3.
「ある所に一人のそれはそれは美しいお姫様がいました」
それって自分のことでしょう? 図々しいな。
「――そのお姫様は体が弱く、両親と離れて小さなお屋敷で暮らしていました。いいえ、閉じ込められていました。お姫様は毎日のように外に出たいと訴え出ましたが、王様から派遣されていた監視役の魔女とその手下たちは、万一の時に自分が責任を問われるのを怖れ、決してその願いを聞き届けようとしませんでした。しょせん下っ端ですし仕方ありませんよね」
そういう感想はいいから。私は先を促した。
「――こうして閉じ込められっぱなしのお姫様は、近くの村で年に一度のお祭りが開かれるのを偶然耳にしました。小さい頃から長生きはできないと言われてきたお姫様ですので、今生の思い出にお祭を観に行きたいと言い出しました。それでも魔女は承知しません。お姫様はすっかり諦めてしまいました。しかしそこで、二人の勇者が立ち上がったのです。一人は冷静沈着で表情を失った魔法使い、一人は快活だけど故郷を失った戦士でした」
やっと高原と相川が出てきた。
「――二人はそれぞれ問題を抱えていました。魔法使いは大好きなお母さんを亡くしたばかり。戦士は家族の元から拉致され、勝手に訓練を施された挙句にこの地に辿り着いた流れ者でした。魔法使いと戦士はそれぞれの特技を生かしてお屋敷の魔物たちをばったばったとなぎ倒していきました。しかし、小学生離れした二人でしたが、ラスボスの魔女には敵いませんでした」
……小学生って。設定は最後まで守ってよ。
「魔女は魔法で身体能力を引き上げ、戦士とまともに殴り合った末にこれを打ち倒しました。めまぐるしく動く二人に、まだまだ未熟な魔法使いは援護することすらできませんでした」
高原は幼い頃から異能者だったらしいが、魔術師となったのは今年の四月だ。当時の彼女では、戦力となるには役者不足だったろう。
「戦士を退けた魔女は、荒い息のまま魔法使いに問いかけました。どうしてお姫様を連れ出そうなどとするのか、彼女はこの屋敷から出ることはできないのに、と」
そこまでのことだったのだろうか。今日は病み上がりであるが、現在の一条は健康そのものだ。家から出られないほど病弱だった過去など、想像できない。
しかし、私の疑念を他所に、一条は言葉を継いだ。
「――『牢獄の庭を歩く自由より、嵐の海だがどこまでも泳げる自由を、わたしなら選ぶ!』魔法使いはそんなクサい台詞を吐きました。しかし、それに心を打たれたお姫様は考えました。マンガでよくあるみたいに、魔女もこの言葉を聞いて改心してくれるだろう、と。」
ずいぶん計算高いお姫様もいたものだ。というか、小学生の吐く台詞だろうか、これ。しかし、それはそれとして悪くない言葉だとも思った。
……のだが、
「――ところが案に相違して、魔女は怒ってツッコみました。『それパクりじゃないかっ!』――こうして、おバカな魔法使いのせいでまた戦いが続行されることになったのです」
えっ、決め台詞パクり? 何なのあいつ?
「と思いきや、これも魔法使いの作戦の内でした――と、後に本人は語っていました。全力でツッコんでしまった魔女は、いつの間にか立ち上がっていた戦士の攻撃に反応が遅れてしまいました。顎先をかすめるような一撃をもらい、脳震盪を起こしたのです」
「……本当に作戦だったんですか?」
「魅咲の回復を待っていた、会話を引き延ばそうとした、って言ってたよ」
絶対嘘だ。
「――こうして魔女をも倒した二人は、お姫様を救い出してお祭りに連れていくことに成功したのでした。めでたしめでたし。……あ、恵真ちゃん、さっきの詩都香の台詞の元ネタ知ってる? 詩都香が恥ずかしがって教えてくれないんだ」
「知りません」
というか、元ネタありの決め台詞ってどうなんだ?
それはさておき。
「その、話の中に出てきた“魔女”というのが」
「あ、うん、ユキさん。実はね、さっきの話のキモは、ユキさんも詩都香とおんなじマンガを読んでたってことなんだけどさ」
ニコニコと一条は笑った。
「あの人……魔術師なんですか?」
後半を無視して尋ねた時には、もう答えがわかっていた。あの女性が魔力を使える存在であるのは確かだが、しかし、魔術師ではない。
「ううん、ちょっと違う。ユキさんは〈夜の種〉」
一条は、私が予期していた通りの回答を口にした。人型の〈夜の種〉もいるということは知識としては知っていたが、実際に目にしたのは初めてだった。
「ところで一条、あなたは本当に病弱だったのですか? とてもそうは思えませんが」
二十歳まで生きられないと宣告されていた子供が、数年でここまで健康になるものだろうか。現に、風邪を引くのも二、三年ぶりとのことだった。
一条はやはり首を振った。
「……あれ、嘘だったんだって。後でユキさんが教えてくれたんだけど、酷いよね」
「嘘?」
「そう。お医者さんがものものしく三日に一度通ってくるし、わたしはすっかり信じちゃってたんだけどね。わたし、健康上の問題なんてなかったの。そりゃあ、風邪を引いたりすることはあったけど。わたしって、ほら、〈半魔族〉でしょう? 私は覚えてないんだけど、小さい頃は何度も暴走しちゃったことがあったみたい。魔力の制御も下手で、周りの人に怪我させたりしちゃったから、ここにユキさんの監視の下住まわされてた。体の弱いただの人間としてね。
〈半魔族〉は生まれてからしばらく、人間と〈夜の種〉の特性が未分化なんだって。人間としての自我が育たないと、〈夜の種〉の特性が強く出ちゃう。ユキさんも相当悩んでたみたいだけどね。普通に学校に通わせた方が人間らしい成長を遂げることができるんじゃないか、って」
しかしユキの心は決まらなかった。休みがちだった学校に今さら普通に通い始めたところで、周囲に馴染めるかは極めて微妙だった。彼女とて、一条をずっと閉じ込めておくことが好ましいとは思っていなかっただろう。しかし、長いこと社会との接触をほぼ断って暮らしてきた一条が、果たして「人間らしい」成長をしているのか、ユキには判断がつかなかった。学校で疎外され、その挙句に暴走し、他の生徒に怪我を負わせでもしたら、今度こそ一条は〈夜の種〉としての道を歩むことになってしまいかねない。
加えて、ユキにとって不幸だったのは、彼女自身が学校に通った経験が無かったことである。一条がどのような生活を送ることになるのか、彼女には見当もつかなかった。そんな不確定な世界に送り出すよりも、籠の鳥としていた方がいいのではないか。ズルズルと結論を先送りにしたまま、ユキは四年もの間一条を手元に繋ぎ留められることとなった。
そんなユキの気持ちもわからぬではない。私だって初めての学校生活に踏み出すのは不安だった。
その不安が予想もしない形で当たり、今私はこの部屋にいる。
「……あ、今のヒミツね。詩都香も魅咲も知らない話だから。なんとなく言いそびれちゃって」
「わかりました」と私は頷く。
そうして場がほどよく冷えたところで、その問いを口にすることにした。「もう一つだけ聞きたいことがあります。あなたは今の状況に何も感じないんですか? 親友二人が命を懸けて戦っているのは、あなたを守るため。あなたさえ大人しく私たちについてきてくれれば、高原も相川も、元の平和な日常を送ることができるんですよ?」
「恵真ちゃんってば、答えにくいことズバリ訊いてくるんだねぇ」
一条は苦笑した。答えにくいと思ってはいるらしい。
「……無理に答えなくても結構ですが」
「大丈夫。わたしの中では整理できてるし。わたしね、最初に自分の体質を知らされたときには自殺しようとしたんだ。だって、恵真ちゃんの言う通り、わたしさえいなければ、詩都香も魅咲も無理に戦う必要なくなるんだもん」
いきなり重たかった。さきほどあっさりと〈半魔族〉という言葉を出したことから、あまりこだわりがないものとばかり思っていた。
「詩都香から散々説教されたっけ。『わたしが命を懸けて守るのは伽那だけじゃない。魅咲がいて伽那がいる、そんなわたし自身の日常を守るために戦うんだ』って。あんたはわたしの生活を壊すつもりなのか、って。魅咲も同じだって言ってくれた。二人はね、わたしだけを守ろうとしてくれてるんじゃない、今までだってずっと一緒にいた、わたしたちの在り様を守ってくれてるの。わたしは二人がいなきゃダメだし、それは詩都香だって魅咲だってそう」
「それで、あなたはそれに甘えることにした、と」
「……そうだね、ほんとに甘えてる。でもね、それじゃダメだって思ってはいるんだよ? わたしは〈半魔族〉なんだから、一番大きな力を与えられてるんだから、二人を守るためにいつか覚悟しなきゃいけない時が来ると思う。――それは今かもしれない。恵真ちゃん、わたしを攫いに来たの? 恵真ちゃんはそんなことしないと思うけど……もしそうなら、わたしも全力で抵抗するよ。敵わないまでもね」
一条はじっと私の目を覗き込んだ。普段になく強い光がその瞳に宿っていた。
「……いいえ。私はお見舞いに来たんです。私たちに与えられた任務は、あなたたち三人に真っ向勝負で打ち勝ってあなたを捕らえること。調子を崩してるあなた一人を狙うだなんて、そんなやり方はしません」
言ってて少し恥ずかしくなった。私は一体何をしに来たんだっけ?
家に帰り着くと、時刻は九時半をいくらか回ったばかりだった。
思っていたほどすっきりした気分にはなれなかった。まだもやもやする。
友人二人への甘えで維持されている自分の立場を自覚させることで、一条を困惑させ傷つけようと思ったのだが、私の浅はかな考えなど彼女たちはとっくに踏み越えていた。
そういえば、姉さんの方はうまく行ったんだろうか。なにやら気合が入っていたし、きっとデートに違いない。
相手は誰だろう? たしか、“タカヒロ”と名乗っていたけど。
うちのクラスには、たぶん該当者はいない。全員の名前を覚えているわけではないので確実ではないが。
他のクラスの生徒の名前となると、残念ながらまだ一人も……
――『佐野よ、佐野隆博。恵真はまだ知らないかな』
その時、電撃のように水野さんの言葉が記憶に蘇った。
「――うそ。でも、姉さんに限って……」
胸騒ぎがする。私は急いで携帯を取り出し、姉さんに電話をかけた。
つながらなかった。電源が切られている。
一度深呼吸。
姉さんがそう簡単にどうこうされるとは思わないが、魔術師だって心はいとも容易く傷つく。私はそのことを身を以って思い知らされたばかりだ。
私のことはもういい。でも、姉さんが傷つくところなんて見たくない。
もう一度タッチパネルを操作して電話帳を開く。最近少し増えたものの、まだまだ少ない登録件数の中から、彼の名前を呼び出す。ちくり、と心胸のどこかが痛んだ。
それでも指先はためらうことなく通話ボタンを押した。
『おう、泉。どうした? 昨日、大丈夫だったか?』
聞き慣れたその声。
「あのっ、高原くん。いきなり変なこと訊くけど、佐野くんっているでしょ? 高原くんの友達の。彼の名前、隆博でいいんだよね?」
「ああ、うん。そうだけど? ……あ、まさか」
「まさかって? えーと、その……佐野くんが今日何をしてるか、知ってる?」
電話はしばし何の音も伝えなかった。こちらがじりじりし出した頃になって、ようやく回答があった。
『……悪い。口止めされてたんだ。なんだよ、バレてたのかよ。うん、お前の姉ちゃん、佐野と会ってるらしいぜ』
頭の中が真っ白になった。昨日よりもっと、高原くんに腹が立った。高原くんだって、佐野がどんな噂のある人物か知っているはずだ。それなのに、私に黙っているなんて……。
その後どんな会話をしたのか、よく覚えていない。罵倒したのかもしれないし、案外、最後の自制心を振り絞って無言で切ったのかもしれない。気がつくと私は、沈黙した携帯電話を握り締めたまま、〈モナドの窓〉を開いていた。
『姉さん――!』
最後の手段。私は全力で精神感応波を放った。半径ニ十キロ以内なら届く。
望み薄ではあった。双子の妹の私が〈モナドの窓〉を開いたのだ。姉さんにその気があれば、市内のどこにいようが感知されるはず。それなのに何のアクションもないということは……。
きっかり三分待った。
精神感応は返ってこなかった。
電話は鳴らなかった。
私は窓から飛び出した。




