四話
"いい歓迎会でしたね"
「そうだね」
家に戻ったのは、零刻を過ぎた頃だ。明かりを灯して、すぐに居間のソファに横になる。疲れてしまったのだ。王宮の南にある二階建ての木造建築の家。もともとはミラと一緒に住んでいた家だ。古いけれど、頑丈な造りだ。ミラは結婚して家を出て行った。俺は公務員に与えられた寮には入らず、ここで暮らしていくことを決めた。ミラはそれを喜んでくれた。
"みんないい人でした"
「ああ。それは間違いない。うまくやっていけるといいな」
"そうですね。まぁ、大丈夫でしょう。キースなら"
そう言ってもらえるとありがたい。ギアは俺よりもよく俺のことを知っている。俺を客観視できる立場にあるから当たり前と言えば当たり前なのだが。
それにしても飲みすぎた。早めに眠りたい。もう、ここで眠ってしまおうか。そう思ったときだ。
"キース。テーブルに何かメモがありますよ"
「うん?」
起き上がって居間のテーブルを見ると、確かに封筒が置いてある。朝にはなかったものだ。手にとると、見慣れた字体で見慣れた名前が書いてあった。ミランダ・フェリス・ヴァレンタイン。
「ミラだ」
"今日、ここに来ていたのですね"
ミラもこの家の鍵を持っている。俺が留守の間に入ってきたのだろう。封筒を開けると、便箋に書かれたミラの楽しそうな文字が目に入ってきた。
『騎士就任、おめでとう! お仕事、お疲れ様! 試験、よく頑張ったもんね。やっぱりキースは私の自慢の息子です。これからも、体に気をつけて、精進していってください。追伸、明日のごはん、作っておきました。ちゃんと食べてね』
簡単なメモだった。すぐに台所に向かうと、熱石コンロの上に野菜たっぷりのスープ鍋。水壁冷蔵庫には、俺の好きなローストチキン、レッドサーモンのホイル焼き、チーズタルトが作って入れてあった。作って持ってきてくれたのだろうか。野菜スープはすでに冷たくなっていた。もっと早く帰ってくれば、ミラに会えただろうか。
"どうせまたすぐ会えますよ。近いのですから"
「まぁ、そうだけど」
"何、しんみりしているんですか。キースが悪いのですよ。あんなにミラのことを愛していたのに、結局、レオに取られてしまったじゃないですか"
うるさいなぁ。俺が臆病者だったのは認めているじゃないか。今までの関係、これからの関係を壊したくなくて、想いを封じ込めた。それでよかったのだ。ミラにはレオがお似合いだ。それはよくわかっている。これでよかったのだ。
"本当にお人好しなんですから"
ギアはそう言うが、俺はお人好しだというわけではない。怖いのだ。俺が魔人であることを恐れられるのが。魔人であるがゆえに、人から拒絶されるのが。
ネルド国では、両親からも他人からも蔑まれ、疎まれ、唾を吐きかけられ、息をするのと同じように殴られ蹴られる生活を強いられてきた。ネルド国にはアストリア国ほど魔法が浸透していない。見えない現象には恐怖心を抱く、恐怖心から他者を攻撃する、そんな国だ。アストリア国に連れてこられて、普通に生活をすることができただけで俺は幸せだった。人の顔色を窺わなくてもいい。自分の好きなことをしてもいい。意味もなく殴る人・蹴る人はいない。体を傷つけられることもない。幸せすぎて、魔人であることを忘れてしまいそうになるくらいだ。
だが、俺は魔人だ。人を傷つけてしまうかもしれない脅威の存在だ。今はギアの性格や性質を知っているからこそ、それはないのだと断言できるが、それを知らない普通の人は俺を恐れるだろう。関わりたくないと願うだろう。それが普通の反応だ。だから、俺は、臆病者なのだ。親しくなりたい人に拒絶されたくない。当たり障りのない交流だけでいい。それだけで俺は幸せなのだ。それ以上のことは望まない。希望が絶望に変わるその瞬間に、俺は耐えられそうにないのだ。
"キースのその性格、私は好きですし、理解もしていますけど。絶対、損をする性格ですよ"
苦笑交じりの声だ。そんなこと、俺が一番よくわかっている。
"今度譲れないものができたら、もう誰にも譲らないでくださいよ"
ギア。俺は、もう、この穏やかな生活が手に入っただけで、十分幸せなんだよ。