異世界の子供(28歳休職中)
暗くとも、その銀色は存在感を強く語る。
衝動的な感情なのはわかっているのだが、もうそろそろ疲れてしまった。
こんなに疲れる原因はわかっているのだ、原因は俺だ。
クズで愚図で馬鹿で要領が悪くて変な思考しかできない俺が悪いのだ。
大学を卒業して、社会人になった。
そこまではまだよかった。俺は友人もいたし、勉強もそこそこ悪くなかった、運動は苦手だったがそれをネタにおちゃらけたりしていた。
俺の空気の読まない発言で別れてしまった友人もいたが、傍で笑ってくれる友人もいた。
就職も、初対面ヅラが良い俺は卒業までに内定がでた。
就職した俺はそこそこ社会を舐めていて、いろいろとミスをやらかした。
同期は慰めてくれ、先輩達は怒らずに指導してくれた。
でも俺のミスは頻出した。
何をしてもミスを続け、俺は焦るが、同期とは仕事の差が開き、先輩達は怒らないが最低限の仕事しかまわさなくなった。ミスが続く俺は友人と話しても酷い劣等感を感じ、気づけば連絡をとらなくなった。
自分に失望し、会社に居づらくなりながらも、それでもと続けていたが
今日にして大々的なミスをした。
いままでのミスが笑えてしまうような、大損失をだしたのだ。
会社からは少し休んでくれと、暫くの休職を伝えられ、俺はいまここにいる。
もう何も取り返しがつかないのだが、どうしてこんなことにしてしまったのか。
わかることは、どうしようもない俺は、うまく復職したとしても何も変われないまま、また同じことを繰り返すのだ。
こんな見下げたクズに生きる価値はないのに、俺は今も世界の貴重な酸素を無駄遣いしている。
まだゴミの方が、俺より世界の役に立つ。
ただ悩むしかできず何もやらない自分を、俺が一番どうしようもないと思っている。
もう他人の目にうつるのは疲れた。
劣等感に苛まれるのも、自分の無能に怯えるのも。
これで楽になればいい。酸素の無駄使いもここまでだ。
包丁を首にむけ目を閉じた
急に、手のひらが軽くなった。
なんだろう、包丁を落としたのだろうか。
最期まで情けない男だ。
ゆっくりと目を開くと、薄暗い空間とその先に岩がみえた。
よくわからなくて、もう一度目を閉じる。
開く。
岩である。
頭がおかしくなったのかもしれない。
薄暗い空間はなかなかの広さがありそうだ。
というか岩でできた洞窟のようにも見える。
あまりの訳のわからなさに胸が苦しくなる。
頭がおかしくなった。いやでも頭がおかしくなったなら、なんでこんな動揺しなきゃならないのか。
あまりの光景に後ずさるように足を動かすと何かに当たった。
「ひ」
大げさなほど身体がびくつく。
妙に高い声が飛び出した。
反射的に足下を見ると本である。
何を言ってるか(以下略)まごうことなき本である。
もうそろそろ俺の貧弱な精神力はすり切れそうだ。
本は赤い革表紙で綺麗な装丁がしてある
金色の絡み合うような曲線が美しい。
サイズは有名なファーストフード店なんかのトレーと同じぐらいだ。でかい。
大辞典のような厚さがある。
ただ題名は書いていないようだ。
本を観察していたら少し落ち着いてきた。
たぶんこれは夢を見ているのだ。
よく考えればそうだ。妙にリアルな夢で混乱してしまった。
俺のことだ、怖じ気づいて意識でも失ったのかもしれない。
そうとわかれば怖いものはない。
俺は本をひらこうとかがもうとしたとき、違和感に気づいた。
なんか、小さい。
……気のせいじゃないな。小さい。
手をみると、まるで子供のようだ。
顔をさわるとふにふにしている。なんとなく肌艶も良い気がする。
「あー」
声を出すと、明らかにいつもより高い。
さっきの情けない声も気のせいでなく高かったのか。
俺は子供になっているらしい。
わかりやすい現実逃避な夢で何となく笑える。
俺はとことん今が嫌みたいだ。
気を取り直して本をひらくと、1ページ目に一行だけ文字が書いてある。以降は真っ白である。
どでかい自由帳みたいだ。
『カゲヤマ タカトは嘆きの洞窟にて目を覚ました!』
ふむ。
俺の名前である。そして俺の状況説明が記されている。
だからなんだ。ビックリマークは必要なのか?
それとも情緒不安定な現れなのか?そうなんだろう。
そう思っているうちに本にインクがにじみだした。
何かと思うと、最初の行の後に文字が記されてきた。
不思議である。
RPGは好きだけど、最近できていない。
最新作は発売日に買ったのに、封も開けてないなー。
死のうとした瞬間は忘れていたが、思い返すと死ぬ前にやっとくべきかもしれない。
にじみだした文字は、訳の分からない文章になった。
『右の通路を通り、嘆きの洞窟をでてみよう。すると外で白い花が咲いている木があるので、そこになっている黄色い果実を食べてみよう。』
フレンドリーだなおい。なんだろう、ちょっとムカつく。
書き方はともかく、まわりを見渡せば確かに右側に通路がある。
通路はそこだけのようだ。
少し悩むが、結局夢なのだ。
せっかくの現実逃避なのだから少しは冒険したい。
俺は赤い本を抱え、思ったより軽い本に拍子抜けしつつ外に向かった。
「おお、俺の想像力やべぇ」
もしかしたら作家に向いてるのかもしれない。
いや、こんなクズに向いている職業とか何も無いけど、この光景にはおどろく。
都会で育った俺が見たことも無いような森。
さえずっているのは小鳥だろうか。
心地いい風と温かな日差しが気持ちいい。
ほんの少し、心が穏やかになった気がしないでもない。
本にかかれた木はすぐに見つかった。
果実は表面がつるつるとしたレモンみたいな形だった。
難点としては果実の位置が高く、子供の俺には手が届かないことだろうか。
俺は仕方なく木の根元に落ちている綺麗な果実を手に取る。
今さっき落ちたかのようで、土がついていない。
自分の服で軽くふいて、果実を口にする。
あまい。うまい。
人間疲れたら甘いものがいいと聞くけれど全くもってその通りだ。
そういえば服があまり見たことの無いものだ。
なんというかコスプレ?
よほどファンタジーに飢えてたのか。黒っぽいだるんとした服だ。そこにスカーフ?それもまた黒い布をぐるっと巻いている。黒いかたまりだ。
果実を食べきって、地面においてた本を開く。
俺の手足の長さではトレーサイズの本は扱いにくいため、この地べた読みがベストスタイルだ。
本にまた文字が浮かびあがる。
『騎士アンジェとの出会い!』
……何なんだろうこの本、むしろ予言書?
でも何となく、この陳腐な言い方がRPGの攻略本を思わせる。
不思議本だ。
「にしてもアンジェって」
俺の知り合いにそんな名前の人間はいない。もちろん騎士もいない。
他人と疎遠だから、空想の人物を夢に登場させたのだろうか。
人と会いたくないけど、誰かに会いたいのが俺の深層心理なんだろうか。
そのとき、草むらからうさぎがでてきた。
頭にツノがある。
どうやってもファンタジーだ。
うさぎはくりくりした目で俺を見ている。
可愛い。
可愛いが、残念ながら俺は動物の毛アレルギーだ。
生まれてこのかた他人が猫や犬をもふもふするのを横目に見ながら、毛のある生物に触れぬままここまできた。
一度だけ、猫のあまりの可愛さに近づいたことがあったが、触らぬまま目が腫れ呼吸困難に陥りかけたのは少しばかり古い記憶だ。
夢だから平気かもしれないが、自分の長年の癖である。
本を抱え、うさぎから少し距離をとる。
うさぎはこちらを見たまま近づかないが、去る気もないのか、動かない。
「……え、お前がアンジェ?」
いや、騎士って書いてあったし違うだろうけど。
木が揺れる。
うさぎはさっきまでが嘘のように鋭敏な動きで森の奥に去っていった。
俺はそれを見送り、揺れた木の方をみる。
目にはいったのは赤だった。
「ぐ……う……」
そこには青年がいた。
やわらかいの栗色の髪に、ふせられた瞳と、驚くほど端正な顔立ち。
彼が異国の王子だと言われたら、たやすく信じてしまう。
そして彼の美しい細工がされた白銀であろう鎧は、赤黒く染まっていた。
その彼がふと視線をあげた。
先ほどのうさぎのような赤い眼と視線があった。
彼は驚いたように真紅の目を見開き、限界だったのか、そのまま崩れ落ちた。
どうしようもない俺はその姿に息をつめ、身動きがとれなくなった。
彼の血液はいまもどこからか流れているようで、緑の草を赤く染めている。
このままだと彼は死ぬだろう。
いやいや、死ぬって。
夢なのに、なぜこんな状況になるのか。
なぜ俺がこんな緊迫した事態を迎えなければならないのか。
柔らかい風が吹いて、鉄錆の臭いが濃く香った。
俺は弾かれたように赤い本を開く。
文字は現れていた。
『怪我をしたアンジェは、月の花、ジューン草、ドラゴンの実を混ぜた薬を傷口に塗ると助かるみたいだ、一日休むと目を覚ますぞ』
こんなときでもやけに親しげな文章がムカつくが、親切なことに一つ一つの材料に図と生育地の地図まで記されている。
俺は転げるように走り出した。
途中何度かツノうさぎや青い大きい鳥を見た。虎のようなファンタジーサイズの黒い犬を見たときは終わったと思ったが、犬は大人しいのか動かずに俺を見ているだけだった。あえて言うなら尻尾をふってご機嫌だった。
そんなこんなでファンタジーな動物たちとすれ違いつつ、材料をあつめた。
混ぜるにしてもどの程度かさっぱりだが夢の中なのだから、とにかく混ぜて、傷口にぬればいいのだ。
傷は誰か人にやられたのか、複数の場所に穴があいていた。
あまりの傷に恐怖を覚えながら、俺は傷に薬をぬる。
傷口に薬をぬって、俺は彼をさっきの洞窟に連れて行くことにした。
彼を刺した犯人や獰猛な動物がいるかもしれない森にいるより、洞窟の中に隠れたほうが安心である。
何より、彼をゆっくり寝かせなくては。
ここで問題が発生する。
俺は子供の身体で、鎧を着た男性など、到底運べないのだ。
だがこの場所に居続けることはよくないだろう。
どうにか彼を洞窟に連れて行きたいが、俺には彼を引きずるのも難しい。
まったく俺という人間は、本当にやることなすことが向こう見ずで中途半端で嫌になる。
気落ちした俺の横を、黒い巨体が通りすぎる。
悲鳴こそあげなかったが、驚きのまま見やるとそこにはファンタジー犬がいた。
呆然としていると、ファンタジー犬は彼を器用にくわえて勢い良く自身の背に乗せた。
彼はその衝撃で小さく呻いたが、いつの間にか血が止まっているようで、大丈夫そうだ。
ファンタジー犬はそのまま歩き出した。
「ちょ、おいおいおい」
犬に近寄って、彼を連れて行かれないよう止めようとしたが、避けられてしまう。
それどころか尻尾で顔を撫でられた。
毛のある生き物の感触に動きがとまる。
発作がでちまう。
そう思ったが、暫くしても咳一つとして身体には変調がない。
そして考えればこれは夢なのだから、不思議ではない。
ここで俺はアレルギーではないのだ。もふれるのだ。
静かな感動に打ち震えながらファンタジー犬を見ると、思考を彼方に飛ばしていた俺を待っていてくれたようだった。
俺を確認したあと、犬はまた歩き出す。
俺は赤い本を抱え、犬の後をついていく。
行き先は嘆きの洞窟であった。
ファンタジー犬は洞窟の奥に彼をおろすと、そのまま森の奥へきえた。
あの巨体、是非背中に乗ってみたいものだ。
彼は眠っている。
布団のようなものがないので、俺は自分の身体に巻かれた布を彼にかけた。
やっと一段落した気分だ。
そろそろ現実の俺が目を覚まし、自分に絶望しながら謝罪の電話を会社にいれるはずだ。
現実を思うと、夢の中でしか誰かを助けられない俺は本当に
「情けない」
矮小な自分を現したかのような夢を否定して、俺は目を閉じた。
「う」
いつの間にか寝てしまったらしい。
「ああ、目が覚めたかい」
爽やかな男の声。
昨日助けた彼だろうか。
目を開くと、鮮やかな赤い瞳が目にはいる。
かけぶとんとしてかけた布は、彼でなく俺にかかっている。
「君が僕を助けてくれたんだろう?ありがとう、心より感謝を」
「おはようございます、いえ、そんな……」
起き上がった俺は自分の声がまだ高いことに気づいた。
それだけじゃない。
場所は岩の洞窟である。俺の狭いアパートじゃない。
目の前には男、あり得ない赤い瞳と、コスプレのような鎧。
俺はかわらずの小さい手足、高い声。
すぐ傍らには赤い本。
激しい動悸のする胸を押さえ、誘われるように本を開くと
新しい文字が綴られている。
『さあ、悪を倒し、世界を救おう! タカトの大冒険が幕をあける!!』
どうやらプロローグは終わったみたいだ。