魔女(仮)の結婚相談所
大陸の東の果て、マーシェル山脈の向こう側には、魔物が多く棲む『狭間』と呼ばれる地帯があった。
常に濃い魔力が霧となって立ち込め、人ならざる物が蠢くその場所に近づく人間は滅多にいないが、その『狭間』には一人の魔女が住んでいた。ーー正確に言えば、魔女ではないのだか。
この世界で言う魔女とは、魔法を操る素質があり、存分に力を使うためにある契約をすませた女性のこと。彼女たちは契約をすることによって自らの器に見合った量の魔力を操れるようになる。だが彼女たちの契約は普通の人間で言うところの婚姻と同じようなものなので、魔女となった女性は結婚することも子供を生むこともできない。
だから魔女は結婚をせず、何人もの男性と関係を結ぶとされている。魔女たちの詳しい事情を知らない民間人たちは、魔女の力が必要にならない限りは彼女らを敬遠していた。
しかし、この『狭間』に住んでいるのは契約をすませた魔女ではない。『狭間』には充分すぎるほどに魔力が満ちているため、契約をせずとも安定して魔法を使うことができるのだ。
そんなわけでこの『狭間』に住むセシルは、自分のことを魔女(仮)と言っていた。
こんな辺境に来る人間はほとんど居ないが、ゼロではない。命が惜しければ一般人が近づくことはない。特別な目的を持った、特別な者だけがこの場に立ち寄るのだ。
「あら、いらっしゃいませ。ようこそ」
そうして今日もセシルは、お客様を出迎える。
◇ ◇ ◇
「ははあ、そうなんですね。グリム兄弟神の神話、ラプンツェルを参考に出逢いを演出なさろうとした、と」
「そうなんですの。お父様が張り切って、国境の辺りに入り口の無い塔を建ててくださったんですけれど……わたくしの髪の毛が、どうにも伸びなくって……。やっぱりお手入れがいけないのかしら」
「そんな、姫様は毎日頑張っていらっしゃいますわ! 本来ならわたくしめがやらせていただくお役目ですのに、姫様は毎日ご自分の手でブラッシングされていて……。おかげでこんなにお美しいお髪ではございませんか……!」
いや、ブラッシングなんて本人がやっても侍女がやっても大して変わらないと思う、そもそも髪のケアの話だったら私は門外漢ですよ。などと考えながらも、セシルはそれをおくびにも出さずに微笑んだ。
セシルとお客様である姫君と侍女がいるのは、『狭間』にある結婚相談所の中の、応接間にあたる部屋である。少し狭めの室内には品の良いソファとテーブルが置かれ、テーブルの上には可愛らしい薔薇と小鳥の柄のティーセットがのっている。お茶うけには鳥の形をしたショートブレッドと、ナッツの入ったパウンドケーキ。と言っても姫君は間食を控えているのか、一つも食べようとしないし、侍女は主人の手前遠慮しているのか手をつけないしで、食べているのは作って出した本人であるセシルだけだ。姫君のウエストというものは、どれだけ細くても細すぎるということはないらしい。
「姫様の父王様は、とても姫様を愛していらっしゃるんですね。一から塔までご用意するなんて、並大抵のことではないですわ」
「そうですの、お父様はとてもお優しいんですの! わたくしが髪が伸びないと悩んでいたら、ほうぼうから髪にいいというオイルや石鹸を取り寄せてくださって!」
「それなのに、ああ、お痛わしい! とても綺麗なお髪ですのに……後は長さがあれば完璧ですのに!」
「その、髪の長さのことなのですが」
すぐ話が脱線する主従を押さえようとして、セシルは少し大きめの声を出した。よよと泣き崩れそうになった侍女と、彼女を支えて美しい主従愛を演じていた姫君がセシルの方を向く。
「あまり知られていないことなのですが、一般的な王族の方の髪の毛は大体1,5メートルから、2メートルまでしか伸びないのです」
「ええっ!?」
「驚きの程はお察ししますわ。これまで熱心に髪の毛のお手入れをなさってきたんですものね。けれど、考えてみてください。神話ラプンツェルを模すためには、姫様のお髪が何メートルあればよろしいでしょうか?」
「お父様の建てた塔にある、人の出入りできる窓がが大体20メートル程の高さでしたわ……」
「それと、室内で自由に動き回れる長さが必要だとすれば……25メートルから30メートルくらいでしょうか?」
「そう。そのくらいになりますよね。失礼ですが姫様、今のお髪はどのくらいの長さでしょうか?」
「わたくしが12の頃からずっと伸ばしていて……大体1メートルと80センチくらいですわ。それ以上伸びてくれないのです」
「ですが姫様。もしも姫様のお髪が25メートルもあったら、湯浴みはとても大変になるでしょうし、お手入れも行き届かなくなるでしょう。それに神話の通りにすると、塔の外に髪の毛を放り出して、更には王子を登らせなければならないのですよ? 姫様のお髪がお傷みになること間違いなしです」
「まあ……」
「確かにそうですわね……」
「それにあの神話に出てくるラプンツェル、元は農民の娘なのですわ。ラプンツェルというのも取るに足らない菜っ葉の名前ですし。由緒正しい王家にお生まれになった姫様とは大違いの庶民なのです」
「知らなかったわ……」
「そうでしたの……」
セシルは姫君と侍女の顔を見つめて微笑んだ。
「王族の姫にとって、髪の毛はとても重要なものです。幸せな結婚を求めていようと、姫様の大事なお髪が傷んでしまっては元も子もないのですよ」
「ですが……それなら他に良い方法はあるんですの?」
「はい、それですが……」
セシルはぐいとテーブルの上に身を乗り出した。姫君と侍女もつられて身を乗り出す。
「同じくグリム兄弟神の神話になりますが、マレーン姫はどうでしょう?」
「マレーン姫……でもたしかあの神話は」
「そうですね。ラプンツェルよりも多くの演出が必要になります。でもあの神話の姫は塔に何年も閉じ込められていた設定ですから、父王様のお作りになった塔が無駄になりませんよ。後々観光地にもできますし」
「でもわたくし……あの神話のような、仲の良かった隣国の王子はいませんわ」
姫君が不安そうにつぶやくのを見て、セシルはにやりと笑った。お世辞にも上品とは言えない笑みだったので、心もとなさそうに顔を見合わせていた目の前の主従に見られなくて幸いだったと言うべきだろう。
「ご安心ください。そこで私の出番なのです」
セシルがちょいと右手を振ると、テーブルの上に鎮座していたティーセットやらお茶菓子やらが一瞬で掻き消えた。姫君と侍女は、目の前に座っている少女とも女性ともつかない見た目のセシルが魔女であることを今思い出したかのような顔で、ぽかんと彼女を見つめた。セシルはさらに、この職業には欠かせない地図をどこからともなく取り出して、巻いてあったそれを机の上に広げた。姫君と侍女の目に、興味深げな光が宿る。
「これは姫様のお国と、その周りを示した地図ですわ。国ごとに出ている数字が、姫様と釣り合いの取れそうな王子の数。そしてーー」
セシルは地図の上に一つだけ赤く浮かび上がっている数字を指差した。
「この赤い数字が、現在婚約中の姫がいる王子を示しているのです」
あっ、と侍女が声を上げる。姫君はと言えば、赤い数字の出ている国を確認して頬を染めている。
「そうでしたわ! マレーン姫と言えば、婚約者の身代わりに王子と結婚して、後に正式に王子妃になるお話ではないですか。その……略奪というのは、外聞が……」
「落ち着いて、よく思い出してくださいな。マレーン姫の中に登場する王子の婚約者は、すこぶる醜い姫という設定なのです。彼女には婚約を破棄されて当然の心根と外見の醜さがあり、最後には処刑されるではありませんか。実際のところ、この王子の婚約者様は全く醜女ではございませんが、婚約者様に協力してもらえれば演出は上手く行きます」
「そんな……無理がありますわ。その婚約者様は、自分が婚約中の王子を奪う計画に乗ってくださるでしょうか……?」
姫君が柳眉を寄せてつぶやく。あとひと押しね。セシルは心の中で舌舐めずりをする。
「……実はですね。この王子の婚約者様からも、結婚についての相談を受けておりまして。詳しいことは言えないのですが、彼女には他に想う方がいらっしゃいまして、この婚約は半ば無理矢理親に決められたものだそうです。婚約を破棄できて、想う方と結ばれることができるなら多少の醜聞や、親からの勘当も構わないと仰っておいででした」
「まあ……」
「そうなのですか!」
姫君はまだ眉を寄せたまま声をもらした。侍女は喜色満面でセシルを見つめる。
「そんなに都合の良いことがあるのでしょうか……」
「まあ姫様! 魔女殿がそう仰っているんですから信じましょうよ」
「ご心配いただかなくとも大丈夫ですよ。先にそちらの婚約者様からの話があったから、マレーン姫の神話を姫様にお勧めしているのです。何もなければよく王子や騎士が腕試しに行く森や、安全に姫を預かってくれるドラゴンをご紹介いたします。よろしければ今からそちらのご紹介もできますよ? ……幸せな結婚にたどりつくまでどのくらいの時間がかかるかは、保証しかねますが」
暗に結婚までに時間がかかるぞと脅すと、姫君は細い肩をぴくんと揺らして「マレーン姫のお話で、考えてみますわ」と言った。
◇ ◇ ◇
「では詳しいことはまた、書類をお送りします。何かご不安や、相手の方へのご不満などございましたら、遠慮なくお申し付けください」
「分かりましたわ。今日はありがとう」
「魔女殿、最後までお願いしますね」
「もちろんでございます。では、お気をつけてお帰りくださいませ」
セシルはにっこり笑いながらそう言って、深くお辞儀をする。姫君と侍女は、外の庭で控えていた護衛の騎士たちに囲まれて王族にしては控えめな大きさの馬車に乗り、帰っていった。
「……はあー、つっかれた。ご飯にするよー」
セシルはため息と共に、一気に砕けた口調で庭に声をかける。途端、庭の切り株の上に乗っていた畳んだ毛皮のように見えていた塊がストンと地面へ降り、セシルに寄っていく。赤茶色毛がふさふさとしたその猫は挨拶がわりにセシルの足にドレス越しに頭を擦り付けて言う。
「あの姫さん香水つけすぎてなくてよかったよ。鼻が曲がらずにすんだ」
「ローズマリーとラベンダーの香りの違いも分かんないくせに何言ってるのよ」
ふんと鼻を鳴らしてセシルが返す。一人と一匹は鼻の利きについて言い合いながら、仲良く家へ入っていった。
家のなかはパンの焼ける香ばしい匂いと、肉の焼けるジュージューという音に満ちていた。赤茶色の猫……オランジェが、ふさふさの尻尾をたしたしと床に叩きつけて催促する。
「なーご飯まだ? 俺お腹すいたよ」
「一日中庭で寝てた癖に……もうちょっと待って、すぐできるから」
「んー……」
暇なのかぞんざいな感じのする毛繕いを始めたオランジェを横目で見て、セシルはすぐ意識を手元のフライパンに戻した。鶏肉の皮を焦がしすぎずにパリッと焼くのにはコツがいる。鶏肉を焼いている隅っこに、適当に切っておいたじゃがいもを投入して外側がカリッとするまで炒めて終了。オランジェの分は小さめに切り分けて、自分の分はそのままお皿に盛り付けて、ちょうど焼き上がったパンを切ってかごに盛ってから食卓に運ぶ。ついで冷暗所で冷やしておいたサラダを魔法でちょいと運ぶ。いつもの通り、品数は少ないけれど量はたっぷりある夕食が並んだ。
「はいお待たせ」
「待ちくたびれた。いただきます」
「いただきます」
「セシルこれ作りすぎじゃね? 鶏肉とじゃがいもの香草オリーブ油焼き」
「いいじゃん、簡単なんだから……最近マッチング考えるのに忙しくてレシピ開拓してる暇がないの」
「ま、うまいからいいけど」
オランジェのその言葉に、セシルは尖らせていた唇をふっと和らげて食事を再開する。この寂しい森に暮らすのは、オランジェのような屈託のない同居人がいないとやっていけない。セシルは本当なら人間は自分以外いないような寂しい森ではなくて、賑やかな町で暮らしたかった。残念ながら彼女の出自がそれを許しはしなかったが、それでも話し相手がいるだけマシだ。お皿に残った油にパンをつけて口に運びながら、セシルは今は亡き『師匠』が教えてくれた世界の歴史に思いを馳せた。
昔むかしのその昔のこと、戦争も開発も、一度全てをし尽くしてしまったこの世界。人口がぐんと減り、珍しくは無かった魔法を扱える人口もうんと減り、争いに疲れ、世界の隅々まで手を入れた人間たちは、今度は心を蝕まれていった。いつまで経っても、何をしても満たされない飢餓感に悩まされ、生きる目的を見出だせなくなった人間は焦った。彼らは愚かなことに、多様な人種や国家、豊かな自然やときには害を及ぼしていた災害や魔物など、全てのものを無くしてからそれらが必要だったことに気がついた。だから作り直したのだ。その過程で、おとぎ話は『神話』となり、魔女の在り方も制限のあるものになったのだという。
セシルたちの暮らすマーシェル山脈の『狭間』も、そうして作られた人工の場所だった。世界に必要な害を生み出す場所。否、人間たちにとっては害でも、世界にとっては害ではない、必要なものたちだ。
そうして、一度底を見た人間たちが現在至高のものとしているのは、幸せな人生を送ること。だから国の代表である王族たちは幸せな結婚をすることに必死なのだ。壊れかける前の世界にあった幸せなおとぎ話ーー神話をお手本に、少し滑稽なほど様式美を追い求めつつ、何にも変えがたい幸せを手に入れる。そんな彼らの手伝いをするのが、今は亡き『師匠』の、そしてセシルの仕事だった。
「……でもさあ、今の『王族』の人たちって、自分たちに結構な縛りがあるのを自覚してる人が少なくってさ。ラプンツェルとか、お手本にできない神話の代表みたいなもんなのに、その辺の知識がないのよねえ」
「最近じゃ、ここに相談しに来るのも様式美のひとつになりつつあるらしいよ。だからじゃないの」
「ええ? そうなのオランジェ!」
「庭の外の木に住んでるキバリスがマーシェル山脈から遊びに来るオオウサギに聞いたって。オオウサギもまた聞きしたらしいけどね」
「何よそれ……」
はああ、とセシルは脱力する。オランジェの話は当てにならないけどあり得そうなことだ。オランジェは『師匠』が亡くなってすぐの頃、住居兼相談所の庭に迷い込んできた人語を話せる猫だ。独りぼっちで寂しく、心細かったセシルは『狭間』なら話せる猫もアリなのだろうと、特に悩まずにオランジェを同居人として受け入れた。彼は動物とも意志疎通ができるらしく、『狭間』に住む動物と魔物のあいのこのような生き物たちから情報を集めてくる。(が、大半はどうでも良い内容だったり、信憑性が薄かったりした)
魔女(仮)とは言えど、出来ることには限度があるのだからなるべく無茶な相談は受けたくない。セシルが受けるのは、もっぱら姫君たちの相談である。総じて繊細で守りたくなるか弱そうな見た目とは裏腹に、彼女たちは幸せな世界に暮らすことに熱い情熱を注いでいる。ときには努力が空回りして斜め上に突っ走ってしまう、そんな姫君たちだからこそ、セシルも協力したくなるのだ。
夕食の後、セシルは『狭間』の魔力を適度に吸いとって蓄積している魔力石を使って湯をわかし、頭と身体を流すだけの簡単な入浴を済ませた。濡れた髪の毛を布で包み、寝間着に着替えたセシルは机に向かう。水晶玉と地図を左右に置き、真ん中には今相談を受けている姫君たちの名前。それぞれとにらめっこしながら、なるべくうまく行きそうな男女の組み合わせを考える。性格や家族構成やそれぞれの国の特徴や状況など、なるべくあらゆる要素を考慮するのは『師匠』から耳にタコができるほど教わったからだ。
今日の姫君は中々の面食いらしく、おすすめした婚約者のいる王子の国を見て頬を赤らめていた。その国の王子が、金髪碧眼のような型通りのカラーリングではないものの、美形揃いだという噂を知っていたのだろう。
「はあー……。ここまでかなぁ」
目がしょぼしょぼしてきたセシルは、広げていた地図や紙切れや水晶玉をまとめて机の隅に寄せ、伸びをした。髪を覆っていたタオルを外して机に置いてあるランプを持つと、オランジェを探しに行く。ソファの上で丸まっていたオランジェを片手で抱き上げたセシルは、そのままベッドに入ってオランジェを抱き締めたまま寝ようとする。そうすると、直前までうとうとしていたはずのオランジェがむずがってセシルの腕から抜け出すのはいつものことだ。
「何よもう……撫でられるのは大好きなくせに……ケチ……」
寝ぼけ眼でオランジェを詰り、セシルは枕元のランプを消した。
◇ ◇ ◇
何度か体勢を変えたセシルが寝息をたて始める頃、枕元にうずくまっていたオランジェはそっとベッドを抜け出した。夜目のきくオランジェはそのまま猫用の小さな出入り口から庭へ出る。低いけれども魔力を込めた柵に囲まれたそこは、夜中でも魔物が近寄らないのだ。
庭に出て、高く濃く生い茂る木の間からもれる月の光を浴びると、オランジェの身体はみるみるうちに大きく膨らんでいく。すぐにオランジェの影は人間の形になった。ふう、と小さなため息がもれる。
「日中だけ動物の姿の王子様の神話だって少なくないのに……なんでセシルは気がつかないんだろうな」
仄かな月明かりの中では、赤茶色の髪の毛をあちこちに跳ねさせた青年が、頭をがりがりと掻きながらそうぼやいていた。




