中を歩き出した樹を慌てて理奈が追いかけていく。
花火開始まであと一時間。祭り会場はなかなかのにぎわいを見せていた。どの屋台もかなりの列ができていて、樹と理奈も仕方なく適当な店の列に並ぶことにした。
「来てよかったでしょ?」
ふいに声をかけられ、樹はすぐ横に並ぶ理奈の顔に視線を向けた。
「かき氷食べて、射的して、綿あめ食べて、金
魚すくいして。こんなの久しぶり」
「・・・・・・そうだね」
「日和ちゃんももうすっかり馴染んでるみたいだし良かった。いっくんのおかげだよ」
「そんなんじゃないよ」
「そうかな? 日和ちゃん、いっくんにすごく懐いてるみたいだし」
「別にあれは、勝手に幼なじみ認定されてるだけで」
「でも、知ってる人がいるってすごく心強いと思うの」
「そうかな」
「そうだよ」
「いっくんは、優しいもんね」
小さい頃、理奈とはよく一緒に祭りに来ていた気がする。色とりどりの屋台の明かりに照らされた理奈の横顔はいつの間にかどこか大人びたものになっていた。
「理奈、あのさ。子供の頃、俺たち何か約束したっけ」
「約束?」
理奈が首を傾げて樹の顔を見た。
「うん。何か、したような気がするんだよね」
前の人たちが注文を終え、脇に退く。
「はい! いらっしゃい!」
「あっ、ラムネ五つくださーい」
隣で理奈が注文する声が聞こえた。
ラムネを樹が三本、理奈が二本受け取り、二人が人波の中へと戻っていこうとしたときだった。
「あっ」
一歩先を歩いていた理奈が突然立ち止まった。何? と声をかけようとした樹の口からその言葉が発せられるより先に、理奈は駆けて行ってしまった。
理奈の肩越しに佐山さんの姿が見えた。特に浴衣を着るでもなくTシャツにショートパンツというシンプルな服装だった。家族とでも来ていたのだろうか。
「佐山さんも来てたんだっ」
彼女とさして仲良くもなく、会話らしい会話もしたことがない樹は特に何の気もなしにその光景を見ていた。理奈は佐山さんと二、三言会話を交わしたようだったが、すぐに佐山さんは去っていった。
理奈の横まで追いついて、一緒に歩き始める。
「佐山さんもお祭りとか来るんだな」
「うん、学校の外で会うなんて初めて」
「家族と来てたのかな」
「どうして?」
「いや、なんとなく。あんまり仲良くしてる友達とかいないような気がするから」
何の気なしに、そんな言葉を口にしていた。
「・・・・・・そうかな」
「あっ、いや、別にそれが悪いとか、そういうわけじゃないんだけどさ」
「やっぱり、日和ちゃんにはいっくんがいて、良かったね」
「理奈?」
はっとして振り返る。いつの間にか追い越してしまっていた理奈が、後ろから樹の体に向かって手を伸ばそうとしていた。
それを、樹はとっさに避けてしまった。
「あ・・・・・・ごめん、どうした?」
「いっくんさ、」
理奈がうつむき気味だった顔を上げる。
薄闇が近づく時刻。その笑顔は屋台の明かりに照らされて、どこか寂しげだった。
「なんか最近、変わったよね」
抱えていたラムネの瓶がぶつかり、少しだけ軽い音を立てた。




