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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第八章「信じ、望め Glaubt und hofft!」――九月二十三日
56/62

4.

 ※

 西京舞原の一条家の前で、詩都香(しずか)伽那(かな)は綾乃の車を降りた。詩都香としてはこういう機会にこそ車寄せで降りるという体験をしてみたかったのだが、気後れした綾乃と恥ずかしがる伽那によって却下された。

 東方面へと走り去っていく車を、二人で手を振って見送った。住宅地の狭い道路が災いしてか、なんだか危なっかしい走りに見える。あれに乗っていたのか、と詩都香は今さらながら薄ら寒いものを感じ、仲間たちと運転者自身の無事な帰宅を祈らざるをえなかった。

 テールランプが角の向こうに消えると、伽那は詩都香に恨めしそうな視線を向けた。

「詩都香ったらひどいよぉ。北山先生にお小言もらっちゃったじゃない」

「あんたが悪いんでしょ。余計なこと言いくさってからに」

 伽那は車を降りる際、「借りたものは返さなきゃだめよ」といやに真剣な顔で綾乃に言われてしまったのである。

 屋敷の留守を守るユキは、車の停まる音を聞き取っていたようだ。インターホンを押すまでもなく門が開いた。

「待ってて、本とってくるから。あ、あとあの箒も」

 小走りで玄関へと向かおうとする伽那を、詩都香は慌てて制止した。

「あ、いいわよ。別に本当に返してもらいにきたわけじゃないから。箒は邪魔になるし、本の方はどうせあんた読み終わってないんでしょ?」

 そう言いながら、自分も伽那と一緒に母屋へと向かう。

「ルパンはともかく、もう一冊の方は読み通せる気がしないけど……。ところであのルパン、フジコちゃんはいつ出てくるの?」

「……根本的な誤解があるのね。まあいいわ。そんじゃ、ルパンが読み終わったらその時ヒルティも一緒に返して。……で、その代わり、ユキさんに頼んで欲しいんだけどさ」

「何?」

「花壇の花、少しだけ摘ませてもらえないかな。今からお花屋さん行くのもしんどいし」

 この家の主人は一応のところ伽那ということになるのだろうが、本人にも詩都香にもそんな意識はない。

「ん、わかった。ついでに包装紙も持ってきてもらうから待ってて。じゃあね、詩都香」

「うん、じゃあまた明日。風邪ぶり返さないように気をつけなさいよ」

 伽那は玄関の扉を開いて中に入っていった。扉が閉まるまでのわずかな間に、「ユキさーんっ! ただいまあ!」という元気のいい声が詩都香の元にも届いてきた。



 ※

『ちょっと出かけます』というメールを姉さんに送信し、私は〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉を開いた。昨日溜め込んでしまった〈不純物(フレムデス)〉は未だ抜け切っていないものの、飛行の魔法くらいなら問題はない。

〈モナドの窓〉の大きさはギリギリまで絞った。開いた瞬間には目立つ〈モナドの窓〉だが、周囲に馴染めば相手が注意していない限り気づかれにくい。

 何をやっているのか確かめようという気持ちが最初にあった。そのついでに借りっぱなしのマントを返却しようかと考えたところで、やっとそれに思い至った。

 ――私、まだ高原たちにお礼を言ってないじゃない。

 あれほど助けられてお礼のひとつも言えないほど狭量な人間ではないつもりだ。だけど、言い方が思いつかなかった。

 ひとまずそれは考えておくことにして、私は手ぶらで現場へ向かった。



 ※

 詩都香は暗くなりつつある道をよたよたと歩いた。

 持参したおやつは幸い食べ尽くされていたが、代わりにお土産が追加された。旅先に携えていった本もリュックの中だ。肩紐が容赦なく食い込んでくる。おまけに着替えや旅行用品が入った大きなボストンバッグも左肩からぶら下がっている。

 昨日の戦いで消耗した体力はまだ回復していない。三キロ弱の道のりがガンダーラ行きよりも果てしなく感じられる。

 詩都香はそれでも足を止めなかった。

 バカみたいだ、という自嘲がともすれば踵を返させようとする。

 こんなことをして何になるというのだ。いったい誰のためにやっているのだ。自分のためか? それとも――

 送ってくれるというユキの申し出は断ってしまった。自動車で乗りつけて事を済ませていざ帰宅というのは、何か違う気がした。

(――何が違うってんだ、ったく……)

 ままならぬ自分の心に、これもやはり心の中で悪態を吐く。

 これで罪滅ぼしになるのだろうか。いや、なるわけがないことは詩都香自身がよくわかっていた。

 そもそも罪すらない。罰する主体も不在である。天地神明に誓って己の潔白を主張できる。

 やらなくてもいい、やっても誰も気づいてさえくれない、その上自分の胸の内すらなだめることができない、無意味な苦行。

 今からでも遅くない、伽那に電話をかけてユキを派遣してもらおうという誘惑が忍び寄ってきた。それくらいドライだっていいだろう。ウェットな感傷なんて流行らない。

 詩都香はそれでも足を止めなかった。

 遊びに行った先から帰るところなのだろう、自転車に乗った子どもたちとすれ違った。

 左手に並ぶ家々からは、晩餐の匂いが漏れ漂ってくる。

 乗員を満載したセダンがガレージにバックで入っていく。連休中に家族で旅行に行っていたのかもしれない。

 柵の向こうから犬に吠えられた。大きなラブラドールだ。軽く手を振ってやった。

 生活感の溢れる夕餉時の住宅街の中を、詩都香はひとり東に向かう。見捨てられた、仮初めの奥津城へと。

 前方で、電柱に設置されたライトが薄い光芒を辺りに投げかけていた。その灯火に浮かび上がっているのは町内会の掲示板だった。

 詩都香はそこで初めて足を止めた。

 じい、と掲示板の何枚もの貼り紙を眺めることしばし。やがて荷物を抱え直して再び道を辿り始める。

 抱えているものがますます重くなった。しかし、行かなければ、という気持ちはますます強まった。

 早めに魔力を貯めておこうと、詩都香は〈モナドの窓〉を開いた。



 ※

 現場へは五分ほどで着いた。

 高原は予想通りあの場所にいた。何もせず、ただ立っている。

 ――いや、違う。高原は顔の前に掲げた両手の間に魔力を込めて、その空間を凝視していた。

 彼女が覗き込んでいるのはあの廃病院だ。あそこにはまだ、十数人の少女たちの遺体が残されている。辺りをもう一度窺い、通行人がいないのを確認すると、そこに向かって手を合わせて頭を垂れた。

 三分あまりそうしていただろうか。それから高原は、荷物と一緒に足元に置いていた花束を取り上げると魔力を込めて放り投げた。

 どこかで見た花々だった。小さな花束は花弁を散らしながらその空間に吸い込まれるように消えた。

 それを見届けると、彼女はもう一度手を合わせてまた一分ほど瞑目し、荷物を抱え直して東に向かって歩き出した。世界中の重力を一身に受けているかのような悲愴な足取りだった。

 私は声をかけることもできずに電柱の陰に隠れていた。

モナドの窓モナーデンフェンスター〉を閉じた高原が肩を震わせているのが、遠目にも看て取れたからだ。

「……ね? 詩都香って、ああいう奴なんよ。稀に見る意地っ張りで強がり。それなのに誰よりも繊細で脆いの」

 相川魅咲(みさき)がいつの間にか背後にいた。まったくの予想外だったのに、どうしたわけか私はあまり驚かなかった。

「あなたも合宿の帰りですか」

 相川は大きなバッグを抱えていた。

「うん。先生に無理言って降ろしてもらっちゃった。どうせこんなこったろうと思ったけどね。なかなか詩都香が来ないんで待ちくたびれちゃった」

 言って彼女は首をめぐらし、肩をコキコキと鳴らす。疲れているのは本当らしい。

「こないだも、カラオケ行った後ひとりで手を合わせに来たみたい。さっき電話して伽那から聞いたんだけどね。合宿に出発する日には放課後来れないから朝に来てたみたいだってさ。ちゃんと事件解決のために動いた詩都香がああやって責任感じてると、何もしてないあたしたちの立つ瀬が無いって言うか、ちょっとだけ困ったもんよね」

「いつまでこれを続けるんでしょう」

「気が済むまで、じゃない? どっかでひと区切りつけるとは思うけど」

 犯人役の魔術師が殺害を自供しても、被害者の遺体が発見されないのでは捜査にならない。来週の頭には〈連盟(リーガ)〉の人員があそこから遺体を運び出し、市の北の山中に遺棄する手はずになっている。そこがたぶん、一つの区切りになるはずだ。

 だけど――

「高原に責任はありません。責任があるのはあの化け物と、それを生み出した魔術師です」

「詩都香はそんなこと百も承知だよ、きっと。それでも気持ちが整理できないんでしょ」

「少し偽善っぽく聞こえますが」

「気が合うじゃない。あたしもそう思う。でもね、詩都香のモットーはね、『偽善でも善は善、良心から逃げるな』だって。学校なんかではクール気取ってるのに、わけわかんない奴だよ、ほんと」

「……あんなだからこそ、『あれ』が使えるのかもしれません」

 私はそんな思いつきを口にした。心だか想いだかのエネルギーを使って〈(オーフェン)〉を強化する、前代未聞の彼女の特技……。

 相川がふと目を伏せた。

「ほんと気が合うわね、恵真(えま)。あたしもそうかなって考えてる。でもさ、このままじゃあの子はいつか絶対に潰れる」

 ひとりで何もかも背負い込むことはできない。できないだけではなく無意味だ。高原とてそれがわからぬ年ではあるまいに。

「――ところが困ったことに、ほんっと困ったことに、詩都香だってそれはわかってるんだな。自分の限界だってよーく知ってる。わかってないんだったら教え込んでやれるのに、わかっててそれでもああせざるをえない。だから悲しい子なのよね、詩都香ってば」

 相川が遠方を見遣る。高原の背はもう見えなかった。

 今しかない、と心を決めた。

「……あの、相川」

「ん?」

 視線がこちらに帰ってきた。

 私は上体を折って思い切り頭を下げた。

「昨日はありがとうございました。ごめんなさい、お礼を言うのが遅くなって」

 下を向いたままでも、少し戸惑う彼女の様子がわかった。

「んあ? いい、いい、そんなの。あたしはお礼を言われるようなことは……いや、したかな、やっぱり」

 相川は私の肩に手をかけて顔を上げさせた。そして私の瞳を正面から覗き込み、優しい顔を作る。秋風がサイドテールをふわふわと揺らしていた。

「どういたしまして、恵真。あと、伽那にもお礼言ってあげて。なんてったってあの子がいの一番に駆けつけたんだから。――でも、次にやり合うときには手加減しないよ。そっちもそのつもりでね」

 相川は可憐な顔を上気させて、にっと笑う。

「……ええ、こちらこそ。ありがとうございます」

 相川はいい奴だな、と素直に思った。私の立場を慮って、心理的な負担を軽くしてくれる。高原の痛ましさとは違う、包容力のある少女だった。

「それからさ、ひとつ勝手なお願い。言いにくいんだけど……」

「何ですか? 何でも言ってください。期限つきですけど」

 私も彼女の心遣いを無駄にせぬよう、最後にそうつけ加えた。

「あたしたちに感謝してるんだとしたら、今のお礼、詩都香には言わないで欲しいんだ」

 意外な申し出に、私は目をしばたかせた。

「どうしてですか?」

「たぶん伽那もそう考えるだろうけどさ、言ったでしょ、詩都香は誰よりも脆いって。憎まれ役を買わせるようでほんと悪いんだけど、もうしばらく、あの子の気持ちが整理できるまで、巧いこと利用するだけ利用した敵の仮面をかぶっていてくれないかな。あの子、その辺割り切れる奴じゃないから。いや、表面上は割り切ってるように見せかけてるし、本人もそのつもりなのかもしれないんだけどさ。……ああもうっ、ほんとわけわかんない!」

 私にだってわからない。でも、長年つき合ってきた相川が言うのならそうなのかもしれない。

 それにあのとき、私は高原に姉さんへの想いをありったけ託してしまった。〈連盟〉の年経た老獪な魔術師だってやりにくくなるだろう。

「……わかり、ました。お礼は保留することにします」

「ん、ありがと」

 相川は頷く。

「いい人ですね、あなたは」

 ついには面と向かって心中を吐露してしまった。

「よく言われる」などと相川ははにかんだ。と、そこで彼女の顔に思案の色が宿った。

「――そうそう、今思いついたけど、さっそくひとつあいつに迷惑かけちゃってくれない? あー大丈夫、あんたの損になることじゃないから」

 何だ? ――よからぬ予感に警戒する私に、相川は仰天ものの指示を耳打ちしてきた。

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