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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第七章「運命 Das Schicksal」――九月二十二日
44/62

8.

 ※

 作業はまだ未完了だが、姉さんのところに戻ろうか逡巡した。

 やっぱりこんなことしてる場合じゃなかった。一条の意見など容れずに、姉さんを止めるべきだった。そんな後悔が胸を衝き上げてくる。

 ――そうだ、今から戻って、討伐隊の魔術師たちから姉さんを守ろう。研修生(レーアリング)レベルの魔術師が何人来たところで、私ならきっと撃退できる。そうしてから姉さんを元に戻してやればいい。

 だって、私たちの育ての親はドイツ大法官なのだ。いざとなったら、城主様(ヘリン)はきっと理を曲げてでもかばってくれるに違いない――

「……バカか、私は」

 自分の考えを罵って吐き捨てた。こんな浅はかな私だから、アーデルベルトも城主様の地位を教えるのを躊躇ったのだ。

 とはいえ、そうした衝動と魔術師としての使命感との間に、板挟みになっていたのは事実だ。焦慮が〈(ゲフェース)〉に働きかける精神の集中を乱し、魔法を行使する能率を低下させ始めていた。それがますます私を焦らせ、負のスパイラルに引きずり込む。

「くっ……このっ!」

 燃え盛る立ち木に冷気を浴びせて炎を消したつもりが、完全に鎮火させることができていなかった。もう一度同じ魔法を使って、今度こそ消し止める。

 ――ダメだ。焦るな焦るな焦るな……。

 集団から離れ、一人だけこちらに飛んでくる魔術師があるのに気づいたのはそんな折だった。私は警戒しつつその魔術師を待ち構えた。

「正魔術師フォン・ゼーレンブルン様とお見受けいたしますが」

 木々の切れ間から姿を現した魔術師はそう声をかけてきた。まだ若い、三十くらいの男性である。家で休日を満喫しているところを呼び出されたのか、ポロシャツにジーンズというラフな出で立ちだった。

「はい、そうですが……」

 相手の狙いがわからず、私はうつむき加減に答える。

「当市のためにわざわざのご出陣、痛み入ります。我ら近隣の魔術師一同、東京支部の指令を受けて駆けつけた次第です。本来指揮を執るべき当市の責任者があいにく不在でして、遅れたことお詫び申し上げます」

 男性は深く頭を垂れた。魔術師としての格付けは下とはいえ、年上の男性からそんな態度に出られると私もまごついてしまう。

「い、いいえ。それはいいんです。それであの……あの〈夜の種〉は……」

「はい、ただいま一人の非所属魔術師が相手をしているところです。私たちに与えられた指令は、あなた方が遠慮無く戦えるように、周囲を固めること。手出しは一切無用と厳命されております。もっとも、我々では到底戦力にはならないでしょうけど。……ですから、この場は私たちに任せて、ゼーレンブルン様はお行きください」

「――いいんですか?」

 まったく予想もしていなかった言葉だった。そんな、私たち姉妹にとって都合のいい指令が出ているだなんて。

「はい、お行きください。……それにしても、これをおひとりで?」

 彼は周囲を眺め回した。消火作業は七割完了といったところだろうか。

「ええ。途中で引き継いでもらうのは心苦しいんですが……」

 私が遠慮がちに頷くと、彼は感嘆の声を上げた。

「さすが正魔術師だ。さ、後は我々に任せて、あの〈夜の種(ナイトシード)〉を仕留めてきてください」

 彼は地上に降り立つと、他の魔術師を呼び寄せる精神感応波を放った。それまで距離をとっていた〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉の反応が、続々と近づいてくる。

「それじゃあ、お願いします」

 彼に向かって大きくお辞儀をしてから、私は飛行の魔法を行使した。

 関門をひとつ突破したものの、問題はまだ山積みだ。



 ※

「うわっ、わわ……すっごい!」

 箒に乗った詩都香(しずか)魅咲(みさき)の二人は、高度三千メートルほどの空を飛翔していた。魅咲が障壁内に与圧してくれているので、高度障害を発症せずに済んでいる。

「コンパスちゃんと見ててよ?」

 高空を飛ぶと、自分の位置も針路も見失いやすくなることがすぐにわかった。詩都香はリュックの中から普通よりやや大ぶりなコンパスを取り出して魅咲に渡していた。

「あんたさぁ、こんなもんいつも持ち歩いてるわけ?」

「モニターから目を離すな! ……いや、一応調査旅行ってことになってる今回だけだって。それよりも、そいつの使い方大丈夫?」

 詩都香が渡したのはただのコンパスではない。クリノメーターと呼ばれる、地質調査などに使われる測定器具だ。

「だいじょーぶだいじょーぶ。昨日ばっちり叩きこまれたから。東西の表示が逆になってるだけでしょ」

 とはいえ、何のためにそうなっているのかを理解していないと、普通のコンパスとして使った際に混乱しがちになる。言葉とは裏腹に自信が無いのか、魅咲がちらちらと頻繁に盤面に目を落すのを肩越しに見ながら、詩都香は不安だった。

 そんな二人の足の下を、白い層雲がいくつも後方に流れていく。

「前の箒じゃこんな高度まで上がれなかったわ。副部長をうまいこと丸め込んで、これ貰えないかな」

「なんで新しい箒買わないの? デジデリウスさんのとこでさ」

「あまり出回ってないのよ。魔術が体系化されて飛行の魔法が普及してからは、一部の物好き職人しか作らなくなったし。それ以前のものとなると、博物館級のレアもの」

「たしかに、ニ、三百年前の箒なんてそうそう残ってないだろうしね。それにしても、そんなもんを持っていたってことは、あの副部長さん……」

「……うん。でも、考えようによっては当たり前のことなのかもね。世界中に睨みを利かす組織なんだもん、魔術師や異能者の構成員は、わたしたちが思っているよりもザラにいるのかもしれない」

「ひょっとしたらあたしたちの周りにいる誰かも魔法に関わっているのかも、ってことか。なんかヤダな。これからどうする、あの副部長さんと?」

 詩都香は沙緒里と出会ってからの日々を思い返した。

 色々と規格外な部長の奈緒に比べると、いつもその隣にいる沙緒里の方は、改めて思い出すと驚くほど印象の薄い上級生だった。

 ただ、実測作業の折の、どこか楽しそうな顔だけが浮かんできた。

「魅咲は?」

「あたしは一昨日の夜、色々聞かせちゃったからねえ。慰めてももらったし、正直なところ敵対してるだなんてあまり考えたくない、かな。あんたこそどうすんの? あたしと違ってあんたは常日頃接してるわけでしょ?」

「……わたしもどうもしない。副部長が魔術師だって決まったわけじゃないし、問い詰めるのもなんだし」

 デジデリウスから聞きかじったところでは、リーガの構成員のほとんどは“研修生”と呼ばれる身分に位置づけられており、力量に見合った任務が割り振られるまでは、魔法の使用にも制限がかけられているとのことだった。主な任務は世の秩序を乱す〈夜の種(ナイトシード)〉の討滅である。

「……それに、わたしは副部長が〈モナドの窓〉を開くのを感じたことがない。もしかしたらまだ〈モナドの窓〉を開けない異能者の段階なのかも。わたしたちに向かってくることは、たぶんないんじゃないかと思う。だからわたしは、今まで通りに接するわ」

「あんたってばお人好しなんだから。偵察とかされてるのかもよ?」

「いいわよ、別に。わたしに弱点なんかないんだから」

「あー、はいはい。万能の才女、詩都香様はそうですわね。……ま、あたしもそうするよ。一夜の恩もあるしね。――ところで今、どれくらいスピード出てるの?」

 この話はこれで終わり、と言うように魅咲が尋ねた。

「四十ノットってところかな。無理すれば一時的に百五十ノットくらいまでは加速できそうだけど」

「ったく、オタクってのはどうして変な単位を使いたがんのよ。……七十五キロくらいか」

 ぶつぶつと文句を垂れながらも、魅咲は素早く計算を巡らせた。次いで、落とさないよう注意しながら地図を広げ、距離を目測する。

「京舞原まで四十五分ってとこ?」

「無理。とてももたない。これ結構魔力使うわ。このペースだと、もって二十分。休憩入れたら二時間はかかりそう」

「結局車と大して変わらないじゃん」

「運転できないんだから仕方ないでしょ。でも困ったなぁ。これじゃ着いても〈不純物〉が溜まり過ぎてとても戦えない」

 勇んで飛び出したものの、現実はままならなかった。

「じゃあ、あんたが休んでる間にあたしが飛ばせばいいじゃん」

 魅咲がそう提案する。詩都香とてそれは考えないではなかったが。

「――ダメ。魅咲の〈器〉の容量じゃすぐに底を突いちゃうし、〈不純物〉で溺れそうな二人が駆けつけても意味ないでしょ。とにかくあんたを送り届けて、わたしはそばで観戦しながらしばらく休ませてもらうわ」

 そもそも魅咲は魔法の箒を使ったことがない。ちゃんと飛ばせるのかさえ、詩都香は危ぶんでいた。

 魅咲は不服そうにふん、と鼻を鳴らした。それでも、自分の長所と短所はわきまえているのだろう、反論は無かった。

 その代わり、

「……あたしももっと魔法の練習するわ。こういうときに何もできないのってイライラする」

 そんな殊勝なことを言ってくれた。

「うん、そうして。わたしが使える魔法も教えてあげるから」

 何もできないだなんて、そんなことはない、今だって魅咲が与圧してくれているからこそ負担が軽減されているのだ――詩都香はそう言ってあげたくなるのをこらえた。優しい慰めはやめにした。魅咲が詩都香よりもはるかに強いのはよくわかっているが、このままではいつか壁にぶつかるだろう。

「あれは? 箱根?」

 その魅咲が、遥か左方にそびえる山を指す。

「魅咲ったらせっかちだな。まだ飛び立ってから十分かそこらでしょ。あれが天城山、あの光るのが相模湾……そうだ! 魅咲、クリノメーターを!」

 魅咲から受け取ったクリノメーターの盤面と天城連山の最高峰万三郎岳の方角を交互に確かめてから、詩都香は体を傾ける。何が万能の才女だ、こんな簡単なことも思いつかないでいたではないか、と自分を責めたくなった。

「詩都香、詩都香! なんか高度下がってない!?」

「下げてるの! ほら、あれ!」

 層雲を突き抜けた詩都香が指差した先、トンネルで途切れ途切れになった線路の上を、十五両編成の長大な列車――高空から見るとミミズよりも小さいが――が走っていた。

「あれってもしかして」

「さっき逃した『踊り子』! 海岸線と天城山の位置から見て、まだ熱川を過ぎたばかり。次の伊豆高原で捕まえる!」

 この際だ、多少の目撃者が出ても仕方があるまい。詩都香は高度を上げずに線路に沿うようにしてぐんぐんと加速した。〈器〉に〈不純物〉が溜まり、頭が割れるように痛み始めた。

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