十七話
宮廷公務員の休日は、五のつく日と十のつく日と決まっている。青一月三十日、俺にとっては公休日になるのだから、一人で買い出しをして、洗濯や料理や掃除をして、ゆっくり過ごしたいと思っていた。クレハも、同じように考えていると思っていた。久々に王都に戻ってきてからの休日なのだから、ゆっくり過ごしたいだろう、と。それは間違いであった。
寝巻き姿のまま、俺とクレハは朝食を摂る。
「このミートボール、美味しい」
ミートボールのコンソメスープが気に入ったらしいクレハだが、一口大のミートボールでさえ半分しか食べず、コーンを一粒ずつ口にしている。パンには一切手をつけていない。朝はあまり食べられないとのことだったが、こんなクレハはここ数日で初めてだ。まだ歯が痛むのだろうか。俺が訝しがっているのに気づいたのか、クレハは照れたように笑う。
「ギアと話をしていると、結構体力を使うのね。お腹がすいて仕方がないんだけど、あんまり食欲もなくて」
昨晩も俺はその場に呼ばれなかった。ギアと内緒の話をしていたのか。
「毎晩毎晩、ギアと何を話すんだ?」
「魔から見た世界と、人間から見た世界、その差異や共通点について。魔と精霊の違いも不思議ね。ギアの話してくれることはみんな興味深いわ。ごめんなさい。キースの体を利用しているようなものだけど、楽しくておもしろくて、研究者としての血が騒ぐというか」
微笑みながらも、クレハの表情は暗い。目の下に薄っすらとクマがある。
「クレハ、疲れているんじゃないか?」
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう。でも、今日はやることがたくさんあるの。ギルドと自警団といくつかの魔法学校に行かなきゃいけないし、一昨日の報告書も作らないといけないのよね。休んでいる暇はないわ」
紅茶を無理やり流し込み、クレハは席を立つ。その瞬間に、華奢な体がぐらりと揺れた。
"キース、手を"
ギアが叫ぶ前に、俺の体は動いていた。よろめいたクレハを支えて、額に手をやる。俺の手のひらよりもずっと熱い。
「クレハ、すごい熱じゃないか」
「え、そう? そうなの? あ、キースの手、冷たくて気持ちいい」
上気した頬。潤んだ瞳。明らかに熱がある。俺は一言「ごめん」とつぶやいて、クレハの体を抱き上げる。思った通り、クレハの体は軽かった。
「え? あれ?」
「おとなしくしてて。今日の予定は全部明日やればいい。今日はゆっくり休みなよ」
「でも」
「でも、じゃない」
俺が声を荒らげると、それ以上クレハは抵抗も反論もしなかった。二階に上がり、ミラが使っていた部屋と俺の部屋、どちらにクレハを連れて行くか悩んだが、ミラの部屋の掃除をしていなかったことを思い出し、俺の部屋に運び込む。見慣れた部屋のほうが落ち着くだろうと考えたのだ。
「おとなしく寝てて。水枕を持ってくるから」
ベッドにクレハを寝かせてそう告げると、クレハは潤んだ瞳で俺を見上げてこくりとうなずいた。ようやく自分の状況を飲み込んだようだ。小さく「ありがとう」と微笑む。まったく、手のかかる女だ。
"すみません、私のせいですね"
当たり前だ。無理をすると倒れると、レイン殿もおっしゃっていたじゃないか。連日連夜、クレハの体力を消耗するようなことをしていたのなら、これはギアの責任だ。けれども、ギアはかなり落ち込んでいるようで、声に元気がない。
「まぁ、どうせ、疲れがたまっていたところに、体調崩して風邪を引いたくらいのことだろ。一日寝れば大丈夫だろう」
"そうだといいのですけれど……"
あまりにギアがしょぼくれているので、これ以上責めるとかわいそうだ。俺は無言でタオルをしぼり、氷壁冷凍庫からカチコチに凍った氷スライムを取り出す。少し古いものだが、構わないだろう。補給用の水も必要だ。ミラは風邪を引いたことがなかったから、少し新鮮な気分がする。初めての看病だ。
手のひらほどの氷スライムをタオルで巻き、クレハの額に乗せる。クレハは薄目を開けただけで、またすぐに瞳を閉じた。よほど疲れているようだ。休む暇もなく仕事をしていたからだろう。王宮に常駐している公務員とは違い、クレハは常にどこかの国へ行っている。勤務も移動も疲れるだろう。帰ってきてからも魔族や事件のことを考えてきたのだ。そこに、ギアと話すということが加われば、しんどいばかりだ。
「……り、と」
消え入りそうな声だったが、ありがとうと聞こえた。
「どういたしまして。外には出ないで下にいるよ。ちょくちょく様子を見に来るから、ゆっくり休んでて」
さて、久々に粥でも作ろうか。具は何を入れよう。この間リゾットを作ったばかりだから、チーズはやめておこう。アマイモはまだ残っていただろうか。栄養価が高いから、ふかしてつぶして入れてやろう。
そんなことを考えながら、貯蔵庫と台所を行き来していたときだ。コンコンとドアをノックする音が聞こえた。休日の朝にやってくる人間を、俺は一人しか知らない。ギアもそれを知ってか、何も言わない。扉の向こうの人間を知っているのだ。
「はい」
玄関の扉を開けると、大きな袋を持った小柄な人の姿が目に入る。俺を見上げて、彼女は微笑む。
「久しぶり、キース」
「ようこそ、ミラ」
俺の育ての親が、久々に里帰りをしにきたようだ。