十六話
この件はそこまで大きな事件としては扱われなかった。中毒症状を起こしたのがアキ一人であった点、食堂内部や昼食から毒物は検出されず、クッキーからのみ毒物が検出された点を考えて、不特定多数の人間を狙った犯行ではないということが早い段階でわかっていたからだ。また、アキの症状は昨日の屋台通りで起きた中毒症状と同じようなものだった。ロング室長がアキに解毒剤を飲ませたら、すぐに回復したようだった。クッキーの中に入っていた毒がどういうものなのかは、ロング研究室で調査中だ。結果はすぐには出ないとのことだった。
ラック騎士団長、ダグラス班長やリントも駆けつけ、狭い医務室はもっと狭くなった。アキの回復を待って医務室で騎士団による事情聴取が始まったのだが、アキの語った事情は呆れて開いた口が塞がらないようなものだった。
「では、ダグラス班長室に置いてあったクッキーを食べた、ということだな?」
「はい」
「それはいつどこで購入したものだ?」
「わかりません。自分が食べたのは、キースの机の上にあったクッキーなんです」
「えっ」
医務室にいたすべての人間が、口をそろえて驚きの声を出した。書類整理をしていた医者まで顔を上げて呆れた目でアキを見ていた。アキが口にしたのは、ダグラス班長室の俺の机の上に置いてあったクッキーだったのだ。もちろん、俺が購入しておいて置いておいたものではない。誰かからの差し入れだろうか。つまり、アキは、誰かが俺にプレゼントしたものを勝手に自分のものにして食べてしまったのだという。さすがに俺も呆れる他なかった。
「朝食を食べ損ねて、お腹がすいていたんですよ」とアキは説明した。
「バカか、お前は」とリントが呆れ、「まぁ、大事にならなくてよかった」とダグラス班長は笑い、「ごめん、キース」とアキは苦笑いした。バカな先輩を持つと、こんなにも大変なのか。
「キース、このクッキーに見覚えは?」
「いいえ、ありません。クッキーを持ってきた人物にも心当たりはありません」
ラック騎士団長の問いに俺はそう答えるしかなかった。
俺の机の上にあったクッキー。薄桃色のふわふわした素材でかわいらしく包まれていた。メッセージカードがなくても、誰かからの差し入れかと思って、喜んで食べてしまいそうだ。アキが食べなければ、中毒を起こしていたのは俺であった可能性が高いのだが、恨まれているのだろうか、狙われているのだろうか、その理由がまったくわからない。
「そういえば、昨日、屋台通りの中毒事件の現場の近くにいたな、キースは」
ダグラス班長の言葉に、俺はうなずく。中毒事件に遭遇したのは昨日と今日、二回目だ。
「どういうことだ?」
俺と班長のやり取りに、ラック騎士団長の目が光る。
「昨日、クレハ・ミストールの警護中に、中毒事件の現場に居合わせたんです。中毒を起こした人を介抱していました」
「クレハ殿と一緒だったのか。そういえば、そういう事件の報告が上がっていたな。マールの件といい、今回のことといい、よく事件に巻き込まれるな、キースは」
「やめてくださいよ。迷惑しているんです」
「そうだな……ダグラス殿、もしかしたら、キースが何者かに狙われているのではないか?」
「そうかもしれませんね。恨まれているのでしょうか」
二人で納得しないでくれ。俺は慌てる。どうしても、自分が狙われているとは信じたくない。
「でも、団長、俺には狙われる理由がわかりません。心当たりがありません。俺の机の上にあったからといって、俺が狙われているとは限りません。机に名前が書いてあるわけではないんですから」
「ふむ……まぁ、確かに、そうだな。両方の事件に少し関わりがあるというだけで、キースの身が危険だというわけではないが……今後、外食を控えるとか、差し入れやプレゼントなどを口にしないということに気をつけてくれないか」
「……はい、かしこまりました。善処します」
それから俺たちはまたそれぞれの持ち場に戻り、仕事を続けることとなった。一応、ザッカス室長とクレハには今回のことを報告しておいた。クレハは「ふぅん」とそっけなくつぶやいて、「何かの間違いじゃないの?」とラック騎士団長の見解を否定するような顔をしていた。俺もそうだと思う。今日の仕事が続けられなくなったアキは、とりあえずもう少し公務棟の医務室で様子を見て、場合によっては寮の医務室にて一晩療養することとなりそうだった。
「自業自得というものね」
タオルで髪を拭きながら、クレハは言い放った。俺が気にしているのは、そんなことではない。なぜ、クレハが我が家にいるのか、そして、なぜしたり顔で風呂を使っているのか、ということだ。
「キースへのプレゼントかもしれないものを、勝手に持ち出して食べたのだから、仕方がないわ」
「それはそうだな。それはわかっている」
医務室にいた人間の総意だ。アキには悪いが、自業自得が招いた事件だ。これで、他人のものを勝手に食べるようなことは控えてもらえればいいのだが。
「それにしても、キースが狙われるなんて、不思議ね。やっぱり間違いだと思うけど」
リント曰く、「クレハの警護を引き受けているからではないか?」とのことだ。騎士の中でのクレハの人気は高いと聞くが、だからといって、俺を逆恨みして危害を加えようとする人間が騎士団の中にいるとは考えたくない。そもそも、そんな馬鹿げた理由だと思いたくはない。
「狙われる理由なんて心当たりがないけどな」
「そうよね。そもそも、キースが狙われたのかどうかも怪しいし」
クレハの言葉に、俺もうなずく。確かに、俺の机の上にクッキーは置かれていたが、机に俺の名前が書いてあるわけではない。適当に置いていったという可能性もある。ダグラス班なら誰でもよかったのではないか、とさえ思っている。そこまでダグラス班が恨まれているとは考えたくないが、自分一人が狙われていると考えるよりもずっと楽だ。
「クッキーの毒が何なのかはわかったのか?」
「たぶん、キースが考えている毒で間違いないわ。ミツユリの花。症状が同じだったと、ロング室長がおっしゃっていたから」
なるほど。屋台の中毒事件と同じ毒か。
「そもそも、誰が王都にミツユリの花なんか持ち込んだんだろう。俺、初めて見たよ、ミツユリの花。あんなにきれいなんだね」
「ええ、そうね。誰が持ち込んだかは調査中よ。そもそも、アストリア国に自生するミツユリの花は白。他の色は私も初めて見たわ。だから他の国からの輸入ものの確認もしているところよ」
「へぇ……」
土が変わると植物の花の色が変わるという前例はある。品種改良で色を変化させることもできる。だが、ミツユリの根は薬になるが、花は毒だ。ゆえに、ミツユリの花の品種改良は禁じられている。それだけ、アストリア国には守らなければならない魔術師の数が多いのだ。
「でも、これが、単純に無知な人間が引き起こした事件なら構わないかもしれないけれど、もし、意図的に引き起こされたものだとするならば……相当厄介じゃないか?」
「そうなのよ、そこなのよ」
タオルを首にかけ、クレハはソファに座る。
「ミツユリの花を意図的に品種改良したというのなら、それは違法だわ。そして、アストリア国の国民、そして騎士に毒を盛るなんて、普通じゃ考えられないこと。だからこそ、リオン様でさえあまり考えないようにしていらっしゃるようだけど。でも、これが明確な意思を持って考えられた事件だとするならば……犯人は魔術師である可能性が非常に高いのよね」
俺も同じことを考えていた。騎士団棟に入ることができる者だけでも限られてくる。ミツユリの花に毒があることを知っていてそれを利用するのならば、魔術師である可能性は高い。
「この数日でこんなにも事件が起きるなんて、不思議」
「……そう、だな。繋がっていないといいな、この二つの件が」
「……そうねぇ。繋がりはないと思いたいわね」
お互いの心にあった気持ちはただ一つ。これ以上、事態を悪くしないでほしい。ただそれだけだ。