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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第七章「運命 Das Schicksal」――九月二十二日
51/62

15.

 ※

 次々と突き出される尾を避けながら、どうにか私はホムンクルスの胸の辺り、体表に浮かび上がった姉さんの顔にとりつくことができた。その間に相川と連携して何本かの尾を切断した。その度にホムンクルスは痛みに悲鳴を上げた。

 人間だって、どんな末端であれ傷つけられれば飛び上がるほど痛い。ホムンクルスが全身で表現するこの痛みは、姉さんが感じているかもしれないものと同等なのだ。その想像に胸が痛んだ。

「姉さん……」

 粘液に塗れたその髪をかき上げてやる。姉さんの顔は土気色で、私の不安を煽った。

「今、楽にしてあげますからね……!」

 思い出すのは四年前のあの魔法。使ったのはあの一回きりだったけど、精神が覚えていた。

 ――姉さんを苦痛から切り離してあげるのだ。小さなモグラとは違って、数十倍の魔力が必要になったけれど、今の私にならできる。両手で姉さんの顔を抱きしめた。

「怖くなんかありませんよ、姉さん。痛みなんてないでしょう?」

 姉さんの顔に少しだけ血色が戻った。

 私は高原に精神感応(テレパティー)を送った。

『やってください』

 呼応した高原が、そのバカげた攻性魔法を放った。彼女の周囲を漂っていた無数の光の玉が一斉に飛翔、拡散。次いでホムンクルスの胴体の真ん中辺りに収束していく。技術も何もあったものじゃない、自分の異才を活かした力押しの魔法だった。

 光球はその全てがほぼ同時にホムンクルスの体に着弾した。脅威を認めたホムンクルスは防御障壁を張っていたが、高原の魔法は到底防ぎきることのできる代物ではなかった。体の後ろ半分を消し飛ばされた衝撃と痛みに、ホムンクルスは悲痛な叫びを上げ、地面に倒れた。

 障壁ごと押しつぶされそうになりながらも、姉さんの顔を放さなかった。そのまま、その額に口づけする。

「大丈夫ですよ、姉さん」

 ホムンクルスが両の前肢で身を起こした。しがみつく私の体も宙へと引き上げられた。

 脳裏ではいつしか幼少の折の記憶が再映されていた。

 いつも私を支えてくれた姉さん。

 両親の折檻から守ってくれた姉さん。

 変貌した私にすがりつき、あんな薄暗い森の中までついてきてくれた姉さん。

 ――あっは、そうだったのか。あの時“変身”したのは、姉さんじゃなくて……。

「ノエマ!」

 高原が、私に何かを投げてよこした。

 回想を中断して反射的に受けたそれはサイコ・ブレードだった。

「ノエシスを切り出せ!」

 言われるまでもない。青い刀身が瞬時に形成された。

姉さんシュヴェスター・マイン失礼しますエントシュルディグング!」

 私は姉さんの額に手を当て、ごく軽い念動力(テレキネーゼ)の衝撃波を放った。その反動の微かな違いを正確に頭の中でトレースする。念動力を用いた即席のトモグラフィーもどきだったが、うまくいった。

 姉さんの首から下は、水平面に対しておよそ五十度下に傾いていた。その軸と平行に刀身を突き入れる。

「ふぐおおおおおぉぉぉぉッ!」

 ホムンクルスが絶叫した。だが、半分しかない体では私を振り落すことはできない。

 手にした刃で、姉さんの体に触れないように一気に三六〇度の円を描く。ちょっと手元が狂ったが、体を傷つけてはいないので許してもらおう。

「うぐっ、固いっ!?」

 円周を完成させると同時に念動力で姉さんの体を引きずり出そうとしたが、残る部分の組織がそうはさせじとねばねばと抵抗を示した。

 私がこれに呻吟していると、思わぬところから助力があった。

「でりゃああっ!」

 高原だった。全魔力を念動力に変え、私の力と相乗させて姉さんを胸まで引きずり出した。

「魅咲、今!」

 その声に応えて、相川が飛びついた。姉さんの両脇の下に手を差し込み、引っ張る。

「ふんっ、ぐぁあああぁぁっぁぁ!」

 渾身の力を込めた相川の顔は真っ赤だった。

 そして――ぶちぶち、という不快な音とともに、とうとう姉さんを拘束していた最後の組織が引きちぎられた。その弾みで姉さんの体ごと相川が吹っ飛んだ。

「ノエマ、離れて! 伽那あッ!」

 高原がさらに指示を飛ばす。

「うん!」

 魔力の供給源を失ったホムンクルスは、迫り来る死を悟って暴走を始めた。新たな魔力の源を求めて伸びる尾を切り払いながら、私はその体表を蹴って距離をとった。半狂乱のそいつをめがけて、いつの間にやら戦場に舞い戻っていた一条が両手を突き出した。

「〈イレイザー・カノン〉!」

 その手から放たれた真っ赤な破壊光線が、ホムンクルスの巨体を余す所なく飲み込んだ。

「あうっ!」

 熱された空気が一気に押し寄せた。きりもみしながら三半規管をフルに活用してどうにか着地。図らずもそこは、地面に落ちた相川と姉さんのすぐそばだった。

「ちょっとっ! 何とかしてよ! 気持ち悪い!」

 相川が悲鳴を上げた。姉さんは意識のないまま、手足をでたらめに動かしてじたばたと暴れていた。まだ体内に奴の組織片が残っているのだ。確かにこれはホラーだ。

「ノエマ! こいつを、ノエシスの首に!」

 高原が転がしてきたのは、見覚えのある銀のリングだった。私はそれを掴み上げると、ホムンクルスの肉片と体液にまみれた姉さんの顎の下に迷うことなくねじ込んだ。

 どういう仕組みなのか、一切継ぎ目の見当たらなかったリングが、姉さんの首にすっぽりと嵌まった。途端に、姉さんの体にこびりついていたホムンクルスの組織がぐずぐずと焼け焦げ、煙となって消えていった。姉さんが動きを止めた。

「回復体位! 体を横向きに! 気道を確保して!」

 高原が指示を出しながら走ってきた。よく飲み込めずにまごつく私たちをどかして、姉さんの体を横に向け、顎を少し上げさせた。ちょうどそのタイミングで、姉さんの口から濁った液体が大量に噴出した。

「わ、わ、わ!」

 相川が腰を抜かす。寄生していたホムンクルスの組織が、あのリングに魔力を奪われた姉さんの体内にいられなくなったのだと、私も理解した。

 高原の指示は驚くほど的確だった。悔しいが尊敬さえ覚えてしまう。

「……よかったぁ、わたし一人がゲロ女にならずに済んで」

 最後の言葉の意味はよくわからなかったけど。



 ※

 疲れ果ててしゃがみ込んだ詩都香の元に、伽那がやってきた。

「あれ? 詩都香、今日はぼけーっとしないの? あれやったのに」

 詩都香の〈消尽〉には、使用後に不可解な反動がある。ほんの十分前後だが、何も考えられなくなり呆けてしまうのである。魅咲や伽那が言うには、元に戻らなくなりそうで怖いのだそうだ。だから二人は詩都香のこの〈超変身〉を使わせないようにしている。

 その反動が今日はない。

「そういえばそうね。どうしてかな」

 我がことながら詩都香は首を傾げる。普段とは違う感情でやったからかもしれない。ともあれ、敵であるノエマにその弱点を見られずに済んでよかったとも言える。

「終わった、のかな?」

 ノエシスとノエマの方を見遣りながらの伽那の問いに、詩都香は頷いた。

「たぶん、ね。あとは妹に任せて、わたしたちは帰ろうか」

「伊豆に?」

 腰に両手を当てた魅咲が、同じく疲れた様子で尋ねる。

「あー、わたしたちはそうなるのか。でも、今から帰ったところで――お?」

 詩都香は頭上を仰いだ。まだ太陽はいくらも傾いていない。

「はぁ……、もう夕方だったら諦めもついたのに。まだお昼過ぎみたいね。どーする?」

「帰んなきゃまずいんでしょ?」

 魅咲は今にも重力に潰されそうになっている。詩都香もうなだれた。

「うん、まずいんだけど……」

「電車の時間は?」

「え~と、次の快速に乗って熱海で乗り換えれば、四時前には下田に着ける。深根城の実測に引き込まれなくてちょうどよかったかも」

「……あんたって、ほんとは鉄道マニアなんじゃないの?」

 自分から訊いてきたくせに、魅咲はジト目を向ける。詩都香はそれを無視した。

「あー、わたし、いきなり下田からいなくなったことの巧い言い訳思いついちゃった」

「何?」

「体調が回復して急に来ることになった伽那が三島駅で迷子になっているので迎えに行ってた、とかどうかな」

「……いいんじゃない? もう好きにして」

「ええっ? わたしも行っていいの? やったー、温泉!」

「……ユキさんの説得は自分でやってね」

 先ほどまでの疲弊もどこへやら、ピョンピョン飛び跳ねる伽那に、詩都香も魅咲も肩を落とすのだった。

 この格好では帰れないと判断し、着替えるために一度伽那の家に向かうことになった。今度は箒に三人乗りだ。

「わたし、箒に乗るの初めて。なんか楽しみ~」

「言っとくけど伽那、これあっという間にお尻痛くなるよ。障壁で尻守った方がいいからね」

 はしゃぐ伽那に、魅咲が水を差す。

「あ、やっぱり? じゃないかと思ってた」

「そうそう。あんたは余計な重し二つもつけてんだから」

「じゃあ詩都香は防御障壁張る必要ないね」

 からかおうとした詩都香だが、伽那から即座にまぜっ返された。

「あー、結局伽那も来るんだったら、何もお土産の“イノシシきんつば”買わなくてもよかったな」

 気が早いことである。

「もう買ってたんだ? いいじゃない、魅咲。後でみんなで食べようよ。……あ」

 食べる、というワードからの連想で、詩都香は嫌なことを思い出した。強張ったその顔を魅咲が見とがめた。

「どしたの?」

「わたし、あいつの尻尾噛みちぎっちゃったんだった……」

 生温かい体液の味と臭いが口の中に蘇り、顔から血の気が引いた。

 魅咲と伽那は箒から飛び降りてさっと距離を取った。

 薄情だろ、と落胆しつつ、詩都香はノエマに向かって声を張り上げた。

「ノエマ! あのリング返して!」

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