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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第九章「屋上からの呼び声 Ruf vom Dach」――九月二十四日
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3.

 吉村奈緒は語り始めた。

「この街はどういうわけか昔から魔術師が不作でね。こう見えても私は一年近くこの街を預かっているんだ。

 今年の六月半ば、君たちがここに来る前のことだ。一人の魔術師が密航しようとしてバレて、東京支部で騒ぎになったことがある。今どき珍しい話だが、ヨーロッパからシベリア鉄道に乗ってきたらしい。国境を越える時には偽のパスポートを見せた上で催眠の魔法で検札官をだまくらかしたようだが、ウラジヴォストークからの船に、運の悪いことにと言うべきか〈リーガ〉所属の高位の魔術師、地位で言えば導師(マイスター)が乗り合わせていた。第二十八階梯、功成り名を遂げ、弟子も育ち、世界を旅することだけが道楽という押しも押されもせぬ大魔術師だ。その彼から、自分の知らない女性魔術師が魔法を使いながら密航しようとしている、と東京支部に問い合わせがあった。東京法官も関知していない話だ。返答を受けた導師は船上で所属を問い質そうとした。そこで記憶が途切れ、気づいたら新潟の山奥だったそうだがね。

 彼との連絡が途絶した後、東京法官はヨーロッパに問い合わせた。返答は、件の導師を破れるほどの人間の行方は全て掴めている、ただ、昔から行動が把握できないドイツ大法官だけはわからない、というものだった。

 私は本来その船で来るはずだった魔術師の出迎え役を仰せつかって、鳥取の境港に派遣されていた。もちろん密命だ。本来鳥取は京都法官のテリトリーだからね。その導師も東京と京都の競争意識を刺激するのは望むところではなかったから、お忍びの旅行だったわけだ。

 連絡が来たときには、東京支部は蜂の巣を突ついたような騒ぎだったよ。私は生まれつき騒動が好きなタチでね、どんな人間がその船から降りてくるのか、わくわくしながら待った。下船した乗客の七割は外国人客だったが、私は向こうから声をかけられるまで――恥ずべきこととは今でも思っていないのだが――見つけられなかった。その女性客はしばらくきょろきょろしてから、最初から私を探していたかのように近づいてきたんだ。そしてこう尋ねてきた――」

「『あなたのお名前は?ヴィー・ハイスト・イーア』でしょう?」

 とうとう我慢できなくなって、私は口を挟んだ。それは、初めて会った人に対していつも城主様(へリン)が尋ねることだった。そうして相手の名前を頭に刻みつけるのだという。名前を覚えていてあげられないのはこちらとしても苦しいこと、と城主様はいつか言っていた。

 吉村はわずかの間口をつぐんで、それから続けた。

「……うむ、その通り。三人称複数ではなく二人称複数を使う時代がかったドイツ語には面食らったが、私はこの人がドイツ大法官猊下であると直感した。全てを見透かされている気分だった。しかし彼女は、こんなことを言うのも畏れ多いが、なんと言うか普通のおのぼりさんのように振舞ったよ。新神戸から新幹線に乗ったところ、『こんなに速く走る汽車は初めて』などとはしゃいでおられた。車掌が通りかかるごとに日本地図を広げてカタコトの日本語で「今どの辺り?」と尋ね、ワゴンサービスのお姉さんにはワインの産地を質問しておいでだった」

「城主様はいったいなんの目的で日本に来たのですか?」

 城主様の旅先での振る舞いも気になるところだが、重要度で言えば三番目だ。二番目の疑問を尋ねてみた。

「猊下は言っていた、今度自分の娘がこの地に来るから見ておきたい、と。限られた使用人以外誰にも内緒でね。私は行きがかり上猊下がこちらにいる間お供をした。それでなくとも、目的地は私の任されているこの市だったわけだしな。街や学校を案内したり、高原たちを遠くから観察するのを手伝ったりした。三人の写真まで撮らされたのには往生したな。一条はこの柳田中学の元生徒会長で、受験前に教師と一緒にミズジョに来たのを応対したから面識があったし、あの性格だからな。まったく苦労はなかった。相川とは面識がほとんどなかったから警戒心を抱かれることもなく隠し撮りできた。しかし高原は参った。私に対して警戒心がありありなので、写真すらなかなか撮らせてくれない」

 まさかあの資料の写真は。

「……でも、城主様はその時期たしかに城にいましたよ? 私たちと一緒でした。シベリア鉄道で往復したら、ひと月強かかるはずです」

 これが一番の疑問だ。突然の日本行きが決まりにわかに忙しくなった私たちの準備を、ニコニコしながら見守ってくれていたはずである。時期的には、城主様が私たちの両親の捜索について尋ねてきた直後だ。

 吉村はまた上空に目をやった。

「〈分身〉の魔法――聞いたことはないか?」

 ……ある。私は頷いた。なんとまあ。

 高度すぎて私たちには伝授されていないが、知識としては教えられていた。城主様本人がその使い手だったというのは初耳だが。

分身(ビロカツィオーン)〉――その名のとおり、自分の分身を作り出す魔法。途方も無い魔力と想像を絶する技術が必要になる。〈連盟〉中を探しても会得している魔術師は二、三人しかいないと聞いている。

 ただし、便利なようで不便な魔法である。術者の本体はその間〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉を開きっぱなしにしておかなければならない。また、分身が持っているのは擬似的な〈(ゲフェース)〉だけで、分身に供給する分の魔力の精錬も本体の仕事になる。せっかく二人に増えても、戦力としてはかえって弱体化してしまうらしい。

 その上、この魔法は〈連盟(リーガ)〉における禁術に指定されているはずだ。一人の人物が別々の場所で同時に目撃されてしまったら、取り返しのつかないことになりかねないからだ。おかげで“ドッペルゲンガー”などという伝説が生まれてしまっている。

「この世にはとんでもないバケモノがいるもんだと思ったよ――おっと、失敬。何しろ日本とドイツの距離で分身を維持できるのだからな。だけど誤解があるようだから言っておくが、ドイツ大法官猊下の復路は普通に飛行機だったぞ? 何やら楽しそうだった。さすがにこれ以上は分身を維持するのが難しいとのことだったので、私が勧めたんだ。わざわざ空港まで見送りに行ったんだからな」

 あっは、アーデルベルトめ。城主様が飛行機に乗るのはこのスペイン行きが初めてだって言ってたじゃないか。

「……城主様はこの件を内密にしろとは?」

「いいや、まったく。むしろ早くバレないかと期待しているフシがあった。私の方も君たちにわざわざ伝える筋合いでもなかったし、会う機会もなかったので言わなかったが。ただな、泉恵真(えま)――」吉村はとうとう私を呼び捨てにするようになった。「猊下は禁術である〈分身〉を使ったせいでしばらく選挙侯会議を欠席しづらい、と冗談交じりに嘆いておられたよ。しかも、さっきも言ったがかなりお疲れでもあった。半月あまり分身と暮らすはめになっていたことには同情するが……」

「わかっています。城主様は私たちを心配してそうしてくださったんです。怒ったりするわけないじゃないですか」

 私は吉村の懸念を切り捨てた。

 だけどその一方で、別のことも考えていた。

〈分身〉さえ使える城主様だ、もっと他の方法はいくらでもあったろう。逆にそれを口実にして、久方ぶりに選挙侯の集まりに顔を出す気になったのではないだろうか。

 ――ああ、もう。十年一緒に暮らしてもお心の読めない城主様である。

 悩む私に委細構わず、吉村は話を変えた。

「そうそう。東京支部から送られてきたあの黄紫水晶(アメトリン)な。学校に持ってきているようだが、あれは壊すか捨てるかしておいた方がいいぞ。発信機のような魔法が込められているようだ」

「は?」

 ぎょっとなった。どうしてそんなものが送りつけられてきたのだ。

「私は戦闘が得意なタイプじゃないが、この手の魔法にはそこそこ心得があるんだ。何のための魔法かまではわからないが、恐ろしく高度な魔法と強大な魔力だな。これは東京法官でも使えまい。でもそのおかげで、これくらいの距離なら面白いことができそうだ。少し待っててくれるか」

 吉村はそう言うと目を閉じた。三分ほどしてから、彼女が〈モナドの窓〉を開く気配があった。

 すっと見開かれたその目は、焦点が合っていなかった。

 ボケた視線のまま吉村が口を開いた。

『ちょっと、琉斗。恵真帰ってこないじゃない。なんであんな暴露話したのよ』

 小さな声だったのに、驚愕のあまり後退ってしまった。吉村の口からはありえない台詞。

『お前が食いついてきたんだろうが。……いいんだよ、あれで。腹減ったら帰ってくるだろ』

『何がいいってのよ』

 あのブローチを入れた鞄は机のフックにかかっている。まさか吉村が語っているのは――

『俺を窓口にして泉に近づこうとしているバカどもへの牽制になる』

 えっ? それってどういうこと、高原くん? ――私は早くも、吉村が再生しているのが私の席の周りで交わされている囁き声であることを疑わなくなっていた。

『牽制って……、もしかして高原くん、恵真のことを――』

「と、こんな具合だ。何だ、その顔は?」

 気になるところで切られた。私はよほどがっかりした顔を浮かべていたのだろう、意識の戻った吉村が訝しげに眉を寄せた。

「……いいえ、なんでもありません。でもわかりました、あれは粉微塵にしておきます」

 誰がこんなものを送ってきたのだろう。城主様がこんな真似するとは思えないし。

「それじゃあ、私は帰るよ。昼休み中に戻らなければいけないし」

 吉村は飛行の魔法を行使した。

「ええと、わざわざどうも」

 胸の内が千々に乱れた私は、そんな素っ気ない返事しかできなかった。

「おっと、そうだそうだ」二、三メートルほど浮いたところで吉村がこちらを振り返る。「さっきの高原と一緒に文化祭を成功させたいというのは、あくまで私の個人的な願望だ。君たちには君たちの任務があるわけだし、気にしてもらわなくてもかまわない。どうせ今週末もやり合うんだろう?」

 そしてどうせ失敗するんだろう? と言わんばかりの表情だったが、それに対して私は首を振った。

「いいえ、やりません。今週末、私たちはドイツに帰ります」

 何もかもお見通しのように振舞っていた吉村が、この日初めて驚きを露わにした。

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