4.
二時間ほど街を飛び回った。カップルが行きそうな場所を上空から見て回り、その都度精神感応波を放射し、電話をかけた。
姉さんと行ったことのあるお店も隈なく探した。それでも姉さんは見つからなかった。
まさかホテル? そんな所に私が近づけるはずもない。それに、さすがに中学生カップルが利用できるとは思えない。……いや、わからないか。そもそもその手のホテルの仕組みなんて私は知らないのだ。
――佐野の家。
今までその可能性に思い至らなかったのは我ながらうかつだった。しかし、私は彼の住所を知らない。
もどかしい思いで携帯を取り出し、高原くんに電話をかけようとした。
いつの間にか電池が切れていた。
……充電器は家だ。
コンビニで買おうか。
……財布を持ってきていない。
「シャイセッ!」
我知らず悪態が漏れた。姉さんのことばかり考えていて、他のことに気が回らなかった。
私は自宅を目指してまた飛んだ。
そしてその途中、私たちの住むマンションから二百メートルほど離れた路地裏で、姉さんを見つけた。
一瞬、自分の目にしたものが信じられなかった。
姉さんは上体をコンクリート塀に預け、意識を朦朧とさせているようだった。その周りを、十人弱の人垣が囲んでいる。野次馬だ。
――なにせ姉さんは、ボロボロの服装で、その雪花石膏のような肌を露わにしながら、身動き一つとらないのだ。
怒りに目が眩んだ。猛禽の如く上空から飛びかかり、姉さんの体を掴むと反転急上昇。突然の出来事に、野次馬たちがぽかんと口を開けてこちらを見上げ、指差してくる。
彼らが悪いのではないのはわかっている。救急車を呼んでくれていた人もいただろう。だけど、こんな格好の姉さんを見世物のようにされた私の憤怒は〈器〉を震わせた。
「眠れっ!」
その声が到達するかしないかの内に、その場にいた全員がバタバタと昏倒した。
私はそれを最後まで見届けることなく姉さんを抱えてマンションに戻り、開けっ放しだった窓から部屋に飛び込んだ。
※
食休みの後、詩都香たちは綾乃の車に乗り込んだ。同乗するメンバーは初日と一緒だ。
「部長、今日も調査はいいんですか?」
前の座席に乗り込んできた奈緒に、詩都香は尋ねた。カンパに応じたというOGたちも、ただ伊豆巡りをしてきただけと知ったら浮かばれないだろう。
「なあに、今日は深根城にも行くからな。それで誤魔化すさ。それに、昨日西伊豆に居残った連中に、高橋先生の指揮でそこらの海岸の写真を撮影してもらっている。『西伊豆の海岸に押し寄せる怒涛の如き伊勢軍の船団』――どうだ?」
「そんな適当な。今日はわたしが残りましょうか?」
心配になってしまう詩都香に、奈緒は含み笑いをしながら耳打ちしてくる。
「明日私が片づけるから心配するな。それに、お前は今日は相川と一緒にいろ」
詩都香は横目で魅咲を伺った。今日は魅咲が最後列の真ん中に座り、今は右にいる由佳理とおしゃべりをしている。
「……わかりました」
奈緒なりに気を遣っているのだろう。
「もう一回誰かが問題を起こして、次は駿河と遠江、というのもいいな。早雲の今川家出向時代を調査、という名目で」
「毎年同じテーマじゃダメでしょう」
本当に気を遣ってくれているのだろうか、と詩都香は悩み始めた。
車がスタートした。今日はしばらくの間海岸をドライブだ。
「ほい、詩都香」
右に座る魅咲が、スナック菓子の袋を差し出してきた。
「ありがと……ってこれ、わたしが買ってきたヤツじゃん!」
魅咲が勝手に開封したのは、詩都香のリュックの中に詰まっていたお菓子だった。
「さっさと消費しなきゃでしょ。ほら、由佳理も」
「ありがとうございます」
魅咲の言うとおり、昨日はとてもそんな気にならなかったので、せっかく買い込んだおやつはまだほとんど手つかずだった。
「あー、もういいわよ。どんどん食べて。はい、部長も副部長もどうぞ」
「秋季限定宇治抹茶味か。この手のを食べるのは久しぶりだな」
受け取ったチョコレート菓子の箱を見ながら、奈緒は懐かしそうに言う。たしかに、奈緒にスナック菓子はあまり似合わない。
「高原さん、私には……?」
予想外のところから声がかかった。ハンドルを握る綾乃である。若い教え子たちが楽しそうにお菓子をつまむのを羨んでいるのかもしれない。
「北山先生は我慢してください。片手運転で事故でも起こされたら目も当てられない。昨日だって私は何度かヒヤヒヤしました」
と奈緒からにべもなく突っぱねられ、ミラーに映る綾乃の顔がむくれた。
「いいわよーだ。この歳になると、間食は大敵だし。みんなも、油断していられるのは今のうちですからね」
綾乃はそう言って遠い目をする。いつもの癖だ。運転に集中して欲しい。
「そうそう、松本さん、昨日のレポート、悪くなかったよ。みんな似たり寄ったりなのに、君だけ目のつけどころが面白い。ちょっと気合が入りすぎて空回りしているところもあるが、少し改稿すれば部誌に載せてあげられそうだ」
詩都香がヒヤヒヤしていると、奈緒が後ろを振り返って由佳理に話しかけた。
「本当ですか? ありがとうございます」
遅れて参入した由佳理は、自分が今年戦力になるのか不安だったのだろう、小さくガッツポーズした。それを見ると、詩都香も少し嬉しくなる。
「どうも他の部員のは、現地に行かなくても書けるようなのが多くてね。――その筆頭がお前だ、高原。少し反省しろ。なんで「修禅寺物語」の感想文になっているんだ」
「気合が入りすぎまして」
ぺろっと舌を出す詩都香。魅咲と喧嘩していたおかげで、昨日見たものがほとんど印象に残っていなかったのだ。
「それこそどこでも書けるじゃないか、まったく。真面目に取り組まないと、今日か明日のレポート、お前が書いたのを載せるぞ。実名で」
「……勘弁してください」
名前を伏せてもよいことになっている合宿記の中で、一人だけ実名を晒すのは恥ずかしい。さすが奈緒は、どうすれば詩都香が嫌がるのかよく心得ている。
「部長さん、詩都香の代わりにあたしが温泉レポート書いてあげてもいいですよ?」
魅咲が意外な提案をする。詩都香はギョッとしてその横顔を見つめた。
「ほお、一年の首席、才媛相川女史の温泉レポートか。郷土史研の部誌に載せるのはさすがにどうかと思うが、興味惹かれるな。巻末付録とかでありかもしれん。とりあえず書いてみてくれるか?」
「オッケー」
「ちょっと、みさ――」
「いいの、吉村さん?」
知らぬ間に現世に帰還していたらしい綾乃が、詩都香よりも先に疑義を呈した。
「なあに、原稿の最終チェックは高橋先生と二人でやるが、印刷所に持っていくのは私だ。ページ数を調整すれば簡単だよ。それに、北山先生も美肌効果のある温泉、興味あるでしょう?」
そういうことを言うとまた綾乃の魂が抜け出ていくのでやめて欲しいところである。
しかしそれ以上に気になったのは、魅咲の奈緒に対する態度の軟化だった。
(いつの間にか仲良くなっちゃって……)
二人とも黙して語らないが、あの喧嘩の夜、奈緒は魅咲の相談に真摯に対応したのだろう。ひょっとしたら、詩都香は図らずして青鬼の役割を果たしたのかもしれない。
そんな折、携帯電話がメールの着信を知らせた。
「ありゃ? あたしもだ」
魅咲もポケットをゴソゴソやる。
「伽那からだ。何かあったのかな?」
二人はほぼ同時にメールを開いた。
『これからもずっとお友達でいてね』
たった一文、そう記されているだけだった。
「…………?」
詩都香は魅咲と顔を見合わせた。伽那の突飛な行動には慣れているが、こういう攻め方をされるのは初めてだった。
「どうしたんだろ? 熱で頭やられたんかな?」
「一人ぼっちで寂しいんじゃない? また琉斗でも派遣しようか」
詩都香がそう提案すると、魅咲は「あんたいったいどっちの味方なんだ」と渋い顔。
何のこっちゃ、と訝しみながらも、伽那のメールに正面から答えるのも照れるので、詩都香はひねくれた文面で返信する。
『お土産は桃缶でいいよね』
※
「エマ……エマ……」
ベッドの上の姉さんがうわ言を漏らした。私はいつかのようにその手を取った。
「姉さん、ここにいます。ここにいますから……どうか……どうかしっかりしてください」
どうしてこんなことになったのだろう……。
先ほどパジャマに着替えさせた際に姉さんの体を検めてみたところ、意外なことがわかった。
姉さんの肌の至るところに流血を伴う傷ができていた。深い傷ではない。三本、あるいは四本の平行線……引っ掻き傷だ。さらに、右手の薬指と左手の小指の爪が剥がれ、残る爪には血みどろの皮膚片が挟まっていた。それが示す事実は一つ。体を掻き毟り衣服を引き裂いたのは、他ならぬ姉さん自身であったのだ。
どうして姉さんはこんなことを……。
自分の手を超えた事態が進行している――そう判断した私は何度も城に電話をかけた。城主様に助けを求めたかった。
しかし、向こうは深夜の三時である。魔術師だって夜は眠る。使用人たちの居室から遠い玄関ホールに設えられている電話のベルは、誰の耳にも拾ってもらえなかった。
「ごめんなさい……ママ、ごめんなさい……もうやらないから……お願い、許して……」
肩を落として部屋の中に戻ると、姉さんのうわ言はますます激しくなっていた。日本語とドイツ語が入り混じっている。両親にお仕置きされている夢を見ているのだろうか。そんな弱々しい姉さんを見ていると、胸がつぶれそうになる。
だけど、姉さんの次のひと言は、私の肝をつぶしたのだった。
「Neee! Shino, nein! やめて! Hör auf! ママ……パパ……逃げてっ……ダメっ! ダメだよ、――――!」
しばし呆然とした。その意味するところを全て理解したわけではないが、なぜ他ならぬ姉さんの口からその言葉が出てくるんだ。
我に返ってからは居ても立ってもいられず、部屋を飛び出してもう一度受話器を取った。リダイヤルでゼーレンブルン城に電話をかける。今度こそ誰かが出るまで絶対に切らない覚悟だった。
……が、結局私はすぐに姉さんの部屋に駆け戻ることとなった。
姉さんの〈モナドの窓〉が開かれ、ほぼ同時にガラスの割れるけたたましい音がしたのだ。
「姉さんっ!?」
ベッドの上はもぬけの殻だった。ベランダに通じる窓ガラスが割れ、そこかしこに破片が散乱していた。
その向こうに視線を転じると、パジャマ姿の姉さんが数十メートル先を飛んでいた。
「どこへ行くんですか! そんな体で!」
こちらも〈モナドの窓〉を開き、飛行の魔法を使う。焦りのせいで集中が乱れ、飛び立つまでにいつもより余計に時間がかかった。
それでも、幸いにもぐんぐん距離を縮めることができた。私と姉さんの飛行速度は本来変わらないはずだが、姉さんの方は発熱のために思うように飛べないでいるようだった。
「姉さん! 待ってくださいっ!」
私は必死で呼びかけた。
「エマっ! 来ないで、エマあッ!」
高熱に浮かされた真っ赤な顔で、姉さんがこちらを睨んだ。その両手に一つずつ、オレンジ色の火球が宿る。
「姉さん?」
速度を落とさぬままこちらを振り返った姉さんが、その攻性魔法を放った。
――うそ。
大気を灼く二つの火球。私は呆然とそれが目前に迫るのを見守った。
防御障壁は――間に合わない。




