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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第二章 「医者よ、死を締め出せ Doktor, sperrt das Tor dem Tode!」――九月十七日
8/62

4.

 ※

 放課後。寄り道せずに早く帰って、戸締りはいつもより厳重に、というお達しでホームルームも終わった。女子生徒は不安げな面持ちで、男子の方も若干緊張した様子で、三々五々教室を後にしていく。

 私は帰り支度もせずに、机に向かったまま思案を巡らせていた。

 今夜はどんな方策を取るべきか。姉さんに何か妙案があればいいのだけれど。最終手段のあの非効率なパトロールを、姉さんは嫌がりそうだ。

 と、視界の隅に、その当人が教室の出入り口の所に立っているのが映った。

「帰るよー、恵真ー!」

 姉さんのクラスは先にホームルームが終わったらしい。わざわざ教室まで呼びに来てくれた。

 私が席を立つよりも早く、二、三人の生徒が姉さんを囲んだ。

「梓乃、梓乃、こないだの占い当たったわ。あいつ、やっぱり浮気してた!」

「でしょ?」

「ねえ、今度はあたしも占ってよ」

「はいよ。でも、今日は早く帰んなきゃ。みんなも早く帰んなさいよ」

 姉さんは、このクラスにも知り合いが多い。男子まで寄ってきた。

「梓乃ちゃん、今度の犯行現場占ってよ」

「やーよ、そんな物騒なの」

「でも、うちの姉ちゃんなんてすっごい怖がっててさ。今日も学校休んでるし」

「う~ん、しょうがないな。君の家どの辺?」

 姉さんは簡単な占いなんかを友人に披露しているらしい。魔力を使った占いだ、それはそれは精度が高いことだろう。とはいえこの行為は、〈連盟(リーガ)〉の規律に触れるか触れないかのグレーゾーンである。まあ、お金を取っているわけではないし、簡単なアドバイスに留めているから、お目こぼしはもらえるだろうが。

「にしても当たるよね~、梓乃の占い。さっすがヨーロッパ仕込み。なんだっけ?“神聖ローマ流”?」

「なんでドイツ帰りなのにローマなの?」

「ふっふっふ、高校に入って世界史を勉強したまえ」

 帰り支度を終えたものの話の輪に入れずに戸惑っていると、ふと背後に気配を感じた。振り向けば、一人の男子生徒が立っていた。

「高原くん……。高原くんも占いに興味あるんですか?」

 後ろにいたのは高原琉斗(りゅうと)くん。何の因果か私の隣の席の彼は、あの高原詩都香(しずか)の弟なのである。高原くんが占いに興味があるというのはちょっと意外だが、まあ、あれの弟だしね。

 しかし、案に相違して高原くんは首を横に振った。

「そういうのは姉貴で間に合ってる。占いなんて信じない」

 ――あっは、それはそれで納得だ。

「それじゃ、どうかしたんですか?」

 私は高原くんの顔を見上げた。高原くんは、中学生にして百八十近い上背なのだ。

「いや、うちの姉貴も高校生だから気になってさ。今朝も熱心に新聞とかニュースとか見てたし、ひょっとしたら、怖がってんのかな」

 ないない。私は内心苦笑せざるをえない。

「お姉さんのことが心配なんですか?」

 そこでちょっと突っついてみる。

「うん、そりゃ、まあな。俺には口うるさいくせに、どこかぼーっとしてるところのある奴だから」

 高校生にもなって、と高原くんは頭を掻いた。でも、心配していることは否定しない。その素直さには好感が持てた。

「……君のところのお姉さんは大丈夫。安心しなさい」

「そっかぁ。ありがとな、梓乃ちゃん」

「ねえ、梓乃。そのカードってどこで買ったの? そんなに当たるのって、ひょっとして“サクラのお店”?」

「うんにゃ、その辺の雑貨屋。あたしには特に叶えたい願いなんてないしね」

 姉さんはタロットカードをしまったところだった。姉さんの言うとおり、駅前通りの雑貨屋で買ったものである。カード自体には何の秘密もない。

“サクラのお店”とは、この街の女子の間ではわりと有名な都市伝説という奴だ。一見可愛らしい名前だが、「サクラ」というのは秘儀(サクラメント)に由来するらしい。

 なんでも、「本当に叶えたい願いごと」がある者だけが何かの拍子に迷い込むアンティークショップアンティクヴィテーテンラーデンなのだそうだ。そこで買った品物には魔法の力が宿っていて、願いを叶える助けとなってくれるのだとか。他愛のないものである。

 姉さんの眼差しがこちらを向いた。私と高原くんという組み合わせに興味を引かれたようだ。

「やあ、君が高原くん? 占ったげようか。お姉さんのことでしょ?」

 が、高原くんはその申し出を断った。

「いいよ。当てになんてしてないし。今日は親父もいるから、二人で寝ずの番でもするさ」

 にべもなくそう言って教室を出ていく高原くんに、姉さんはかちんと来たようだ。追いかけようとする姉さんの袖を、私はひしと掴んだ。

「はいはい! 無駄話してないでみんな帰ること!」

 委員長を務める眼鏡の女子が声を張り上げた。女子も男子も、この統率力のある委員長には逆らえない。私たちもこれを機に教室を出た。


「ったく、なんなのあれ。姉と同じで可愛くないの」

 帰り道。姉さんはまださっきの高原くんの態度にぷりぷり怒っていた。

「ちなみに、なんて告げるつもりだったんですか?」

「――『あなたのお姉さんは数日中に帰らぬ人となるでしょう』」

 ひどい。

「高原くん、怒りますよ? ああ見えてなかなかお姉さん想いなんですから」

「ああいうのはね、シスコンって言うのよ。……いや、まあ、ちゃんと占って、結果を告げるつもりだったけどさ」

 そこで大事なことを思い出した。

「姉さん、今夜……」

「ああ、うん。またパトロールしようってんでしょ?」

 先取りされた。「あんたの考えることなんてお見通しよ」だそうだ。

「でも、どうやります?」

 昨日と同じやり方では、あまりにも運任せだ。

「う~ん……」

 姉さんは腕を組んだ。どうやら妙案があるわけではないらしい。

「また占ってみては?」

「あたしにゃそんな確度の高い占いはできないよ。知ってんでしょうが」

 姉さんの占いも、ピンポイントの事象となれば的中率は五分五分といったところだ。実は昨日もその結果をもとに行動したのだが、外れてしまっている。友人たちに披露した結果がほぼ百発百中のように思われているのは、他の様々な情報も総合して判断した結果を伝えているからである。この辺は辻占い師もやっていることだ。

「相手が〈モナドの窓〉でも開いてくれればわかるんだけどなぁ」

「今夜もいつもと同じ手口だったら、望み薄ですね」

 そうなのだ。相手が〈モナドの窓〉を開かずとも強い異能の力を発揮できる人外の存在であるということ以外、私たちは手掛かりひとつ掴んでいない。その上、私たちには土地勘も欠けている。次にどこで誰か狙われるか、皆目見当もつかないのだ。

「高原詩都香たちがちゃんと動いてくれればいいんですけど……」

 そこで姉さんが何かに思い至ったのか、顔をしかめてひとしきり頷いた。

「しゃーない。あたしの性分じゃないけど、それで行くか」

「……どうするんです?」

 何が「それで」なのやら。

「まあまあ。とりあえず、夜食のお菓子でも買って帰ろう。長丁場になるかもしれないからね」



 ※

 二人掛けのシートに並んで座ったものの、車内ではあまり会話が弾まなかった。由佳里もそうだが、詩都香とてあまり口数の多い方ではない。普段はミズジョの生徒たちで込み合うこのバスも、今日はまばらな乗車率だった。みんなもっと早く下校したのだろう。

 降車予定の停車場が近づくにつれ、隣に座る由佳里の顔がまた怯えの色に染まっていくのに気づいた。

「どうしたの?」

「……ううん、なんでもない。高原さんはどこで降りるの?」

 あまり近いと後々怪しまれそうだ。詩都香は適当に四つ先の停留場の名前を告げた。

「そう……」

 由佳里の顔色はますますすぐれない。

「――ひょっとして、バス停からお家まで遠いの?」

 由佳里はハッとしたが、やがて恥ずかしそうにこくりと頷いた。なんでも、バス停から十五分ほど、九郎ヶ岳の麓の住宅街の中を歩かなければならないとのことだった。

「わたしが送っていくから、安心して」

 由佳里は一瞬の安堵を押し殺した様子でかぶりを振った。

「それじゃ高原さんが……」

「大丈夫。わたし、こう見えても脚が速いんだから。誘拐犯なんかに捕まったりしないって」

 由佳里はなおも遠慮したが、結局詩都香の説得に根負けした。

 バスを降りた二人は、街灯の点り始めた道を歩いた。日没前後の黄昏時、完全な闇が下りるまでの数十分。一番不気味な時間だ。詩都香たちの他に歩行者はなく、由佳里などは顔も上げられなくなり、足元だけを見つめるようにして歩を進めた。

 その足取りがあまりにも危なっかしかったので、詩都香は恥ずかしさを堪えて由佳里の手を捕らえた。周囲に人が見当たらないのが逆に幸いだった。つかの間呆気にとられた様子の由佳里だったが、ぎゅっとその手を握り返してきた。

 明るい話題を提供しようと思う詩都香だが、何も思いつかない。元々そういうキャラではないのだ。自分がもどかしかった。

「高原さんって、三鷹くんと仲いいよね」

 手をつないだまま路程を半ばまで消化した頃、由佳里がぽつりと呟いた。

「……ん? そうかな。一方的に付きまとわれてるって感じだけど」

 不意に誠介の名前が出てきたことに当惑する詩都香。だが、それっきりまたしばらく押し黙った由佳里の態度に、合点がいった。

 そういえば由佳里は、入学以来変わっていないあいうえお順の座席で、半年近く誠介の前に座っている。だから、たぶん……。

 由佳里は詩都香よりほんのわずかに背が高かった。ということは、百六十そこそこといったところだろう。顔立ちだって十人並みではないと思う。おどおどしたところのある物腰が誠介の好みから外れているのかもしれないが、普段の詩都香だってどっこいどっこいだ。

(どうしてわたしなんだろう。もっといい子たくさんいるのに)

 それが誠介に対しても由佳里に対しても失礼な疑問であるということは知りつつ、やはり時々そう考えてしまう。

 五ヶ月前の入学式の日、詩都香と誠介は他のクラスメイトたちよりもずいぶん早く登校してしまった。誠介は引っ越してきたばかりでまだこの街に不慣れだから、と早起きして出てきたらしいのだが、詩都香の方は時計の表示を見間違えるという、もっと間の抜けた理由で一番乗りを果たした。

 誰もいない教室で仕方なく持参した本を読み始めたところで、ガラリと無遠慮に扉が開かれ、誠介が入ってきた。他の生徒はまだしばらく来るまいと思っていた詩都香にとっては、不意打ちもいいところだった。驚いたのは向こうも同じだったようで、ぎくしゃくと挨拶を交わした後、いきなり逃げ出されてしまった。

 変な奴だ、とその時は思ったが、後から聞けばその時点で一目惚れされていたらしい。

 不幸な偶然だ。おかげで詩都香は困った立場に追い込まれている。もしあの時教室にいたのが詩都香ではなく由佳里だったら、あるいは伽那だったら、あるいは……。

 由佳里が再び口を開いた。

「三鷹くんが高原さんのこと好きになるの、なんかわかるなぁ。今もこんなに優しいし、頼りになるし、とっても美人だし」

 詩都香は居心地が悪くなった。こんな風に正面から褒められることに慣れていない。

「そ、そんなことないって。松本さんだって可愛いじゃない。そ、それにわたしのことは気にしないでよ。わ、わたし、ほ、他に好きな人がいるし……」

 噛んだ上、最後は早口になってしまった。嘘も誤魔化しも得意だと自分では思っている詩都香だが、この種のは不得手である。

「うえっ! ほんとぉ? 高原さんに好きな人?」

 さっきまでの固い表情はどこへやら、素っ頓狂な声を上げる由佳里。お堅そうな彼女とて、年頃の女子ということなのだろう。

「そんなに意外?」

 口から出まかせにせよ、そこまで驚かれると心外だ。

「うん。……あ、ごめんなさい。なんか高原さんって、そういうのとちょっと違うように見えてたっていうか……」

 詩都香は憮然と唇を引き結んだ。幸いにしてその時ちょうど、二人は由佳里の家の前に着いていた。高級住宅地にふさわしい、洋風三階建ての大きな家だった。

「今日はありがとう、高原さん。気をつけて帰ってね」

「本当に、気をつけてくださいね。家に着いたら、電話でもちょうだいね」

 応対に出た由佳里の母親が中へと招き入れようとしてくれたが、詩都香は丁重にそれを断った。遅くなれば遅くなるほど危なくなるから、と言うと、向こうも無理に引き留められない。

「さて、と」

 家の中に入っていく由佳里とその母親を見送った詩都香は、元来た道を引き返す。思いもかけなかった展開だったが、本来の目的地はそれほど遠くはない。

 少し行くと、灯の点いていない家があった。家人は不在のようだ。辺りに人影がないことを確認してから、その脇の路地に入る。

 大きく深呼吸。深々と息を吸い込み、同じくらいの時間をかけて吐き出す。

 しばらくそうやって気持ちを落ち着けてから、詩都香は目を瞑った。精神を一点に集中させる。

 異界に発する、この世の理に捕らわれない混沌そのものと言っていい力。その力を呼び込むために〈モナドの窓〉と呼ばれる通路を開く、ある種の儀式だった。熟達した魔術師であれば一瞬で開けるのだが、まだまだ未熟な詩都香の場合、数分の精神集中が必要となる。

 身体を虚空に溶かし込むようにして、感官を意識の外に追いやる。

 上も下もないその精神空間で、自らの魂を捉える。

 形を持たない魂のどこかに存在する、綻びを探す。

 その綻びこそ、この世界と異世界を繋ぐチャンネル、〈モナドの窓〉だ。

 それを、人間なら誰しもが微量に具えている魔力を使って押し広げる。

 ――詩都香は瞼を上げた。儀式は完了していた。

〈モナドの窓〉を通ってきた混沌を、〈炉〉に通す。そのままでは使い物にならない混沌が、〈炉〉の中で精錬される。この過程を経て作られたエネルギーこそ、魔術師たちが「魔力」と呼ぶものだ。その魔力を、今度は〈器〉の中に貯め込んでいく。

「よしよし」

 満足げに頷く。今日の調子は悪くない。

 精神から〈器〉へ働きかけ、身体能力強化の魔法を行使する。

 羽のように体が軽くなった。軽いステップ一つで、いまだに住人の帰ってこない家の屋根まで跳び上がり、次の踏み切りで隣の家の屋根へと移る。この区画の街路はぐねぐねと入り組んでいるため、最短距離を行った方が速いという判断だった。

 詩都香は三度(みたび)宙へと身を躍らせた。

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