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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第一章 「月光 Mondschein」――九月十三日
4/62

3.

 ※

 宿題を片づけながら、高原たち三人の戦力を分析してみた。これも毎度のことである。もう四回も戦っているのだ。分析の精度には自信がある。

 高原と相川の二人は、〈モナドの窓モナーデンフェンスター〉の大きさ、〈(オーフェン)〉の効率、〈(ベヘルタ)〉の容量、どれをとってもいいところ私たちの四割といったところだろう。魔法の技術の点では、さらに大きな開きがある。高原は相川よりも魔術師としていくらか優れているが、相川の素の身体能力が高いため、戦力としては相川の方が上だ。

 一条は〈モナドの窓〉の大きさと〈器〉の容量で言ったら私たちと遜色がない。だが、魔法の技術もなく、そもそも戦闘向きの性格ではないため、他二人のお荷物になることもしばしばである。

 総合的に見れば負ける要素は少ないはずなのだ。なのに、三人揃うとなかなかに厄介である。しかも、格上の私たちを相手にしながら、どこかしら余裕があるようにも見受けられる。

「あいつら、たぶん何か奥の手を隠してる」とは姉さんの言。ありうる話だ。

 もっとも、私たちにも奥の手はあるのだけど。

 その姉さんは自室で寝ている。室内に音を立てるものは何もない。その分、窓外からは様々な雑音が忍び込んでくる。行き交う車やバイクの騒音、飲み会帰りと思しき大学生たちの声高な話し声……。人口で言えばシュトゥットガルト――私たちが唯一知るドイツの都会――と同規模のこの街は、夜でもにぎやかだ。

 こんな夜、私は静かな城での生活を思い出してしまう。夜は静謐そのものだった。


 ドイツ連邦共和国南西部、バーデン=ヴュルテンベルク州の州都シュトゥットガルトから南西におよそ五十キロ。シュヴァルツヴァルトと呼ばれる山地の一角に、私たち姉妹が育った古い城はある。その名も“ゼーレンブルン城シュロス・ゼーレンブルン”。ゼーレンブルン――日本語に直訳すると「魂の泉」ということになるだろうか。

 城といっても、ライン川やロマンティック街道沿いのものと比べて大きくはなく、城主様の気まぐれな思いつきで増改築がなされてきたのか、形もやや歪で不格好。もし外から迷い込んだ人間が、夜に灯を落したこの城を見たら、きっと化け物屋敷の風評が立つことだろう。

 拾われてから十年余りの間、私たちはこの城で育てられた。パソコンやインターネットは言わずもがな、テレビすら無い環境で、限られた数の使用人に囲まれた生活だった。

 電話はあるにはあったが、城の外に知り合いのいない私たちには、最寄りの町の商店に生活用品を注文する以外の使い道はなかった。

 ラジオも一応あった。ドイツの他、スイスやフランスの電波も拾うことができた。私たちにとっては数少ない娯楽の一つだった。

 住込みの使用人たちの一部は〈リーガ〉に所属する魔術師、一部は普通の人間だった。外界から離れて古城で生活してみたいと考える物好きな人間というのは、どういうわけか常にいるのである。

 使用人の数が足りなくなると、城主様は近くの町々に募集の貼り紙を出す。あまり忙しくもなく、給金の払いも良く、暇な時には城の豊富な蔵書を読みふけることもできるこの仕事は、ロマンティックでオカルトめいた憧れを持つ人間を惹きつけるのだった。

 だが、この城の持ち主が本当の意味での魔術師であることを知る人間は、そう多くはない。

 城主様はひきこもり気質の女性で、日常の仕事はほぼ使用人たちにまかせっきり。町の商店主たちとの交渉事にも顔を出さない。対外的には二十六代目ゼーレンブルン城主アントーニアを名乗っている。もちろん偽名であるし、過去の二十五代も全て城主様本人だ。二十年から三十年の間隔で「代替わり」を行い、その度に一、二文字ずつ名前を変えてきたところ、気がつけば元の名前に近くなってきた、という話だった。

 そんなゼーレンブルン城にささやかな変化が訪れたのは今年の六月、私たちの日本行きが決まった直後のことだった。城までケーブルが引かれ、ついにテレビが導入されたのだ。私たちに外の世界の最低限のことを勉強させるためというのが名目だったが、私たち以上に楽しんでいた城主様のこと、実は前々から購入を考えていたのかもしれない。

 優に五百歳を超える年齢でありながら――歳のことを言うと渋い顔をされるけど――、私たちの知る城主様は昔気質というわけではない。こんな城にひきこもって暮らしているのだから、求人に応募してくる使用人たちのようにさぞかし俗世間を軽蔑しているのかと思いきや、さにあらず。その証拠に、私が見てもくだらないと思ってしまうようなバラエティ番組にも、大口を開けて笑う。まあこれだけは、私たちはともかく使用人のイメージを崩しかねないからやめてほしいところではあったけど。

 今までテレビを買わなかったのは、興味と必要性を感じなかったかららしい。

「好奇心を失ったら、魔術師として終わり」

 城主様はやや自嘲気味にそうおっしゃっていた。


 恩人であり、育ての親である城主様だが、それを抜きにしても、私たちはよく懐いた。城主様は気取った所のない人柄だった。

 主の年一四七三年、神聖ローマ帝国はベーメン王国の生まれ。本当か嘘かは知らない。俗界の身分としては、フランス皇帝ナポレオン一世が来る頃まで、辺り一帯を治める領邦君主であったらしい。

 当時の称号は、ゼーレンブルンブルクグレーフィン・フォン城伯女ゼーレンブルン。十九世紀の初頭に行われた、小君主を手近な大君主の下に組み込む陪臣化メディアティジールングによってバーデン大公の臣下の身分となっても、ご本人はどこ吹く風。形式上のことだったし、主君に当たる歴代のバーデン大公にも一度も会ったことがない、と言っていた。

 一八七一年にドイツ帝国が成立すると、ゼーレンブルン城伯なる貴族がいたことの記録さえも抹消した。家名の“フォン・ゼーレンブルン”だけがかつての身分の名残を留める。

 一方で、世界の魔術の管理統制を行う組織、〈悦ばしき知識の(リーガ・フォン)求道者連盟フレーッヒェン・ヴィッセンシャフトラーン〉――通称“〈リーガ〉”の草創期からのメンバーでもある。どれ程の地位なのかは知らないが、一年に二度盟主の名義で組織からの招待状が舞い込んでくることと、それにもかかわらずその全てを無視する図太さ、そして盟主を呼び捨てにする気安さから、相当の高位であることが推測された。魔法の腕前はまさしく異次元のものである。

 寝物語に語ってもらった城主様の壮大な半生記は、やっぱりどこまでが本当か確かめようもなかったが、私たちの胸をわくわくさせた。それは同時に、今日まで続く魔術の歴史そのものでもあった。

 ドイツ民族の生まれでありながら、少女時代にはベーメンのフス派に共鳴。その後なぜかハンガリーの黒軍シュヴァルツェ・アルメーに銃兵として参加。軍の解散後はオーストリア大公国の都ウィーンに移ったが、この経歴が嫌われて追放された。なにしろ黒軍は一度ウィーンを占領しているのだ。そこに居を構えようとした城主様は、若い頃から大物であったと言わざるを得ない。

 移住先のイベリアで最後のレコンキスタの目撃者となった。直後にスペイン王国ではムスリムだけではなくユダヤ人をも含めた異教徒追放が行われ、若き城主様は宗教戦争の空しさを知る。そしてこの頃に魔術に開眼し、容姿を二十代前半に固定。そのためかあらずか、一五一九年には、実年齢としては三十近く年下のスペイン国王カルロス一世、後の神聖ローマ皇帝カール五世の求婚を受ける。それを断ったのは、同じ年に崩御したカルロス一世の祖父マクシミリアン――城主様を追放した当人――の方が好みだったからとのこと。何をどう調べたのか、十九世紀フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーが、この出来事に大幅な脚色を加えて戯曲化している。

「あの頃のカール坊や(カールヒェン)は一途な青年君主だったわね」と城主様本人はいつか懐かしげに語っていた。

 その後、今の盟主と結託して、リーガの前身となる組織をフランスのパリで設立。名前を変えてドイツのシュヴァルツヴァルトに居を移す。そこにゼーレンブルン城を築き、皇帝カール五世によってゼーレンブルン城伯女の称号を与えられる。ゼーレンブルン城は居館(シュロス)であって城塞(ブルク)ではないので、城伯の爵位は不当に高いことになるのだが、そこはかつての求婚相手に対する皇帝の特別な計らいなのかもしれない。

 帝国を二分したシュマルカルデン戦争の終結後に、盟主やその他の幹部ともども元の組織を脱退、新たに〈リーガ〉を作る。

 十七世紀には最後の宗教戦争と呼ばれる三十年戦争を傍観。もはや止める気にもならなかったとのこと。この頃、〈リーガ〉はヨーロッパ最大、ひいては世界最大の魔術師の組織となり、ヨーロッパ諸国の世界進出と軌を一にして勢力を広げていく。

 十八世紀には啓蒙思想の普及に一役買った。その目的は、この世界の法則に従った合理的な思考様式を涵養し、魔術などという非合理的なものに人々の目が向かないようにすることだった。当時はまだ社交的な性格だった城主様も、進歩的思想家を集めるサロンの女主人として各地で活躍したそうな。

「城主様って、七人の幹部ズィーベン・シュピッツェンの一人なのかも」と姉さんは言う。ありえないことではない。城主様が語った経歴が本当ならば、充分にその資格はある。

 ラテン語では七人の幹部(セプティム・スンマエ)。その権能から、選挙侯(クーアフュルスト)とも呼ばれる。旧神聖ローマ帝国の制度を模して、半世紀に一度盟主を選出する選挙の投票権を持つ、〈リーガ〉の最高幹部。これまで全ての回において今の盟主が選ばれているからその権能は形骸化しているが、それでも世界中の魔術師の頂点に立つ七人であることには違いない。一度城主様に尋ねたところ、否定も肯定もされなかった。ただ、「あんなの、昔を偲ぶ年老いた子供たちのごっこ遊びよ」と言われただけだった。

私たちは、そんな城主様を心から尊敬し、愛している。


 その城主様から、突然日本行きを命じられたのだった。城主様から十年間鍛えられた私たちは、そこそこの魔術師になっていた。それまで組織に対しても存在をひた隠しにしてきた私たちを、いい折だから、と登録(イマトリクリーレン)したのだ。

 魔術師たる使用人たちも、私たちが魔法の手ほどきを受けていたことを知って一様に驚いていた。彼らは皆組織から派遣されてきた魔術師であり、城主様の人柄には傾倒していたものの、直接の教え子というわけではなかった。私たちこそ正真正銘城主様の初めての弟子なのだ。城主様が弟子をとったこと、その上その弟子が既に先輩たる使用人たちをはるかに凌駕する腕前を具えていたことは、驚愕の理由としては十分だろう。

 師が弟子のことを隠匿するのは組織の規律に触れるはずなのだが、城主様は気にした様子も、何らかの処罰を受けた様子もなかった。それどころか、城主様の推薦によって、私たちは末端構成員である研修生(レーアリング)を飛び越え、正魔術師(ゲゼリン)として登録された。組織からの指令を待ち、許可が無ければ一定以上の魔法を使うことができない研修生とは違い、独自の判断で動くことが許され、魔法に制限を受けることもない、特権的な立場である。活動が認められれば、弟子をとることもできる。世界の魔術師の九割までが研修生のまま生涯を終えることを考えれば、十四歳の正魔術師は異例とも言えた。


 そして早速、これも城主様の推薦によって、私たちに指令が下った。日本の関東地方の外れにあるとある街に赴任し、そこで暮らす一人の非所属魔術師(アウセンザイタリン)を捕らえて連れ帰るというものだ。

 その標的は、一条伽那という。なんでも、現在確認されている数少ない〈半魔族(ハルプフィンスター)〉の一人らしい。

 私たち魔術師の力の源である異界の混沌には、〈不純物(フレムデス)〉と呼ばれる魔力に精錬することが困難な成分がわずかながら含まれている。それがこの世界で凝り固まり、周囲から何らかの影響を受けて具象化した存在が、〈夜の種(ナハトザーメ)〉と呼ばれる化け物たちだ。手っ取り早く、「魔族」と呼んでいいかもしれない。

〈半魔族〉とは、読んで字のごとく、人間と〈夜の種〉の相の子である。半魔族の遺伝特性を残すための最も手っ取り早い方法は同じ半魔族と子を成すことだが、半魔族と人間との間の子でもごくわずかの確率で半魔族が生まれることがある。

 異界に繋がる〈モナドの窓〉に〈フィルター〉をかける技術が開発されておらず、〈不純物〉が垂れ流しだった原始魔術の時代には、人間の自然崇拝の影響を受けて、時としてとてつもない力を持つ〈夜の種〉が出現した。彼らはあらゆる面で人間を越える存在であり、神話上の登場人物となった。その時代には多くの半魔族も生まれたらしいが、その血を引く子孫にも稀に半魔族の形質が発現することがある。

 半魔族は生まれつきとてつもない大きさの〈モナドの窓〉と非常に効率の良い〈炉〉、そして大容量の〈器〉を具えている。この三者こそ魔術師の実力の指標である。世界の秩序を乱しかねないこの危険な存在を生かしたまま捕らえて連れ帰ること――それが私たち姉妹に与えられた任務だった。


「これがあなたたちの標的よ。こんなんでも日本の先史時代の魔神の血を引く娘だから油断しないように」

 城主様から「こんなん」呼ばわりされた写真の中の一条伽那は、どこからどう見ても普通の高校生だった。

 栗色の髪を肩の辺りまで伸ばし、顔の造作はお人形のよう。細身ながらも胸はよく育っていて、周りの男の子にはさぞかしモテるだろうと思われた。誰が撮ったのかは知らないが、カメラに向かって柔らかく微笑む表情も、こちらがほんわかしてしまいそうだった。

「うは~、一条家ってすごいんだね」

 私よりも早く資料に目を通した姉さんが感嘆の声を上げた。私は慌てて後を追う。

 あっは、本当だ。日本の貴族の家系で、現在は巨大な持株会社の経営者一族。世間のことに疎い私たちでさえ名前を知っているような企業が、その傘下に並んでいた。

 大物中の大物。財界のプリンセスといったところか。しかしその繁栄が〈半魔族〉の強大な魔力に支えられているのだとすれば、許しがたいことである。拉致せよという乱暴な任務も納得できないではない。

 その一方で、写真の中の一条伽那は、やはり普通の少女である。高慢な印象は微塵もない。

「それで、これが彼女を守る二人の護衛。二人とも魔力も魔法もまだまだだけど、〈リーガ〉の送り込んだ魔術師を何度も退けているし、〈夜の種族〉だって何体も討滅している。実戦経験はあなたたちよりも上だから、なめちゃだめよ」

 城主様は資料のページをめくった。

 見開きの左側のページが高原詩都香(しずか)、右側が相川魅咲(みさき)だった。


 高原詩都香は、一言でいえば珍妙なクールビューティ。城主様でさえ(失礼!)身に着けないような、いかにも魔女っぽい帽子をかぶり、そこから垂れる豊かな黒髪は腰の下まで届くほど長い。顔立ちだけなら、私や姉さんの理想形に近い。高く整った鼻梁と、顔の線を綺麗に収束させた顎の形は、気の強さを感じさせる。大人びて見える容姿だが、アンバランスなほどに柔らかな目の形と、きらきらとよく光る瞳が、年相応の幼さの演出に一役買っている。隠し撮りに気づいた瞬間なのか、写真の中の高原は肩ごしにこちらを睨んでいる。細いが色濃い、意志の強さを示すような眉が吊り上っていた。


 相川魅咲は、高原とは対照的だった。わずかなクセのある、高原と同じくらい長い髪を、大きなリボンで右後頭部でくくっていた。左右非対称なその髪型が、彼女のまとう活発な雰囲気によくマッチしている。顔の輪郭は丸顔の一条と面長の高原のちょうど中間くらいで、いかにも年頃の少女といった具合だ。相川はカメラに気づいていないようで、あさっての方向を見ている。アーモンド型のくりくりした悪戯っぽい目の先には、誰がいるのだろう。


 その翌日、荷物をまとめる私たちのところへ、城主様がやって来た。

「旅券よ。名前は『泉梓乃(しの)』と『泉恵真(えま)』にしておいたから、向こうでもそう名乗りなさい」

 私たちに手渡されたのは、まさしく“旅券”だった。パスポートと呼ぶのもためらわれる代物である。

「魔法で作ってみたんだけど、まあ大丈夫よね」

 城主様の時代感覚はずいぶん昔で止まっていて、何かの拍子にそれが表に出ることがある。さすがの姉さんも色をなして反対した。

「城主様! お願いですから当局の作ったものにしてください!」

「ちょっとノエシス、私の魔法の腕が信頼できないって言うの?」

「城主様の感覚が信用できないんです」

 尋ねてみると、城主様が最後にまともな手段で他国に出かけたのは百年近くも前だった。確かめずとも、今渡された旅券がその当時の形式に則ったものであることが知れた。

 ……目に浮かぶようだ。空港の出国管理のカウンターで、ヴァイマル期の形式の旅券を差し出した私たち姉妹は、困惑顔の係官に足止めを食らう。そして、警官やら役人やらを引き連れて出戻りしてきた私たちに、城主様は笑顔で問うのだ――「おかえり。早かったわね。それで、その中のどれが一条伽那?」と。


 出立の前日になって、私たちのパスポートは無事に届いた。

「旅券も変わったもんだわ」などとしげしげとそれを見つめる城主様に再び尋ねると、今度は〈リーガ〉から作ってもらったという。最初からそうして欲しいものである。


 出発の日、城主様は玄関に私たち二人を立たせた。

「母親代わりの身として、最後に三つだけアドバイスさせて。ひとつは、〈リーガ〉の指示にはできるだけ従うこと。これは言うまでもないわね。そしてふたつめ。ひとつめと矛盾するようだけど、私以外の〈リーガ〉の人間をあまり信用しないこと。魔術師なら当たり前でしょ? まあ、かく言う私だって魔術師には違いないんだから、私のことも信じるな、ってことになるかもしれないけど」

「そんな……、城主様」

 私は思わず城主様の手にすがった。

「そんな“嘘つきの(リューグナー=)パラドクス(パラドクス)”みたいなアドバイスをなさりたいわけじゃないんでしょ?」

 一方の姉さんはじと目で城主様を見る。

 城主様は相好を崩した。

「ごめん、ごめん。じゃあ、みっつめ。絶対生き残ること。たとえ、どちらかが犠牲になりそうな時でも、自分の身を最優先に考えて。娘二人にいっぺんに先立たれるなんて、私はごめんだからね」

 これはなかなか難しいかもしれない。私だって、姉さんが危なくなったら自分の身を顧みずに助ける覚悟くらいは持っている。

 が、姉さんは、

「そーんなの、当たり前じゃないですか。魔術師なら生き残って打開策を探る。初歩の初歩です」

 涼しい顔で言ってくれたもんだ。

「ノエマも、いいわね?」

 ちょっと釈然としないところがあるけど、私はしぶしぶながら頷いた。

「そして最後。どんな時でも正面から戦うこと。人質を取ったり弱みを握ったりして相手の動きを封じるのは魔術師の恥。それに、知ってのとおり組織の禁忌でもあるわ。あなたたちがそんなことするとは思えないからそれはいいんだけど、これに加えてだまし討ち、不意討ちもなし。策略、伏兵、連環の計、埋伏の毒、全部なし」

「え~!」

「ていうか、三つだけって言ってなかったっけ?」などとぼやいていた姉さんが、今度こそ不満の声を上げた。私には、最後の方のはよくわからなかったけど。

「知略と策謀を巡らして相手を出し抜くのが魔術師の本分なんじゃないんですか? あたし、あいつらを陥れる罠をいくつも考えたんですけど」

 そう口を尖らせる。日課の合間に何をやってたんだろう。

 しかし、城主様は首を振った。

「ダメダメ。三対二なんだから、苦戦もするでしょう。負けるなら、正面切って負けなさい。勝つときには相手に、負けてせいせいした、今後しばらく手出しはできないな、って思わせるくらいに、完膚なきまでに叩きつぶしなさい。何度負けても、それだけは忘れないこと。いいわね」

 そう、念を押してくる。

「それじゃ、私たちが負けるのが当然みたいじゃないですか」

「そうですよ、城主様。それに、負けても次があるだなんていうのは、魔術師同士の戦いでは希望的観測にすぎません。甘えみたいです」

 口々に異議を唱える姉さんと私。だが、城主様は相変わらずにこにこ笑ったままだった。

「あら、そう聞こえたかしら。でも、あの三人は侮れない相手よ。それに、命のやり取りなんて似合わないのよ。あなたちにも、あの子たちにも」

「でも――」

 さらに言い募ろうとする姉さんの口を、城主様は人差し指を突き出して閉ざした。

「いい? 魔術師の世界は海千山千。百年以上生きている魔術師が普通。でもね、あなたたちはまだ若いの。この世界の敷居をまたぐかどうかといったところ。だから、肩の力を抜きなさい。たしかに今回の任務は、組織に対するあなたたちのお披露目って意味もあるけど、私にとってはそんなのどうでもいいの。それよりも、ずっとこの城に閉じ込められてきたあなたたちに、もっと経験を積んで強くなって欲しいの。もう一度言うけど、あの三人は駆け出しだからと言って侮れる相手じゃないんだから。だって、あなたたちと違って、これまでいくつも実戦をくぐり抜けてきているのよ。だから、実戦的な訓練くらいに思って、相手の胸を借りるつもりでいきなさい」

 城主様の口調がいくらか厳しくなった。それを聞くと、私も姉さんも「はい」と素直に返事をするしかなかった。

「ま、それでも、何度失敗しても諦めないことね。ゼーレンブルンの女は執念深いんだから」

 まるでそれが伝統であるかのように言う。これまでこの家系に列なってきたのは、実際には城主様お一人なのに。

「うん、私からのお言葉はこれまで。留学、楽しんできなさい」

「留学?」

 訝しがる姉さんに、城主様はまた笑顔を向けた。

「そうよ。そりゃ名目的には任務活動だけど、あなたたちにとっては初めての外国、初めての学校でしょ? ほんとなら私が行きたいところだわ。十代の内に魔法を覚えていれば、私だって学校生活を楽しめたかもしれないのに。ま、日本でのんびり学校生活を楽しんできて」

 そんな呑気な一言で、城主様の話は本当に済んだようだった。

 それを看て取り、私と姉さんは互いに顔を見合わせると、意を決するように頷いた。これは昨日の晩、二人で話し合って決めたことだ。

「あの、城主様……」

 姉さんが最初に口を開いた。

「なぁに、ノエシス? 珍しくあらたまっちゃって」

「出立前に、ひとつだけお願いがあります」

 今度は私だった。

「どうしたの? 仕送りのこと? 家賃抜きで月々二千マルクじゃ足りない?」

 とっくの昔に――私たちが生まれる前に――通貨が替わっているということに、いつになったら城主様は慣れてくれるのだろう。

 私たちは二人そろって首を振った。でも、その後がなかなか継げない。私はもちろんのこと、姉さんにしたって緊張しているのだ。

せーの(アイン・ツヴァイ)――」

 小声で口火を切ったのは今度も姉さんだった。その合図に合わせて、続く台詞は、二人同時に発することができた。

「帰ってきたら、『お母さん』と呼ばせてください……!」

 それを聞いた城主様が、きょとんとした顔を浮かべていた。

 私たちは深々と頭を下げた。言葉にしたらほんのわずかなのに、気づけば鞄を持つ手が震えていた。

 しかし、いつまでも城主様の返答がなかった。

 私と姉さんは、これまた同時に顔を上げた。不遜なことを言ってしまったのだろうか、と不安だった。

 案に相違して、城主様は泣いていた。初めて見る城主様の涙だった。

「城主様……?」

 私は心配になって声をかけた。

 城主様は小さくかぶりを振った。ハンカチを取り出して、目元を覆う。

「ちが……泣いてなんか……。ううん、ありがとう……。嬉しいの。――本当は不安だったの。私は母親代わりを務められてきたのかな、って……。でも、バカね、あなたたち。そう思ってくれてるなら、もっと早く呼んでくれてもよかったのよ……」

 私たちは城主様に抱きついた。三人して幼い子供のようにわんわん泣いた。

 そうしてから、城主様に別れを告げた私たちは、使用人の御す馬車に乗り込んだ。最寄りの街の駅からは近郊鉄道(レギオナールバーン)でシュトゥットガルトへ。そこから生まれて初めて都市間超特急(ICE)に乗り、フランクフルト国際空港からルフト・ハンザ機で日本に来たのだった。

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