十五話
事件が起きたのは、六刻を少し過ぎた頃だ。昼食を摂るために何人かの室長が食堂へと向かったけれど、ザッカス室長もクレハも研究室から出てこなくて、少し空腹を感じていた頃だった。
大またでラック騎士団長が廊下を進んでくるのが見えた。背筋がピンと伸びる。敬礼をして団長が過ぎていくのを見守る。団長はザッカス研究室のさらに向こうの室長室の前で警護騎士に何か伝えている。警護騎士が室長室に入室し、束の間、慌てた様子でロング室長が部屋から出てきた。団長に伴われてどこかへと向かうようだ。
敬礼をして二人が去っていくのを見届けると、ザッカス研究室の扉が開いた。顔をのぞかせたのは、クレハだ。
「……さっきのは、誰?」
「ロング室長と騎士団長です」
訝しがるクレハは室内に向かって問いかける。
「先生、リオン様から招集命令は来ていますか?」
「うーん……来ていないねぇ。気になるようなら行ってくるかい?」
室長室には、リオン魔術師長から招集命令や何らかの指令が届くような装置がある。俺も詳しくは知らないが、緊急を要する有事のときに利用されるようだ。ということは、これは緊急を要する有事ではないということだ。
「では、ちょっと行ってきます。あ、先生、キース借りますね」
「はい、どうぞ」
クレハについて、階下へと向かう。四階警護の騎士が目で「何があったのか」問いかけてきたけれど、俺には何も応えられない。何が起こっているのか、何も起こっていないのか、それすらもわからない。
食堂へと続く廊下を歩いていると、誰かが担架に乗せられてどこかへ運ばれていくのが見えた。クレハと顔を見合わせる。担架に同行しているのは、ロング室長だ。どうしたことかと思って食堂へ駆けつけると、ラック騎士団長が、食堂で何か指示を出しているのが見えた。魔術師や公務員、騎士たちがそれを遠巻きに見つめている。
「何があったの?」
クレハがそばにいた魔術師に尋ねる。顔見知りではなさそうだが、魔術師は気軽に応じてくれた。
「昼食を食べていた誰かが突然倒れたんだ。甲冑を着ていたから騎士かな。泡を吹いていたよ。大丈夫かな、彼」
「一人だけ?」
「ああ。他の人は大丈夫みたいだよ。何かの病気じゃないかな」
騎士団長のそばにレイン殿がいらっしゃる。どうやら騎士が食べていたものを確認しているようだ。
「このクッキーは私たちが作ったものじゃないわね」
レイン殿の言葉に、そばにいた公務員のプレートを覗き込む。テーブルの上のプレートには、今朝食べた魚介類とオレンジトマトのスープ、チーズサラダ、焼きサーモンフィレル、そして今朝は食べなかった何かの肉の煮付けとプリンがおいてある。確かに、デザートにクッキーはない。
「この中にクッキーを食べたものはいるか?」
ラック騎士団長の問いに応じる者はいない。挙手をする者もいない。どうやら、クッキーを食べたのはその騎士だけらしい。ラック騎士団長はそれを確認して、騎士が食べていたものをとりあえず持っていくことにしたようだ。調べてみないとわからないということだ。
「何か思い出したことがあったら、室長や班長、局長に伝えてくれ。みなはそのまま食事を楽しんでくれ」
騎士が食事のあとにクッキーを食べて倒れた、という事件であったようだ。ラック騎士団長の言葉に、避難していた者たちはそれぞれプレートを持って席につき始める。
「アキ、大丈夫かなぁ」
「泡吹いていたもんね……大丈夫だといいけど」
近くにいた魔術師たちの言葉に、俺は思わず彼女たちのほうを向いてしまう。まさか。
「アキって、魔法騎士班のアキ・ゲイルズ?」
「ええ、そうよ」
「確かにアキだったわ」
魔術師たちはうなずく。俺の表情を見て、クレハは悟ったようだ。
「倒れたのは同僚なのね?」
「ああ。心配だな……」
ロング室長もついていたようだし、大丈夫だとは思うが。どうしてもマールのことが頭をよぎってしまう。あぁ、大事がなければいいが。