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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第七章「運命 Das Schicksal」――九月二十二日
37/62

1.

 翌朝は我ながら早く起きることができた。と言うよりも、予想通りあまり眠れなかった。

 午前六時半。いつもなら二度寝するところだが、ふつふつとスパークリングの泡のように湧き上がる感情が私を衝き動かした。

「お? おはよう恵真(えま)。珍しく早いね。朝ご飯食べる?」

 ダイニングの椅子に座った途端、厨房の方からかかった声に、座面から滑り落ちそうになった。

「ね……姉さん? 朝食の準備を?」

 姉さんはご飯をよそったお茶碗を二つ持ってきた。そういえば、焼き魚の香ばしい匂いもする。

「たまにはこういうのもアリでしょ?」

「どういう風の吹き回しですか?」

 次々とテーブルの上に並べられるおかずを眺めていると、感謝よりも先に疑念が湧いてくる。

 私を元気づけるためにサービスしてくれているのかとも考えたが、姉さんがそんなわかり易い動機で動くかは甚だ疑問だった。

「いやー、一昨日の恵真見て思ったんだよね。やっぱり家庭的な女の方がモテるんじゃないかって。あとそれからさ、聞いてよ、こないだお昼にいつもみたいにコンビニのお弁当広げてたらさ、クラスの男子が――男子がだよ? 『梓乃(しの)ってそういうとこ残念だよな』だって! も~腹立つったら! 自分だってお母さんから作ってもらってるくせしてさ。だからあたし、言ってやったわけよ。だったら来週から手作り弁当作ってきたろうじゃないの、って。今日はその予行演習」

 もっとわかり易かった。本当にお弁当を作ってくれるのなら助かるけど。

「ありがとうございます。いただきます」

 とりあえずお礼を言い、秋刀魚に箸をつける。お箸初心者の私としては小骨が多くて苦手であるが、ほじくり出した身は平均的な味つけになっていた。

「どう?」

 姉さんはテーブルの向こうから身を乗り出してきた。

「意外にも、普通の味がします」

「意外にもって、あんたね~」

「これなら今日手作りお弁当持っていっても大丈夫では?」

「へ? なんで?」

 姉さんは男子とお出かけするのだから、その相手も喜んでくれるかも、と思っての提案だったのだが、姉さんはきょとんとしていた。え? 今私変なこと言った?

 首を傾げつつ、姉さんも食事を開始した。最初にお味噌汁をひとすすり。

「あ、意外にもイケるかも」

 ――ちょっと。

「……料理ベタの失敗の原因は大抵味見をしないことです。味見、したんですか?」

「ひとを勝手に料理ベタにしないでよ。味見くらいするっての。そもそも出来合いのものだし、味見なんて要らんでしょ」

「は?」

 こっちも普通の味だなぁ、と思いながらすすっていたお味噌汁を、噴き出しそうになった。

「……これ、インスタント?」

「……バレタカー」

 姉さんは視線を逸らした。ついでにカタコトっぽくなっている。

「このお魚は」

レンジでチン(ミクロヴェリールト)

 ドイツ語になった。

「こっちのおひたしは?」

冷食(テーカーカー)

 ご飯にも手をつける。お米だけは常備してあるので、自力で炊いたものらしい。箸を入れてすぐにわかったが、ぼそぼそだった。

姉さんは(ドゥ・ビスト・)残念(フェアザーガリン、)ですねシュヴェスター・マイン

「ひっどーい!」

 普通の味がする出来合い食品でご飯をかき込みながら、ふと安堵している自分に気がついた。

 こっちに来るまで庖丁のひとつも握ったことのなかった姉さんが、一人でちゃんと食べられる料理をこしらえたということに、コンプレックスを刺激されていたらしい。こんなところで張り合ってもしかたがないのだけれど。

 我ながらさもしい性根とは思いつつも、ささやかな自尊心が守られたことで幾分気が軽くなった。

「ごちそうさまでした」

 大して手間がかかっていないとはいえ、姉さんが用意してくれたもの。残さず平らげてから箸を置き、私は席を立った。

「お粗末さま」

 本当にお粗末ですよ、とは流石に言えず。

「姉さんも出かけるんですよね?」

 姿見の前には、脱ぎ散らかされた衣服が山と積まれていた。どれを着ていくか迷っているらしい。気合の入ったことだ。

「そうだよ。あー、いい、いい。まだ余裕あるし、洗い物あたしがするから。ていうか、『も』ってことは、恵真も出かけんの?」

 おっと。さすが姉さんだ、どんなことも聞き漏らさない。

「……はい。お言葉に甘えて、先に出てもいいですか?」

「おっけ。あたしは九時半の待ち合わせだから。早起きすると、朝の時間がたっぷり使えていいでしょ?」

「そうですね」

 どっかの母親みたいなことを言う姉さんに逆らわず、着替えのために私室に戻ることにした。

「エマ」

 ドアノブに手をかけた私の背中を追うようにして、姉さんが声をかけてきた。私は無言で立ち止まり、続きを待った。

それでもモナドにはアーバー・ディ・モナーデン・窓があるのよハーベン・フェンスター

 現象学者エートムント・フッサールの言葉だっただろうか。わかったようなわからぬような妙な気持ちで頷いてから、ノブをひねって部屋に入った。



 ※

「高原さんたちってどんなきっかけで仲良くなったんですか?」

 朝食後に部屋で短い食休みをとっていると、由佳里がそんなことを訊いてきた。

 詩都香(しずか)はすぐにピンと来た。一昨日の喧嘩をまだ引きずっているのではないかと懸念し、詩都香と魅咲(みさき)の仲直りの手助けをしようとしてくれているのだ。

 ちらりと脇目に窺うと、魅咲と目が合った。どうやら魅咲も同意見らしい。詩都香は魅咲に語り部を任せることにした。

「五年前になるかな。あたしがこっちの学校に転校してきた頃。その頃、伽那(かな)は体が弱くて学校にもあまり来なかったんだ。たまたま来たときに話を聞いてみたら、お屋敷のお目付け役たちが伽那が外に出るのを極端に嫌っていて、体に問題が無い日もなかなか出してもらえないんだって。それがちょうど春先でさ、ほら、九郎ヶ岳で梅桜祭(ばいおうさい)やるじゃない?」

「はい。うちの近くなので、毎年行ってます。郷土史研でも、新入生歓迎イベントで行ってるんですよね?」

「まあね。四月の段階じゃ一年生がわたしだけだったから、なんか微妙だったけど」

 由佳理から話を振られた詩都香の回想は、四月の梅桜祭へと向かう。


 詩都香たちの住む京舞原(きょうぶはら)には、補陀落(ふだらく)渡海(とかい)したはずの平維盛(たいらのこれもり)が何の因果か流れ着き、そのまま隠れ住んだ、という出来の悪い伝説がある。そのためか、公立中学の古文では『平家物語』が重点的に取り上げられる。

 平家の貴公子としての栄華が忘れられなかった維盛(これもり)が、それまで舞原(まいばら)と呼ばれていた当地の頭に「京」の字を加えて京舞原としたというのだから、真面目に取り上げるにも値しない俗説なのだが、市民にはそこそこ親しまれている。平家の隠れ里としてPRしようというのか、梅桜少将と称された維盛にちなみ、毎年四月に九郎ヶ岳の麓で“梅桜祭”なる祭りが催されるほどだ。人工的に開花を遅らせた梅と桜を併せ見る祭事なのだから、その起源の新しさは推して知るべし、である。

 しかし、奈緒などはこの伝説をわりと気に入っているようだ。

「維盛みたいなのが悟りきって入水なんて、そもそも似合わんからな。それよりは何かの弾みで死のうと思ったものの、生き延びて未練たらたらに暮らす方がらしいじゃないか」

 奈緒は、郷土史研究部の新入生歓迎イベントとして梅桜祭に部員一同で行った折に、そうコメントした。もう一度船で漕ぎ出せよ、と詩都香などは意地悪にも思ってしまうのだが。

 詩都香がそう言うと、奈緒はひとしきり笑った後、

「歴史研究というのは実証を重んじる。事実は事実、創作は創作だ。だけどな、高原。E.H.カーじゃないが、我々だって歴史の一部なんだよ。高みから見下ろして観察しているわけじゃなく、滔々とした歴史の流れに巻き込まれてアップアップしながら来し方を見ているんだ」

 と語り出した。

「ベンヤミンの歴史の天使みたいですね」

「ベンヤミンがクレーのあのお粗末な絵からインスピレーションを受けたとは、美的センスに欠ける私には到底信じられないんだがな。……いや、話の腰を折るな。つまりだな、過去に起こった事柄を後世の人々がどのように記録し、記憶するか、というのも立派な歴史なわけだ。その場所は本当は違うよと言われても、私たちは『赤壁』と大書された岩を写真に撮るし、デトモルトのアルミニウスの像に感銘を受ける。鉄筋コンクリート製でエレベータを具えた大坂城だって、豊太閤の栄華を偲ぶよすがになる。見ろ、私たちは今、記憶史の目撃者になっているわけだ」

 奈緒はそんな長広舌を振るい、伸ばした腕をぐるりと周囲に向けた。お祭りといっても、五日間の期間中に特設舞台上で雅楽やら舞踊やら今様やらがかかるだけで、来場者のやることはよその花見と何ら変わるところがない。詩都香たち郷土史研の面々も、ビニールシートを敷いてドリンクとお菓子でおしゃべりに興じているところだ。しかも、奈緒の人徳ゆえか、同じ学校の別のグループが次々に合流してくる。いつの間にか総人数は二十を優に超え、もうとても郷土史研究部の新歓イベントとは言いがたくなっていた。

「なんだか言ったもん勝ちって言ってるように聞こえますが」

「言ったもん勝ちも悪くはない。それで傷つく人がいなければな。それ以上踏み込もうとすればもちろん実証が必要になる。だけど歴史研究者のか細い声だけじゃ、なかなかみんなに歴史に対する興味を持ってもらえないだろう。ここにやって来た人たちだって、半分は維盛伝説が虚構なのを知っているだろうし、残りのほとんども半信半疑だ。でもそれでも……」

 この話は一体どこに落ち着くのだろう、と詩都香は危ぶみ始めた。この祭りに来たのは初めてではないだろうに、今日の奈緒はいやに饒舌だ。詩都香は図らずもこの人気者を独り占めする体となっていて、周囲からの視線が痛い。

 奈緒の話を適当に聞き流しながら、傍らに置いてあった紙コップからぐびっとジュースを呷る。

(……ん?)

 ジュースを飲み下した際に、ほのかに異質な風味を感じた。詩都香とて全く知らぬわけではないこの風味は……。

「吉村先輩、このジュース、あるこ――」

「見ろ高原、やはりル=ゴフよりもブルクハルトが正しかった。再生(ルネサンス)はあったんだよ!」

「あだっ! 痛いです、先輩!」

 奈緒は詩都香の背をばしばしと叩きながら意味不明なことを言い、そうかと思うとビニールシートの上にこてんと寝転がった。そして、

「私だったら京舞原城を守り切れたのに……ぐぅ」

 またわけのわからぬ台詞を最後に、寝息を立て始めた。

「……嘘みたい。ほんのちょっと混ぜただけなのに」

「吉村さんってお酒弱いんだ。意外」

 隣の大学生グループと話していた一団が、そんな囁きを交わした。どうも、相手グループから分けてもらった似た風味のチューハイを、密かに奈緒と詩都香の紙コップに混ぜたらしい。

(ほんと、意外……)

 もうひと口含んでみたものの、やはりわずかな風味が残るだけで、酔うほどではない。

 さて、寝入ってしまった奈緒をどうしようか、と思案に暮れていると、

「高原さん」

 背後から控えめな声がかかった。振り返れば、奈緒とよく一緒にいる二年生の初瀬沙緒里だった。

「えーと、初瀬先輩……でしたよね?」

「吉村さんのことは任せて。私が見ているから」

 そうとだけ言うと、沙緒里は奈緒の傍らに正座した。

「あー……、じゃあお願いします」

 奈緒を沙緒里に任せ、手持ち無沙汰になった詩都香は、上級生たちのグループの輪に加わって小一時間ほど交友を深めた。はじめ、質問の類はただひとりの一年生である詩都香に集中し、それに答えるだけでよかったので楽といえば楽だった。

「高原さんって戦国武将だと誰が好き?」

 新入生に対して最初にする質問がそれか、と思った。

「えーと、北条氏康です」

「え~、地味ぃ。地元武将だったら早雲じゃないの?」「あ、でも『早雲の軍配者』の氏康はショタっぽくて可愛かったよ」「可愛いってんなら、氏政のダメ息子っぷりでしょ」「いや、氏政はもっと評価されるべき」

「三国志なら?」

「正史なら司馬懿、演義なら夏侯惇でしょうか」

「うわ、魏派がいるっ!」「ちょっと、魏のどこが悪いっての」「そうそう、あたし、仲達みたいなことできんのよ。ほら」と、仲達ほどではないが百二十度ほど後ろに首を巡らせてみせたその秋山という二年生に、周囲から「うわ! 気持ち悪っ!」との声が一斉にかかった。とんだ宴会芸である。

「新撰組は?」

 もはや武将ではなくなった。詩都香には新撰組に格別の思い入れはない。「えっと……近藤勇、かな。あと、『壬生義士伝』の吉村貫一郎も格好よかったです」

「やっと高原さんと趣味が合ったー!」

 しかしそこからバラバラな雑談に移っていくと、人見知りの詩都香は困惑してしまう。飛び交う会話に相槌を打ちながら、どこか居心地の悪さを感じ始めた頃、奈緒のそばに座る沙緒里がちょいちょい、と手招きした。

 詩都香はこれ幸いと沙緒里の元へ這っていく。

「どうしました?」

「吉村さんが目を覚ました。冷たいお水を買ってくるから、少し見てて」

 詩都香が了承すると、沙緒里は靴を履いて出店の方へと歩いていった。

「吉村先輩、大丈夫ですか?」

 枕元にしゃがみ込んで顔をのぞき込むと、奈緒は薄目を開けて詩都香の顔を打ち仰いだ。

「……高原か。うむむ、酷い目にあった。イタズラっ子たちは後でお仕置きだな」

 ふう、と深く息を吐く奈緒。

「意外です。先輩は大人になったら居酒屋でガハハと笑ってるイメージだったんですが」

「ダメなんだよ、私は。子供の頃、梅酒の梅をかじって前後不覚になったことがある」

 しょぼしょぼと目をしばたかせる奈緒は、少し恥ずかしそうだった。

 奈緒はそれから、仰向けの体勢のまま顔と視線だけをあちこちに向けた。

「――いい眺めだなぁ。白梅に紅梅、ソメイヨシノに八重桜……」

「そうですね」

 この先輩も花を愛でたりするのか、と失礼なことを考えながら、詩都香は生返事。酔っぱらいの相手などまともにするつもりはない。

「――それに高原の純白パンツ。まさに百花繚乱」

「なっ!?」

 詩都香は慌てて足を閉じた。

 奈緒が唇の端を吊り上げる。

「中学時代よりもスカートを短くしているんだろう? 油断しない方がいいぞ」

「えっと……はい」

 注意してぺたんと座りながら素直に頷いた詩都香だが、今から思えば、それが奈緒から受けたセクハラ第一弾だった。

 舞台上では、祭りを共催する地元の新聞社が一般から募集した短歌が発表されていた。

「入学おめでとう。それから入部ありがとう」

 そう言って傍らの紙コップを掲げる奈緒を、「もう飲まないでください」と押し留めながら、詩都香も周囲の花々を眺めた。

 ――さすがの詩都香も、あの頃はまさかこんな高校生活が待っていようとは、想像だにしていなかった。


 ――魅咲の語りは続く。

「伽那はさ、せっかく住んでるのに、今まで一度も梅桜祭見たことがなかったんだって。それにあの頃の伽那ってすんごい悲観的で。どうせ長く生きられないし、一度くらい見たい、って言ってた。でも、どうしても許してもらえなくて、って。そこであたしと詩都香の出番となったわけ」

「というと?」

「今から思うと騙されたみたいなもんだけどさ、そんなこと言われたら見せてあげたくなるじゃない。それにね、そう言ったときの伽那、自分が口にした希望を早くも諦めてるんだもん。だから詩都香と二人してお屋敷に忍び込んで、伽那を連れ出すことにしたの」

「へ~、囚われのお姫様を助けにいく勇者みたいですね」

 まさにその通りのことを当時の詩都香は考えていた。蓋を開けてみればそんなに格好のいいものではなかったが、母親を失くしたばかりで沈みがちだった詩都香の心を、魅咲は他のことに向けさせてくれたのであった。

「ところが、お屋敷は予想以上に警戒厳重でね。ボディガードみたいなのがうろつき回ってるし、監視カメラはいたる所にあるしでもう大変」

「まったく、大冒険だったわね」

 今ではそんな風に懐かしく思える。魅咲と仲直りできた安心感からだろうか、今日の詩都香はどこか懐旧的になっていた。

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