十二話
公務棟、魔術師棟、騎士団棟、この三つの棟が王宮を形成している。公務棟と魔術師棟は七階まであり、騎士団棟は四階まである。騎士団棟だけ少し小さい造りだ。三つの棟の四階以上は、王族付きの者しか立ち入ることのできない、立ち入り禁止区域となっている。特に公務棟と魔術師棟の七階には王族の居住区があり、六階には王族執務室がある。政治の要があるのだ。俺が今日から警護をするザッカス研究室の室長室がある階は、魔術師棟の四階に当たるため、本来なら王族付きの者しか出入りできない場所となっている。初めて訪れる場所なので、少し緊張する。
四階に上がる階段を上りきると、警護をしている王族付き騎士が二人、立っている。どちらも俺の顔を見て険しい顔となる。連絡は入っているだろう。警護騎士がいるところでは、騎士証を見せて名乗り、用件を言うのが通常だ。国章の入った騎士証は、魔術師証と同じで首から下げてずっと身につけておくものだ。それを取り出して、警護騎士に見せる。
「キース・ナイトレア、魔法騎士班の騎士です。ザッカス研究室の警護を命ぜられ、参上しました」
「ご苦労。通行を許可する」
二人の警護騎士が通路を開けてくれる。ほっとしたのも束の間。
「特例中の特例だからな」
通り過ぎるとき、ぼそりと釘をさされた。納得ができないのは彼らも同じらしい。俺だって、そうだ。
「わかっています。でも、精一杯務めさせていただきます。至らないところばかりだと思います。何か気づいたことがあればご助言ください。よろしくお願いいたします」
頭を下げると、二人は少し面食らったかのような顔をする。俺からそんな言葉が出てくるとは思わなかったようだ。俺は愚かではない。敵は作りたくないのだ。
「確かに特例だが、団長が許可をしたのだから、お前もそれに応えるだけだ」
「そうだな。ここは俺たちが守るから、お前はお前ができる範囲で頑張ってくれ。ザッカス研究室は右手側だ」
「……ありがとうございます」
何とも心強い言葉だ。長期で勤めている騎士はやはり貫禄が違う。俺もいずれはああいう風格を身につけたいものだと思う。
魔術師棟の一階と二階には研究室があり、四階には基本的には室長室がある。ザッカス研究室だけは、研究室と室長室を兼ねて四階に設置されている。おそらくは、二人ともほぼ王宮にいることがないからだろう。世界各国を飛び回っているのだから、そもそも研究室の必要性がないと見なされたのだろう。そして、人員が二人だけであるということも、研究室と室長室が兼ねられている要因となっているのではないだろうか。
中庭の周りを廊下が囲み、さらにその周りに室長室が配置されている。中庭は木々がきれいに植えられ、草や花が生い茂り、水の音まで聞こえてくる。見た目にはとてもきれいなのだが、近づきたくはない。実際、中庭にいる人間はいないし、ベンチもない。憩いの場ではなさそうだ。
"正解ですね。あそこは危険です"
ギアの言うとおり、何かしらの罠が仕掛けられている気がする。そういう危険な場所の周りに、室長室があるのも不思議なものだ。
ザッカス研究室室長室、というプレートがかかった扉の前で、俺は一旦深呼吸をする。呼吸を整えたあと、扉をノックした。
「はーい」
「失礼します。警護騎士、キース・ナイトレアです」
扉を開けたのは、クレハだった。俺の顔を見上げて微笑む。夜、一緒のベッドで眠り、朝、一緒に出勤してきたのが不思議と思える。
「先生に挨拶する?」
「はい」
俺は初めてザッカス研究室に足を踏み入れた。魔人のことでザッカス室長と会うときはいつも三階の会議室であったから、ここに来るのは初めてなのだ。
入室すると、思いのほかザッカス研究室は広くはなかった。三つの机と、応接机と、二面に据え付けられた大きな棚と地図。そして、部屋の隅に置かれたバッグ。目ぼしいものはそれくらいだ。華美な装飾物もごてごてしたものも何もない。書籍や書類はそこまで散乱しておらず、机の上もきれいなものだ。ただ、大きな箱が床においてあり、そこに多くの書類が入っている。公務棟の局の名前が書かれてあるところを見ると、書類の確認をしたものを入れているようだ。
「やあ、キース。昨日は大変だったね」
軽快な口調で話しかけてくれるのは、シド・ザッカス研究室室長。一番奥の机で何かしらの作業をしていたのか、顔を上げてこちらを見る。相変わらず人懐こい笑顔を浮かべている。
「とんでもありません。ザッカス室長のほうこそ大変だったと思います」
「ハハハ。まぁ、大変なのは慣れっこだからね。仕方ないよ」
ザッカス室長は笑う。大変ではない日常は、この二人にはないのだろう。
「ところで、キース。昨日、エルト公園には一人で向かっていたのかい?」
「はい。途中までは。途中で、知り合いの魔術師に会って一緒に公園に向かいました」
「名前はわかるかい?」
「はい。ロング研究室のネネ・ブランク殿です」
「なるほどね。でも、その魔術師はあの場所にはいなかったようだけど?」
「応援を呼びに行ってもらいましたので」
「そうか。いい判断だったね」
室長とクレハは机に座ったまま。俺は立ったまま。何だろう、この尋問みたいな空気は。
「何か怪しい人影は見なかったかい? 公園から走り去る人とか」
「公園から……いえ、見ていませんね」
あのとき赤い髪飾りの女の子とぶつかったが、彼女が公園から出てきたところは見ていない。子どもが走り回ることは不思議なことではないのだ。それ以外だと、怪しい人は見ていない。俺は彼らの役に立てそうにない。
「すみません、お役に立てそうにありません」
「いやいや。いいんだよ。少し確認しておきたかっただけだから。では、今日の警護をよろしく頼むよ」
「はい、かしこまりました」
一礼をして俺は部屋の外に出る。何だろう。すごく緊張した。見知った二人であるのに、何だか知らない人のような気がした。そういう空気が張り詰めていた。
今回の警護騎士は、本来なら室長を守るために配備される仕事なのだが、基本的には室長室の前に立つ仕事だ。王族付き以外の来客があれば、まずは四階を守る警護騎士からその旨が伝えられ、中の室長に伺いを立てる。通すのであれば来客を迎えに行き、引き取ってもらうのであればその旨を四階の警護騎士に伝える。四階を自由に通行できる王族付きの来客があっても、同じことの繰り返しだ。
ザッカス研究室にやってくる人間は多い。ザッカス室長が王宮にいる期間は短いからだ。その短期間で要件をすませなければならないのだから、みな大変だ。警護に当たってから、経理局長、総務局長、庶務局長、と、公務棟の局長が入れ替わりやってきた。様々な書類の確認があるらしく、経理局長などは箱にどっさりと書類を詰めてやってきて、代わりに先ほど研究室で目にした箱を持ち帰っていった。他には、リオン魔術師長、ライラ副魔術師長、ロング室長、リディ外務大臣、など、普段なら絶対にお会いすることのできない面々を部屋に通すことになった。一期目でこんな経験ができること自体、身に余る光栄だと思う。
もちろん、その日は何もなく、俺は無事に仕事を終えた。室長が帰宅する頃になると、警護騎士の仕事も終わりになるのだ。班長室に戻ると、誰もいない。ダグラス班長も、アキもリントもまだ仕事中なのだろう。自分の机で日誌をつける。室長室に出入りした人間と用件をそれぞれわかる範囲で書き込み、最後に「問題なし」と記入する。そして、日誌をダグラス班長の机の上に置いて帰ることにする。上司より先に帰っても構わないのが騎士の通常だ。
騎士団棟の出入り口で、クレハが待っていた。出入り口の警護騎士と笑いながら何かをしゃべっているのが見え、声をかけるのを一瞬躊躇した。けれど、俺の姿を見つけたクレハはすぐに警護騎士との会話を打ち切り、こちらに駆け寄ってくる。
「じゃあ、帰ろうか」
帰り道もなお勤務中である。ゆえに甲冑は着込んだままにしたかったが、「それでは囮にならない」とクレハが言うので、薄手の胸当てをするだけにしておいた。二人とも軽装で大丈夫なのか不安に思うが、俺はただクレハについていくだけだ。