16.
※
一条の攻性魔法に呑まれたホムンクルスの体は、完全に消滅したようだ。
箒に三人乗りで危なっかしく飛んでいく高原たちを見送ってから小一時間も経って、私はようやくそのことを確信した。たとえ残った体組織が近くの動植物に寄生しようとしていても、魔力が少なすぎて無駄なことだろう。
箒を飛ばしたのは相川だった。自らリングを首に嵌めて気絶した高原を、最後尾にまたがった一条が支えてやっていた。あまりの急加速に、後部の一条のみならず操作している当人であるはずの相川までが悲鳴を上げた。
それもしばらくすると遠ざかって行き、やがて消えた。
――リングをとりにきた高原は、あの趣味の悪い黒マントを置いていった。何のため、とは訊くまでもない。生まれたままの姿になってしまった姉さんの体にかけてやるためだ。同性とはいえ、高原たちに姉さんの裸体を見られるのは、自分の裸が晒されているようで恥ずかしかった。
「高原、ひとつだけ意見をください」私はその高原に尋ねた。「私たちって、〈夜の種〉なんでしょうか」
私は高原が到着する以前の出来事を簡潔に語って聞かせた。あの時の、翼の生えた姉さんのことも。そして、おそらくは幼児期に同じ変身をしてしまった私のことも。
私が語り終わった後、高原は少し考えてから、「ううん、違うと思う」と回答した。それから彼女は、そう考える根拠を開陳した。
「たしかに人の姿をした〈夜の種〉もいる。わたしは二人ほど知ってるけど、一人はあのユキさん。あんたも昨日会ったでしょ? 彼女たちはね、あの人間と何一つ変わらない姿が正真正銘の本来の姿なの。人間社会に溶け込むためとかいう理由で、意識的にああしているわけじゃない。〈変身〉の魔法でも行使しない限り他の姿はとれないし、〈モナドの窓〉が大きくなるなんてこともない」
「では、私たちはいったい……」
「わたしが直接見たわけじゃないから断言はできないけど、もうヒントは十分に出てるはずよ」
高原はそう言い残し、リングを片手に歩み去っていった。
去り際、姉さんの上半身をちらちら見ながら、高原は口角を微かに吊り上げて笑みを浮かべていた。私が見られたわけではないが、いたくプライドが傷ついた。姉さんには黙っておこう。
「エマ……?」
私の膝の上で姉さんが薄目を開けた。
「……姉さん、姉さん! やりましたよ!」
姉さんは微笑を浮かべた。
「グッジョブ……」
それっきり、姉さんはまた眠りに落ちた。
※※
「さて、閣下。ご説明いただけますかな。あなたとフォン・ゼーレンブルン様はあの娘の異才をご存知のご様子でしたが」
口を開いたのはフランス大法官だった。この場では古株に当たる。
「少々長くなるけどいいかい?」
一座から反応は無かった。それを肯定の証と見て、彼は続けた。
「――さて、どこから始めたものか。そもそもこの〈連盟〉を作る以前の話だしね。そう、あれは主の年一五一九年、イタリア半島を舞台に、ハプスブルク家とヴァロワ家が争っていた頃だ。平和な時代じゃなかったよ。もっとも、今みたいに西ヨーロッパが平和な時代の方が珍しいんだけどね。――その一世紀ほど前から、古代の魔法が復活していた。しかもその力を、各王家が裏で使っていた。教会に認められないことだからこっそりとね。しかしおそらく、あんなに集中して魔力が消費された時代と地域はなかったろう。それに伴って垂れ流される〈不純物〉の量もだ。
そのせいかあらずか、ドイツの片隅、今じゃ名前も残っていない都市で、史上最大にして最悪の〈夜の種〉が生まれてしまった。当時、どこの国にも所属していなかった我々四人、つまり私とフォン・ゼーレンブルン嬢と、同僚の女性魔術師、そして我々の魔法の師は、その討伐に向かった。……悲惨だったよ。まるで歯が立たなかった。結局、さっき言った女性魔術師がその存在と引き換えに〈夜の種〉を滅ぼした。なんと言ってもその街は彼女の生まれ故郷でもあったから。彼女の持つ特異な才能を使ってね。そう、タカハラ・シヅカと同じ才能だ。師匠はそれを手伝った。他に手段がないのを理解していたのだろう。師匠とその女性は――」
「その女性の名は?」
いつまで経っても固有名が割り振られないことに苛立ちを覚えたのだろう、フランス大法官が話を遮った。
彼女は思わず盟主の顔を見た。二人の視線がぶつかった。
二人はしばらくそうして見つめ合った。彼は先に視線を逸らし、無念そうに首を振った。
やはり彼もダメなのだ。
「……私はたぶんエリーザベトだったと思うんだけど、フォン・ゼーレンブルン嬢は違うと言う」
「エリーザベトではありません、少なくとも」
「じゃあシャルロッテだったかな」
「適当なことをおっしゃらないでください」
「……ソニア?」
「それは私の二番目の名前です」
「すまない。まあ、おふざけはこれくらいにして、と」
本当にふざけるな、と彼女は思った。
「――と、このようにね、わからないんだ。思い出せないんだよ。さっきも言ったろう、存在と引き換えに、って。彼女が使った魔法は、この世界のみならず異界の理にすら触れる最大の禁忌だったんだ。その罪に対する罰は自己の存在の消滅。幸い彼女の消滅を見届けた私たちには彼女に関する部分的な記憶は残ったけれど、歴史からも記録からも、彼女の痕跡は消えてしまった。私たちでさえ、名前すら思い出せない。〈夜の種〉も、それからそいつが飲み込んでいた街、彼女の守ろうとした故郷さえ消えてしまった。あの才能の方も詳しいことはわかっていない。何らかの別種の力で〈炉〉の効率を上げているんだと推測されるが。――ソニア、君は持論を持っていたね」
「もうソニアではありません」と彼女は反射的に口を挟んだ。
「失敬。しかし、君の言う『魔法の脱魔法化』、言い得て妙だね。我々は魔法をただの技術体系としてのみ捉えてきた。それはもちろん正しい解釈の仕方だと思う。いかなる神秘のヴェールをまとっているにせよ、物神崇拝的な秘儀を行うにせよ、しょせん魔法は〈モナドの窓〉を通ってやって来る異界の〈可能態〉の応用だ。使う人間が誰にせよ、同じ手順に則れば同じ結果を得られる、そう考えてきた。彼女――さっき言った消滅した女性魔術師――のような異才は、例外中の例外だ。そして今、そんな私たちの思い込みが根底から揺さぶりをかけられているというわけだ。質問の答えになってなくて申し訳ないね」
イギリス大法官が挙手する。
「しかし、その女性魔術師やタカハラ・シズカのような異才の秘密を解き明かせれば、我々はまた新たな力を手に入れることができます」
盟主は呵々と笑った。
「いいね、実にいい。イギリス大法官、そうした知識に対する貪欲さが、魔法の発展を支えているんだ。君の言うとおり、ここに集っている大法官たちが彼女みたいな才能を得ることができたら、途轍もないことだろうな。今のタカハラはあらゆる面で未完成だが、諸君は違う。〈モナドの窓〉の大きさも、〈炉〉の効率も、〈器〉の容量も、魔法の技術も、それぞれの長短はあれどみな能う限り究めている。この上〈不純物〉まで焼き尽くせるとしたら、天地開闢以来の魔術師の誕生だ。その方法を体系化し、普及させることができたら? ――もはや想像もできない。私が先ほど語った〈夜の種〉を相手にしても打ち勝てるだろうな。……そう、実のところ、今まで黙っていて悪かったけど、私はこの五百年ばかり彼女の異才を我がものにしようと努力してきたんだよ。成功しなかったけどね」
やや興奮気味に語る盟主に水を差すのを憚りつつ、スペイン大法官が発言を求めた。
「もうひとつ、よろしいでしょうか。閣下とドイツ大法官殿の師とおっしゃられましたが、その方は……」
「存命だよ、たぶんね。だから世界最高齢の魔術師は私でもフォン・ゼーレンブルン嬢でもなく、師匠だ。――おっと、ごめんよ。君は年齢のことを言われるのが嫌いだったな。ついうっかりなんだから、そんなに睨まないでくれ。……彼はヨーロッパから逃れた。彼が受けた罰は一種の呪いだ。ひとつには死ねないこと、そしてもうひとつは……己の存在が周囲に大規模な混乱と災厄を撒き散らしてしまうこと。彼は今日本にいる。それ以上のことは知らない。師匠の結界術は大したものだからね」
日本という言葉に、席上がざわついた。
「諸君の言いたいことはわかる。三人のちょっと特殊な非所属魔術師にフォン・ゼーレンブルン嬢の二人の弟子、さらには我々の師。これだけの要素が日本に揃っているんだ。面白いことになりそうだとは思わないかい?」
「まったくですな」
珍しく感情を露わに、イギリス大法官がにやりとした。




