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放課後の魔少女  作者: 結城コウ
第六章「感じやすい心で Sie tragen empfängliche Herzen」――九月二十一日
34/62

7.

 ※

 斜め上から振り下ろした刃は、相手のわずかな身のこなしで避けられた。逆袈裟に振り上げると見せかけてからの、フェイントの突きも同様。

 ヤコムスの涼しげな顔からは余裕すら窺える。

 サイコ・ブレードは便利で扱いやすい武器だが、難点もある。剣である以上、当然ながら相手に当てなければ効果は一切無い。しかも、詩都香(しずか)はこれまで剣術の類をたしなんだことのない、まったくの素人である。

「くっ、このっ!」

 翻弄されている焦りから、次第に大振りの攻撃が多くなっていく。刀身に重さがないため疲労が溜まりにくいのは幸いだが、やはり当たらない。

 刃を振り上げた姿勢の詩都香に、それまで守勢に回っていたヤコムスが飛びかかる。サイコ・ブレードを握る手首を捕まれ、もう片方の腕で腰の上を抱きすくめられ、動きが封じられた。

「信じられんな、こんな小娘が今まで生き残ってこられたとは」

 ヤコムスの左手の握力が強まり、詩都香の尺骨が軋みを上げた。右手から急速に力が抜け、感覚さえも失われていき、ついには得物がこぼれ落ちた。

「痛っ、いたたたっ! 放して! このっ!」

 詩都香は空いた左手でヤコムスのわき腹の辺りを叩いた。しかし、魔術師のくせに頑健な体を持つヤコムスにダメージは与えられなかった。同程度の魔力で向上させた身体能力ならば、結局地力が高い方に軍配が上がる。単純な膂力では成人男性には敵わない。

 攻撃手段を失い、起死回生の攻性魔法を準備しようとしていた詩都香の右腹部を、重い衝撃が襲った。

「げ……」

 肝臓の上の薄い筋肉に、ヤコムスの膝頭が突き刺さっていた。激痛に涙がにじんだ。

非所属魔術師(エトランジェール)などこうして叩きつぶせばいいのだ。知識だの技術だのと、年寄り連中は頭が固くて困る」

 再度の膝蹴り。酸っぱいものが喉元までこみ上げてくる。

「この力で敵を屠る、それこそ魔術師のあるべき姿だと、お前も思うだろう? お前も戦うために魔術師になったのだろう?」

 顔が近い。見上げる形の詩都香は、相手の顔に浮かぶ嗜虐欲を読み取った。

「……あんたと一緒にすんな」

 ありがちな強がりと知りつつも、ぺっ、と口の中のものを相手の顔目がけて吐きかけてやった。それに気にした素振りもなく、ヤコムスは眉ひとつ動かさずに冷徹にまた膝を入れてきた。

「あぐぁ」

 詩都香はぐしゃぐしゃに顔を歪めた。その眦からついに涙の粒が零れた。

「このまま嬲り殺しか、それとも魔法できっちり止めを刺されるか、選ばせてやろうか?」

(……アホか)

 どちらも御免だ。それにこの余裕、詩都香を格下の弱者と侮っている。こういう手合いは三下と相場が決まっている。

 詩都香の涙を戦意喪失の証と誤解したのだろう、ヤコムスがさらに首相撲を続けようとする。

 だが、彼が膝蹴りを入れようとする際にわずかに体が離れるのを、詩都香は学習していた。

 そのタイミングで――

「なめん、なあっ!」

 拘束を振りほどくよりも攻撃を優先。わずかに後ろに下げた片足をバネに、渾身の頭突きを叩き込んでやった。

「がっ!?」

 このなりふり構わぬ反撃をまともに顔面に受けたヤコムスが、詩都香の体を放して後退する。ひるんだ彼に向かって、

「〈ハイパー・メガ・ランチャー〉!」

 幾度か中断されつつも少しずつ準備してきた必殺の攻性魔法を撃ち込む。ヤコムスは防御障壁を展開しながら横に転がり、これを避けてみせた。

 だがそれは詩都香の読みの内。

「もう一発っ!」

 右の人差し指から第二撃をぶっ放す。白い魔力のビームが、今度こそヤコムスの障壁を直撃した。爆音とともに、窪地に溜まった落ち葉が一斉に宙に舞った。

 今の二連発で〈器〉の魔力を半分近く使ってしまった。もちろん、これで敵を仕留めたなどと思ってはいない。

 詩都香は足元のサイコ・ブレードを拾うと、〈モナドの窓〉の開放率を四十パーセント程度に上げた。〈不純物〉がさっきまでよりも多めに流れ込んでくる。

 ――だが、構わない。長期戦はいずれにせよ無理だ。

 土煙の中から、ヤコムスが姿を現した。やはり倒し切れてはいなかったが、ダメージは軽くはなさそうだった。

「なるほど、いい攻性魔法だ。お前を殺した後、私も研究してみるか」

 ボロボロに焼け焦げた上着を脱ぎ捨てて、ヤコムスも攻性魔法を準備し始める。

(ここでたたみかける!)

 相手の準備が整う寸前、詩都香は前に出た。魔法の完成と詩都香の攻撃への対処、その間の判断が揺れ動く隙を狙うつもりだった。

 しかし、詩都香の計算よりもはるかに早く、わずか二、三歩の間に、ヤコムスは手の中から魔力の弾丸を撃った。

 詩都香目がけて――ではない。その左上方。

「って、こらっ!?」

 すっぽ抜けのボールのような攻性魔法の行く手には、郷土史研の仲間たちがいる宿舎がある。明らかにそこを狙った魔法だった。

 そうはさせじと急制動をかけ、跳躍。防御障壁を全力で展開、紫電の塊のようなそれを受け止める。

「――なっ!?」

 被弾の瞬間、詩都香は驚愕の声を上げた――そのあまりの威力のなさに。

 見た目だけでまったく威力の籠もっていない、幻影のような一撃だった。

 同じ魔法は重ねがけが利かない。とっさの判断で〈モナドの窓〉をさらに大きく開く。精神を圧迫する〈不純物〉に呻きながら、次の防御障壁を張るための魔力を〈炉〉で精製しようとする。

 が、それは遅すぎた。

 ヤコムスの放った次の魔力弾、充分な魔力が籠められた本命の攻性魔法は、詩都香の防御障壁の持続時間が切れるタイミングを見計らったかのように飛来した。どうにか精錬を終えた魔力で張った第二の防御障壁では、到底防ぎきることのできない代物だった。回避不能の自由落下のさなか、詩都香はその直撃を受けた。

 脆弱な障壁は瞬時に蒸発。夜空を焦がして爆炎が花開く。

 マントで体をかばい、熱を遮断することはできた。

 しかし、爆圧はそうはいかなかった。空中に踏みとどまれるはずもなく、詩都香の軽い体は弾け飛んだ。

 背後に広がる雑木林にピンボールのように突っこみ、体のあちこちをぶつけ、ブナの幹を一本へし折り、二本目に叩きつけられたところでようやく止まって、寿命を迎えたセミのように地面に落ちた。

生きてるかな(ヴィヴァン)?」

 意識を失いかけていた詩都香の耳に、落ち葉を踏み砕く音と共にそんな呟きが入ってきた。当たり前じゃない(ナテュレルマン)、と応じようとしたものの、口から漏れたのは肺に残った最後の空気だけだった。

「ああ、危ない危ない、照準がずれたな」

 わざとらしい戯言。

(この野郎……)

 詩都香は胸中で悪態を吐いた。

 人質をとること、一般人に必要以上の被害を与えることは〈リーガ〉の中ではご法度だが、思い返してみれば、魔術師というのはこのくらいの汚いやり口は使いかねない人種だ。ゼーレンブルン姉妹のまっすぐな戦い方に慣れてしまった詩都香は、いつしかそれを失念していた。

 だが、それゆえにかえって。

(こいつ、許せない)

 俯せに倒れたまま立ち上がる力もない。それでも、恐怖だとか絶望だとかの感情を全てすっ飛ばして、無性に怒りが湧いてきた。

 ざわっ、と辺りの空気が変わる。

(許せない許せない許せない許せない許せない――許せない!)

 先ほどの爆風で吹き上げられ、今ようやく舞い下りてきた無数の木の葉が、音も立てずに弾けていった。

「バカか、お前は。そんな無茶な〈モナドの窓〉の開き方をしたら、すぐに廃人になるぞ」

 詩都香の無謀な行為をヤコムスがせせら笑う。

 彼の言う通りだ。〈フィルター〉を透しているとはいえ、限界まで〈モナドの窓〉を開いたこの状態では、〈器〉はあっと言う間に〈不純物〉でいっぱいになり、精神が破壊される。

 しかし詩都香は聞く耳を持たなかった。そのまま怒りに任せ、〈モナドの窓〉の開放率をますます上げて、異界の混沌を取り込んでいく。

 猛烈な吐き気が込み上げてきたのは一瞬。

 その背を覆う長い髪が揺らめき、青い光を放ち始めた。ヤコムスを睨みつける瞳にも、常ならぬ光が宿る。

 ――と、その時。

「詩都香あああぁぁぁッ!」

 宿舎の方角から、文字通り飛んできた人影があった。宙を駆けるように、たった一歩で数十メートルを跳躍しながら、戦場に舞い立ったその影。

「み、魅咲(みさき)……?」

 相川魅咲だった。彼女は詩都香の傍らを駆け抜けると、弾丸のごとき勢いを殺すことなく、大気を引き裂くスピードで、渾身の力を込めた右拳を敵の魔術師に叩き込んだ。

 ヤコムスが慌てて展開した防御障壁と魅咲の拳がぶつかり合う。

 ぱちんっ、という軽い破裂音と、ずん、と重たい響きが同時に伝わった。魅咲のストレートは、障壁を障子紙のように容易くぶち抜き、ヤコムスの体にめり込んだ。

「おあああああああっ!」

 裂帛の気合とともに、魅咲が貯め込んだエネルギーを一気に解放する。悲鳴のひとつすら残す間もなく、ヤコムスの体はさっきの詩都香以上の勢いで木々の向こうに吹き飛んでいった。

 呆気にとられた詩都香はその瞬間に怒りを忘れていた。髪の毛からは揺らめきも輝きも失われ、〈モナドの窓〉の開放率は元に戻った。

「な、なんでここに……?」

 よろめく体に鞭打って立ち上がる。そんな詩都香に、魅咲はつかつかと歩み寄ってきたかと思うと――

「この……馬鹿野郎っ!」

 いきなり頬を張られた詩都香は、五メートル近く飛んで再び地面に転がる羽目になった。

 呻くその背に、魅咲は容赦なく追撃の罵声を浴びせる。

「あんた、さっきアレを使おうとしたでしょ!? そんなに追い詰められてんなら、あたしを呼べ! なんであんたってばいっつもそうなの!」

 真っ赤に腫れ始めた頬を片手で押さえ、詩都香はさっきよりも緩慢な動作で上体を起こした。

「ごめん……」

 そうとしか言いようがない。張られた側の目に、じわぁ、とまた涙がにじんだ。

「本当に反省してんの?」

 魅咲が腕を組んで肩をそびやかした姿勢で近づいてきた。

「……してる」

「もうやらない?」

「……やらない」

 うむ、と頷いた魅咲が、詩都香に手を差し伸べる。

 詩都香はその手を掴んだ。ぐっ、と力強く体を引き上げられ、ほとんど魅咲の胸に飛び込むような形になった。

「あんた、ボロボロじゃない。うわ、髪に葉っぱが絡みついてるよ。あたしもひさびさにアレやって疲れたからさ、宿に帰って温泉入ろ?」

「うん……」

 魅咲の胸の中で、詩都香は微かに答えた。

 サイコ・ブレードを回収した後、窪地から這い上がりながら、詩都香はちらりと背後を振り返って独り言を漏らした。

生きてるかな(ヴィヴァン)?」

「何か言った?」

 先を行く魅咲がその呟きに反応した。詩都香は胸の前で手を振った。

「ううん、なんでもない」

「……そ。ほら」

 魅咲は手を伸ばし、それを掴んだ詩都香を引きずり上げた。

 宿舎への道すがら、マントと帽子を自室に戻し、〈モナドの窓〉を閉じてから、詩都香は先ほどの問いをもう一度繰り返した。

「魅咲はどうしてあのタイミングで来たの?」

 詩都香と同じく、魅咲も〈モナドの窓〉を開くのに数分はかかる。しかも、あの爆発的な身体能力の強化は、通常の魔法では不可能だ。

 魅咲の“奥の手”だった。

 ゼーレンブルン姉妹との戦いでは未だ見せたことのない、〈荒覇吐〉と呼ばれる、魅咲の家の流派に伝わる秘技。人間の限界を超えた者だけに許された、もう一段階上の、もはや別次元と言っていい力を引き出す調息法で、普段は魅咲ですら使用不可能である。〈モナドの窓〉を開き、その魔力の全てを身体能力向上に回し、その上さらに十五分の特殊な呼吸を経て、やっと可能になるのだそうだ。あの場でいきなりできる芸当ではない。

「……あんた、宿の中で〈モナドの窓〉を開いたでしょ? あんなに近けりゃ、さすがにあたしも気づくわ。というか、あんたが一人で戦ってるのがわかった時には、たいがいあたしも準備してんのよ。ヤバそうと思ったらすぐに飛び出せるように」

 魅咲の言葉は予想外だった。魅咲とは、伽那(かな)を守るための戦いの場合にのみ協力を要請するという了解が成立していたはずなのだが。

「ぶぁ~か」

 詩都香の疑問は一言のもとに切って捨てられた。

「そんなの関係ない。あたしにとってはね、伽那と同じくらいあんたも大事なの。いい、詩都香? ヒーロー気取りもいいけど、あんたが思ってる以上に、あんたの味方は多いんだからね。……って、何言わせんだ、恥ずかしい」

 そう言った魅咲は足を速め、詩都香の先に立って歩き出した。

「さぁ~て、温泉温泉。せっかく来たんだし、ふやけるまで浸からなきゃね」

 鼻歌交じりだ。だけどその足取りはどこかぎこちない。〈荒覇吐〉は、肉体に大きな負担をかけるのだ。本人は黙して語らないが、使用後にはいつもこんな具合になるので、詩都香も伽那もとうに察している。

 詩都香は申し訳ない気持ちを抱えてその背中を追った。

(なんか、同じようなことをこないだ言われた気がするな……)

 そんなことを考えながら。



 ※※

「ああ、とんだ邪魔が入ったものだね。諸君にもあの娘の力を見て欲しかったのだが。まあ、見ての通り、アイカワ・ミサキの接近戦での戦闘能力は桁違いだ。この点だけなら、アイカワに勝てる者は正魔術師の中にもそうはいないだろうね。総合的に見ればようやく第七階梯に差し掛かるかどうかといったところだが」

〈連盟〉におけるクラス分けは、魔術師としての総合能力で測られる。〈モナドの窓〉の大きさ、〈炉〉の効率、〈器〉の容量、そして魔法の技術と知識が主な基準だ。戦闘能力、それも接近戦限定で分類されることはない。アイカワのアンバランスさは、異常とも言えるものだった。

「私たち魔術師は、元々の体を鍛えようだなんてあまり考えませんからね」

 フランス大法官が口を挟んだ。

「まったくだ」と盟主は肩をすくめた。

「だがしかし、小賢しい手まで使って目的を達せられないというのは、いささか美しくないな。フランス大法官、後で彼の師を叱責しておいてもらえるかな」

「わかりました」

 フランス大法官は頭を垂れた。

「それからイギリス大法官、東京支部に彼の救助と現場の復元を要請しておいて。東京法官の頭越しに我々が行動したのがバレるけど、お叱りは次の等族議会の折にでも受けることにしよう」

「はい、閣下。しかし既に救助要請が出ているようです」

 携帯電話で通話していたイギリス大法官がそう返答した。

 ――おやおや、と彼女は思った。やはり時代も変わったものだ。選挙侯までこんなものを持つようになった。

「ん? 早いね。目撃者でもいたのか――ああ、そうか、彼女か」

「……の、ようですな」

 イギリス大法官は首を振った。理解できない、その顔が語っていた。

 盟主もつられて苦笑した。

「まったく、最近の若い魔術師はわからんね。さっきの彼のような冷酷なタイプもいるかと思えば、あの娘のような優しい子もいる。両極端だよ」

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