2.
屋上へ通じる扉は当然施錠されていた。少し後ろめたいものを感じながらも、念動力を使って解錠した。
屋上に出るのは初めてだった。
遥か上空にわずかな雲がたなびく見事な秋晴れ。なるほど、「空が高い」とはこういうことを言うのか、と私は少し感心する。
私はとつぜんかかってきた電話でここに呼び出されていた。呼び出した当人は目の前にいた。
「屋上への生徒の立ち入りは禁止ですよ」
「私はこの学校の生徒じゃない」
「許可のない部外者は敷地内立入禁止です」
彼女は塔屋の扉の真正面に佇んでいた。転落防止用のフェンスに背中を預けて、ぼんやりと空を眺めている。
「そんなことどうでもいいだろう。こんなに天気がいいんだし、ひとっ飛びもしたくなる。しかしこうして広い空を見ていると、地球の反対側におわす老人たちの指令で動いているのがアホらしくなってくるな。君もそうだろう?」
とぼけたことを言う彼女は、〈連盟〉に所属する研修生で、一応この街の責任者を任されている。私たち姉妹が来るまでは、これでも当地で最上位の魔術師であった。そのくせ、今の今まで私たちとは全くの没交渉だった。
私は彼女の傍らまで歩み寄った。
「どうして今になって接触してきたんですか?」
「どうしても何も、特に用件は無かったからな。それとも、ご着任の際に挨拶にでも伺った方がよろしかったかな、正魔術師様?」
その人物――吉村奈緒は、言葉とは裏腹に全く敬意を感じさせない調子だった。
「おっと、気に障ったのなら謝る。私は大体誰に対してもこんな口の聞き方なのでね」
肩をすくめるその動作さえふてぶてしい。
「今回の用件とやらは」
「いや、こんな世界の片隅の島国の、そのまた片隅の地方都市にやって来られた正魔術師様のご尊顔を拝しておこうと思ってな。――すまない、冗談だ、そう怒るな。高原より無表情キャラ気取っているくせに、高原より短気だな」
――気取っているわけじゃない。イラっときた。こいつは食えない奴だ。
「まあ、実のところ用件そのものは今言ったとおりだ。高原が最近夢中になっている相手とはどんな奴なのか、見ておきたかった」
「つまらない用事で私の時間を奪わないでほしいのですが」
「お? クラスに誰か気になる人でもいるのかな? 寸暇を惜しんで一緒にいたいような」
わりと本気で〈モナドの窓〉を開こうかと思った。
「くっくっく。なかなかからかいがいがある正魔術師様だな。――そうだな、ひとつだけ聞きたいことはあった。私たちが伊豆にいた間、高原が〈連盟〉の魔術師に襲われている。君たちの差し金だろうか?」
途中から吉村は真顔になっていた。
しかし、私はまったく知らなかった。
「いいえ、まさか。心当たりがありません。私たち姉妹は東京支部から半分独立していますし。東京法官にでも尋ねてみたらどうですか?」
「それは刺客が来た時にもうやった。私の地位では東京法官を直接問い質すことはできないが、東京支部の方も知らないと言っていた。嘘ではないだろう。私はこれでもこの街の責任者だ。しかし後でもう一度問い合わせたところ、やはり東京支部の与り知らぬこととのことだったが、代わりに奇妙な情報を提供してもらった。国際通話でイギリス大法官から要請があったそうだ。〈連盟〉所属の魔術師が西伊豆の山林で負傷、至急救助の手配をされたし、とな」
「イギリス大法官……ですか」
少し前にも耳にした名だ。私はあまりいい印象を持っていない。
「ちなみに、既に東京消防庁経由で通報があった。通報したのは――」
「高原でしょう? あいつがやりそうなことです」
「……ご名答。君もだいぶあいつのことがわかってきたようだな。東京法官はおかんむりだったそうだよ。事前の連絡もなしに自分のテリトリーで事を進められたわけだからな。しかし哀しいかな、この国の一地域の責任者の立場では選挙侯であるイギリス大法官に抗議すらできない。京都法官と連名で抗議するなどと息巻いているが、あの二人は仲が悪いし無理だろうな。……まったく、この国の原始魔術はかなりの伝統と実力を持っていたのに、体系だった技術を確立できず、近代魔術への脱皮も遅れたおかげで、いまだに軽んじられている。大法官すらまだ置いてもらっていない」
諦めとも自嘲ともつかない吉村のぼやきを聞き流しながら、私は別のことを考えていた。
高原たちが伊豆に行っていた頃、城主様はサンティアゴ・デ・コンポステーラにおられたわけで、ドイツ大法官たる城主様がわざわざ出かけて行ったからには、選挙侯の会合があったにちがいない。ひょっとしたらイギリス大法官と同席していて、高原に刺客が遣わされたのを把握していたのだろうか。
それはそれとして、だ。
「ところで、こちらからもいくつか訊いてもいいですか?」
「なんなりとどうぞ」
吉村は鷹揚に頷いた。
「じゃあまず、どうして私の方を呼び出したのですか? 姉さんもいるはずですが」
「そりゃあ、君の方が与し易そうだったからな」
ぬけぬけと言ってくれたものだ。もはや怒る気にもなれない。
「高原たちは知っているのですか? その……」
「私が魔術師であることを、か? どうかな。たぶん気づいていないと思うが」
「あの時さらわれて、高原に助けられたのは」
「わざとじゃないさ。不覚をとったんだよ」
その口ぶりに悔しげな様子はなかった。私はつい詰問調になってしまう。
「魔術師のくせにあんな出来損ないに遅れをとるだなんて」
「言い訳のしようもないな。そもそも私は君や高原たちと違って戦闘向きじゃない。それにあの変な魔法道具は厄介だったな。一度は追い詰めたと思ったんだが、不意打ちであれを投げつけられてノックダウンだ」
「あなたはあの怪人のねぐらを知っていたのですか?」
さっきから質問攻めだな、と吉村は苦笑いを浮かべた。
「家がわりと近いもので、ひょっとしたらくらいには思っていた。何しろ段々犯行現場が近づいてきていたわけだし。だけど確信を持ったのは、部室に古地図を見に来た高原が西へ行くバスに乗ってからだ。まったく、後輩ながら大した奴だよ。高原に先んじて近所を虱潰しにしてやろうと思っていたら、ちょうどあの結界の中から出てきたあの怪人とばったり出くわしてしまった」
私たちと似たような行動をとっていたわけだ。
私の質問はそこで途切れた。
吉村はまた空を見上げた。
それに釣られて私も。
抜けるような空の下、立入禁止の屋上で、二人してボケたようにぽかんと上を見ていた。
「――もっと他に尋ねたいことがあるんじゃないのか?」
吉村が流れる雲を目で追うようにしながら逆に訊いてきた。
私は彼女に視線を戻した。彼女の言うとおり、たしかにまだ質問が残っている。
「あなたは高原とどうしたいんですか? ずいぶんと仲がよろしいようですけど」
もし高原と手を組むというのなら、吉村を討たなければならなくなるかもしれない。
「魔術師としては別に何も。ま、とりあえず、次の文化祭を成功させたいな」
「はい?」
学校の文化祭? 魔術師の台詞とは思えない。
「あいつはもう、うちの部には欠かせない戦力だ。面白い奴だぞ。先日もいい子を引っ張ってきてくれたし、これから我が郷土史研究部も本格始動だな」
魔法には全く関係のない話だった。
「あなた、ひょっとして魔術師に向いていないのでは?」
「正魔術師様から言われるとこたえるな。でも、そう言う君もどうだろう。殺伐としたこの稼業に向いているのかな? というよりも、そういう風に育てられたのかな? 私の知るドイツ大法官猊下は、そんな人に見えなかったが」
「城主様に会ったことがあるんですか?」
掛け値なしに驚いた。
「ああ、あるとも」
吉村は少し誇らしげに頷いた。




